薄闇の中に


「監督?何してるの?」
暗い給湯室で電気もつけないでただ、ぼんやり夜食のおにぎりを握っていたところに背後からの声。驚いたけれど、落ち着いて振り向いた。

「享介?……享介こそどうしたの。休憩?」
「まあ、そんなとこ……手伝う?」
「ううん、大丈夫。おにぎり握ってるだけだから」
我ながら綺麗な三角のおにぎりがラップのはられた皿の上に並べられている。梅、おかか、昆布、鮭フレーク。今日は夏休み終了間際の勉強会が事務所総出で行われているから、夜食のおにぎりはいくつ作っても足りないだろう。

「うーん、見てるだけもヒマだし手伝っていい?考え事しすぎて疲れたんだよね」
「うん、ありがとう。そしたら具、出してくれる?」
「りょーかい……もうちょっと右寄って」
「はいはい……悠介はおいてきたの?」
「悠介は休憩中。2人で次のライブのこといくつかアイデア出したから、あとで監督も見てよ」
「わかった。おにぎり出したらまず2人のところに行こうかな」

しばらく黙々とおにぎりを作った。なんだか言いたいことがあるんじゃないかと思ったけど享介も黙って手伝ってくれたので、ひとりでやるよりはずっと効率が良かった。

「それで、享介何かあった?」
終わりが見えてきたので再び聞くと、返事はなくて代わりに体が寄せられた。珍しいなって思ったけど黙っておいた。ぎゅっと押し付けられた体の左側だけがあったかい。手伝ってくれたおかげで夜食タイムまではまだ時間がある。勉強組の集中力が切れるのももう少し先だろう。享介は何というべきか考えるみたいに黙っていたので私も黙った。享介の前に鮭フレークのかたまりが並べられていく。

「監督、俺……花吐き病にかかったみたいだ。黙っててごめん」
「えっ」
突然の告白に慌てて手袋を外して享介と向き合った。おにぎり握ってる場合じゃない、薄暗闇の中で享介は泣きそうな顔をしていた。病院に行ったのは、いつだ。すぐに仕事のスケジュールを思い返す。先々週のロケの時に近くに大学病院があって、享介はやたらその病院を気にしていなかったか。

「……花を吐いたの?いつ?今は平気?先々週の病院に行ったの?体は、平気なの?」
「一回だけね。今は平気だけど……そんな心配しないでよ」
監督は、なんだってわかるんだなと享介は言って、くしゃりと紙を握りこんだ。享介が握りつぶしたものを見ると、自治体作成の高校生向けの花吐き病注意喚起のプリントだった。学生の誰かが学校でもらってきたんだろう。享介が無理な笑顔を作った。

言いづらかっただろうなとため息を殺して、固く握られた手をそっと解き、プリントを抜き取った。花吐き病の症状やその危険性を訴えている紙は毒々しいまでに派手な色でこちらを煽っている。

「ごめん……病気、なったらすぐ言えって監督いつも言ってたの、ちゃんと覚えてたんだけど」
「ううん、享介はさ、しっかりしてるからって私も安心しすぎてた……言ってくれてありがとう」
花吐き病には恋愛感情がつきもので、それなら享介が好きになったのは誰なんだろう。新薬の開発は進んでいるが、治療をするにしても精神的なアプローチで症状を軽減させるにしても、その情報が必要だった。聞きたくないな、と思った。本人がなかなか言い出せないほどのことを無理に聞き出すのは気が重い。

「……監督、いつも無理してるから負担になるようなことしたくなかったんだ……ホントだって。監督を頼って、頼られて、やっていきたいって言ったのに俺、いつも頼ってばっかだ……悠介と監督と一緒にもっと上目指して頑張りたいのに、それなのに、こんなことになって、ホントにごめん……」
「お願いだから、享介……誰かを好きになったのをそんな言い方しないで」

胸が苦しくなった。まだ、18歳なのにこれからどんどん大人になって、アイドルとして成長していくのに、せっかく誰かを好きになれたのに、そんな悲しくなること言わないでってどんなに時間がかかっても伝えたかった。それから大人なのに、プロデューサーなのに、あなたを好きになったこの気持ちを間接的にでも否定しないでと私の心が悲鳴を上げている。聞きたくない、誰かに助けてほしい、頭のなかがぐちゃぐちゃになった。

「ねえ、監督。俺の気持ち、絶対受け入れてもらえないってわかってる。それでも頑張らなきゃダメ?監督の気持ち、教えてよ」
「……わからないよ。享介の気持ちも、誰のことが好きなのかも私にはわからないから」

そっか、と享介は考えるように俯いた。Wの、蒼井兄弟の頭脳労働担当は享介だった。長年双子として、プロとして、そして今はアイドルとしてその性能がいかされている。享介の考え込む表情は見慣れているのに不思議な感覚だった。何を考えているんだろう。ちょん、と指が差し出されて中指と薬指だけが絡められた。心臓が痛い。

「……逃げないで。それで、俺、監督のことが好き、です」
あまり背丈は変わらないのに、俯いたままだからつむじが見えた。隣の部屋の電気が漏れてオレンジの髪を照らした。

言葉を3回脳内で繰り返して、あまりにも驚きすぎて口を閉じたまま何も言えなくなった。嘘でしょ?なんて最低な言葉を封じるのに役に立ったけどやっぱり理解が追い付かない。

「監督、チャンスがほしいんだ。返事……教えてくれる?」
享介が笑ってさらに深く指を絡めた。暗くてよくわかんないけどやっぱり顔は赤かった。それを見てなんだかちょっと安心した。

「享介」
大人らしからぬ、彼らのプロデューサーらしからぬ情けない声が出た。もう許してほしいとでも言いたげな声に享介は顔をゆがめた。

「……監督、ちゃんと言ってくれなきゃわかんないってば」
「……でも」
急に享介がひどく咳きこみ、ふわふわしていた私の頭瞬時に冷えて、恐る恐る背中に手を伸ばした。

大人になってよかったことなんて何があるだろう。18歳の男の子の告白を素直に返事をしてやれなくて、悲しませて花まで吐かせて、困らせてばっかりだ。

「ねえ、監督無理しないで。嫌いなら突き放して。でも、俺のこと好きなら……好きって言ってよ」
声が切実で、必死につかまれた手首が、こぼれた花が涙が熱くて、死んでしまうかとさえ思った。きっと享介はもっと熱くて苦しい思いをしている。

「好き、私も享介のことが好きです」
18歳の子供に言わされた告白は、情けなくて苦しくて逃げるみたいな声になった。それでも享介は笑って、それからいくつもいくつも銀の花がこぼれた。銀色の花は冷たくて、ぼろぼろ溢れる涙だけが変わらずに熱い。触れたところから全部溶けてしまうとさえ思った。

遠くに集中力の切れた誰かの声がする。今にも「プロデューサー、お腹すいた!」って駆け込んでくる声が、「監督、享介来てない?」って尋ねる声が、「プロデューサーさん、差し入れ持ってきましたよ」って報告する声が飛び込んでくるんじゃないかってドキドキしながら、そっと享介が手を引いた。絡めた指の間に銀の花を落として、互いの息が混じるほど近くで見つめあう。

「こんなに簡単に治るなら、もっと早くに言えばよかった」
「遅くても早くても、享介が無事でよかった」
「監督、いつも言ってるけど優しすぎ……」
「それよく言ってくれるけど、どの辺がそう思わせるのかな……」
「あんまり無理しないでねってこと……ねえ、無理しすぎる前にちゃんと俺を頼って」
「うん……」
勉強部屋から漏れる光が指に絡まる銀の花をそっと照らしていたけれど、指がいっそう強く絡められて、それから完全に銀の光は見えなくなった。


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