黒田官兵衛と忍者
前世の最後はよく覚えている。迫り来る鉄と土の匂いと、言葉にできない肉の潰れる音、うるさいくらいのあの人の呼吸音。
里で教わった、歯に毒を仕込む術はうっかり噛んだら困るからやめてくれと言われて辞めてしまった。代わりに”誰かわからないように”死ねる方法を探さなければと怒って見せたらあの人は、自分が引き摺る鉄球でお前を潰して仕舞えばいいだろうとなんてことないように提案したのだった。その約束通り、もう走れなくなった私をその辺の木に寄りかからせてあの人は腕を振り上げた。失った血が多すぎて、あの辺りの記憶はなにもかもがぼんやりとしている。
あんなに苦労する羽目になったのは、全部あの人のせいだと思う。あの人が一緒に来いと言ったそれだけで大坂から逃げ出して逸れものの一派になってしまったのだから、あとあと何度も後悔する羽目になった。主に強い相手と戦う時に。
石田さまは会敵するたびに「何故秀吉さまを裏切る!!!」と大きな声で怒鳴りつけたが私に聞かれても、何故かなんてちっともわからなかった。
あの人の周りは草のものでもただの娘と同じように扱ってくれて確かに居心地はよかった。でも豊臣だって言われるままに無茶をこなせばいいだけで、決して悪くはなかった。秀吉様も雇い主の半兵衛様も嫌いじゃなかった。石田様だって怒れば怖いが嫌いじゃなかった。大谷様もへまをしなければ普通に仕事に使ってくれた。そもそも感情はいらないと仕込まれた忍にどうしてと人の情緒を聞かれても……すごく困る。
しかし枷のせいで食事が出来なければ米を食わせて、髪が伸びれば適当に切ってやり、風呂に入れて着替えさせてとするうちに情が湧いたのは明らかだった。こんなのだから忍としては落ちこぼれで里から追われたのだと今ならわかる。
あの人も阿呆だから私の口の中の薬を捨てさせ、私が始末しなければならない手合も相手にした。そして鍵は見つからず狙う天下は近づいては遠ざかるのを繰り返した。そういう人なので部下も「官兵衛さんだから仕方ない」と笑っていたのだった。
私が命を落としたのも、戦場に乱入しようと地上に出たもののあの人の持ち前の不運が重なって事前情報通りにはことが運ばなかったせいだった。
くないを鶴嘴に持ち替えて穴を掘り続け地下帝国ができそうになったころ、いつの間にか黒田軍は天下に最も近い勢力のひとつに数えられるようになっており、それが現実のものとなる前にその芽を摘まれた。それで、黒田軍は呆気なく壊滅した。
私は里から追われた忍であるために死体を残すわけにはいかなかった。約束の通りにあの人は例の鉄球で私を潰して始末した。混乱した戦場には刀や槍で殺された人間と同じくらい鉄球で潰された、あの人が言うところの「見られたもんじゃない」死体が転がっていたから、私もきっとそのひとつになったはずだ。
それで、どうして今そんな前世のことを思い出したのかというと、目の前の吊革に片手を引っ掛けている大男に見覚えがありすぎるからだった。顔を見て次に背後に大きな丸い球がないか、続いて手首を確認してしまった。のだが、今の世であんなもの引きずっていたら即職質される。百歩譲って枷と鎖だけでも間違いなくアウトだ。
そこそこ込み合っているけれど満員ではない車内、じっと私のつむじあたりに視線を注ぐ前世の主(推定)、そのことに気づいて席に座ったまま顔があげられない私。電車内は冷房が効いているはずなのになぜか汗が止まらない。
前世は忍者なんて不思議なお仕事をしていた私も当世では普通の大学生をしている。街を歩けば明らかに見覚えがありすぎる前世の知り合いを見かけることもあったけれど、前世は前世と割り切って見て見ぬふりを貫いてきた。豊臣の人たちや里の人間に直接遭遇しない当世の幸運に感謝しながら生きてきたけれど、生まれ変わっても不運のおこぼれは避けられなかったらしい。
電車がゆっくりと減速して私は目的の駅でもないというのに目の前の現実から逃げるためにここで降りようと決めた。
いつもはどうやって立つんだっけ?目はどこを見ればいいのだっけ?一刻も早くこの場から逃げたくてふらつきながら立ち上がると目の前の大男とばっちり目があった。前世と変わらない長い前髪の隙間からあの人の動じない目が、よく見えた。
私はこんなに動揺しているのに、この人にとってはその程度のことなのだと、もしかしたら覚えていないのかもしれないと考えて私は死にたくなった。
私はあの人にとって配下に従えるたくさんの命のうちのひとり”だったもの”か、若しくはまったくの知らない人間なのかもしれない。あの人はびっくりするほど自分に向けられた感情(その種類は問わない)というものに鈍感だった。それで私や先輩は喚くのだが、あの人にはその内の10パーセントも通じていなかった。
「おい、お前さん」
「ひっ」
あの人がまったく変わらない声音で態度で私を呼び止めたので、私はうっかり今いるところがひんやりと冷たい地下なのではないかと錯覚して、しかしながら当然そんなはずはなかったので驚いて気持ちの悪い悲鳴をあげた。
あの人は伸ばしかけた手を私に振り払われて、それでも待てェ!と叫んで手を伸ばし、私はタイミングよく開いたドアからホームに逃げ出した。
「ま、待てっ!小生怪しいものじゃ、ってお前さんわかってるんだろ!ンギャァ!」
「ひょえ」
車内から飛び出さんばかりに手を伸ばした勢いのままに、あの人は電車とホームの間に足を取られて見事に顔面から転んだ。静かに電車のドアは閉まって何事もなかったかのように去っていった。降車した人たちが変なものを見る目で通り過ぎる。
「……馬鹿だなあ、後ろに重しが付いてないんだから飛び出したらそのまま前に転ぶんですよ」
「わかってるんだが……いや、わかっててもうまくいくとは限らないんだよ、なんてったって小生は」
「……」
とびきりツイてない、と私が言葉を続けることを期待したようだが、私は思いっきり自分がいらないことを言ったと気づいて黙っておいた。この人はあの憎たらしい顔で続きを待っている。
「久しぶりだな」
「初対面の怪しい風体のおじさんにそんなこと言われましても……」
「んなっ……お前さん、解ってて言ってるな!?」
「知りません、そんな怪しい人知りませんったら知りません」
どうしていっつも要らないことしか言えないんだろう。この人がちゃんと憶えていたことが嬉しくてたまらないのに私ばかりがどうしようもなく意地をはっている。いっつもそうだ。
「こうも知らないと言われると、逆に何がなんでも思い出させたくなるんだが……例えばお前さん、初めてつるはしを握った時、振り上げてそのままの勢いで後ろに転んだのは覚えて」
「んぎゃあ!!なんでそんなこと!!覚えて、覚えてます!しっかり、くっきり覚えてますよ!!」
相変わらず嫌な性格!!私がおもいっきりグーで殴ってもいででと言うだけで全然痛がらないのも変わらない。む、むかつく!
「くっくっく……それにしても弱くなったなあ、今何してるんだ?女子高生か?」
「キィーッ!!女子大生です!そっちこそうだつの上がらないサラリーマンみたいな格好してるくせに!」
「う、当たらずとも遠からず……」
名刺入れを奪って中身を見ると「トヨトミホールディングス」ウンタラカンタラ……
「と、豊臣!?大手じゃん、っていうかあんた、また懲りずに……」
「笑いたければ笑え!そんな可哀想なものを見る目で小生を見るな!小生だってなあ、好きでこんなことしてるわけじゃ……」
散々ホームで座り込んだまま喚いたので駅員さんの視線がつきささる。自分たちのことながら、ホントに怪しいと思う。パパ活上のトラブルとかに見えそう。
「ちょ、ダメだわこんなとこで話し込んでたら……私帰りますからね、それじゃサヨナラもう二度と会いませんように」
「待て、逃げる気だな!?」
「逃げますけど!?」
骨が軋むほど足首を握られて今度こそ大きい悲鳴が出た。あああ、絵面がもうあかん。駅員さんがめちゃくちゃこっち見てる。職質までのカウントダウンが始まってしまう。
「いだい!この馬鹿力!私もう昔みたいなカラダしてないんですよ」
「さ、最後に顔を見せてくれないか」
「……」
慌てて足から手を離したが、今度は手を握られて逃げられない。お互いにめちゃくちゃ汗をかいていた。共に冷や汗だ。
「名前は変わらず優しい子だな。まず小生の手首を確かめただろう。ほら、痣こそあるが生まれつきだ。な、たいしたことないだろ。お前さんは変わらず綺麗でいい子で、自慢の部下だ。いや、もう他人か……」
「……」
「いや、あのだな、最後にあんなことになってしまっただろう……今度こそ綺麗な顔を見せて、お前さんは無事だと、お前さんの元主人を安心させてはくれないか」
「……う*ッ」
「な、泣くほど嫌か!?そうか!?そりゃそうだな!?」
そんなの、そんなの狡いんじゃない。私のせいであんなことさせたのに、そんな未だに責任感じてるみたいな言い方しなくてもいいじゃん。うるせえ、もう好きなだけ見ろ。嫌だと言っても、今みたいなハリのあるつやつやの肌じゃなくなっても、死ぬまで見せてやるからな。
「わかったわかった、小生が悪かったよ」
「な、なんにもわかってないくせにぃ……」
「わかった、わかってないけどわかったから」
400年経っても変わらずにわかってないのにわかったような顔をするので私は官兵衛さんの手を私の顔に無理やり添えさせてわんわん泣いた。よく見ろ。傷さえ残らなかったこの顔を隅々まで見せてやるから、嫌になる程見ろ。
駅員さんもさすがに何があったかわからなくて困っただろう。官兵衛さんは私が泣き止むまで2時間ホームで宥めすかして、泣き疲れた私に自販機で水を買い、焼肉を奢ってくれた。そうしてむくれたままの私に甲斐甲斐しく肉を焼き、「前とは逆だな 」なんて呑気に笑って、私をまた泣かせた。
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