真田幸村と忍者
長は幸村さまと初めてお会いしたときに「この人はダメだ」と直感的にわかったのだという。天下に遠いとかそういうのではなく、忍を忍として扱えないという意味でこの人は忍にとっての毒、ダメな人だとわかったらしい。
長はまだ小さかった私に幸村さまに近づいてはならないと約束させた。緊急の時だって周りに長がいれば長に任せるように言った。今思えば、命じるのではなく約束させたその時点で長は幸村さまに毒されていたのだ。私に接触を禁じたくせに長自身は幸村さまのそばに仕えて以来「忍んでない」なんて言われるようになったし、長も幸村さまを大好きなのがよくわかったし、幸村さまも長を人のように扱うのだった。
ところで、忍隊の隊長が戦仕事以外の主君の衣食住にかかわる仕事を多く担う中、その配下である私たちが何もせずにいられるわけはなかった。直接幸村さまの口に入るものに触るようなことがあれば全部長を通るが、忍を厭う御方ではないので私は侍女らに混じって繕いや掃除をしたり、忍の先輩方と畑を耕したりしている。そして、毎年夏になればひとつ大仕事を任される。
「夕餉のぶんはひとつでいいからね」
「はあい」
「昨日のもおいしかったってさ」
忍に一日の始まりも終わりもないようなものだけど、一応長がいればその日の日中侍女に混じるのかそれとも先輩方と動くのか指示を仰ぐ。長は身支度を整えながら背中越しに言葉を投げかけた。私が返事もしないで黙っていると長は訝しげに私を振り返った。
「なに?」
「……忍の仕事ではないなと」
「いまさら何言ってんの。頼むよ、西瓜名人」
俺様なんてまた今月も休みなしだよ、と長が愚痴って体の向きを元に戻した。膝の上から背後へ長く延びた布や手甲がみるみるうちに身につけられていく。後ろに転がった角手を探すように手のひらで板間を探るので拾って長の膝に乗せた。
「名前さあ、」
「いだっ」
角手を離した腕を思い切り握られて思わず声が出た。長が今しがた渡したばかりの角手を付けていなくて本当によかったと思う。角手なんてつけなくても握りつぶせば人が殺せそうな力だけど。
「旦那はダメだって散々言ったの忘れたわけじゃないよね?俺様だって意地悪で言ってるんじゃないんだよ」
長は怖い顔をして私を叱った。なら、幸村さまはダメなのにどうして目に触れるような仕事をさせたり幸村さまからの仕事を任せたりするんだろう。黙ったままの私に長はもう一度わかってる?と念を押して怖い顔をした。
長ほどの忍が、それこそ後ろにも目がついているんじゃなかろうかと思うほどの忍が、背後に落とした角手を拾えないはずがないのだと気付いたのは、長の部屋から追い出されてすぐのことだった。
それで、私に任された夏の大仕事というのは西瓜畑の管理である。何年か前に姉と慕うかすがちゃんがいくつか種を分けてくれたのを畑の隅で育て始め、最初は忍隊の人間だけで食べていたのが長を通じて幸村さまの口にも入るようになった。それが幸村さまのお気に召したらしく夕餉の後に毎日長が切って出している。幸村さまとの接触がないために長がそれらしくごまかして「西瓜名人の配下が世話をしている」ということになっているのだが、畑仕事は素人に毛が生えた程度だし諜報で城を空けることも多いので明らか種がよかったのだと思う。幸村さまは長の言葉を信じているのか毎年さすがは名人と喜んで召し上がっているのだという。それさえも長や先輩たちからの伝聞だから確かではない。
「幸村さまがひとつ……」
ゴロンと転がった西瓜の模様を見定めながら良さそうなものを軽く指先で叩き、裏返していちばん出来がいいものを見繕った。幸村さま用の西瓜に網を被せて、ほかに熟れすぎたものをいくつか選ぶ。こうやって朝の早いうちにとって沢に下ろしておくと夕餉の支度をする頃にはよく冷えたものが幸村さまに回るのだ。
「おまえ」
ぎょっとして振り向くと、手ぬぐいを首にかけた幸村さまが驚いた顔をしてこちらを見ていた。朝稽古の帰りの格好だ。驚いたのはこっちの方で、忍のくせにぜんぜん気づけなかったことに対する衝撃と長に叱られるいう焦りで体がかちこちに固まってしまった。
「もしや、西瓜名人か」
「はあ」
「そうか、お前が……」
幸村さまは畑に敷いた藁を慎重に踏みながら私の方へ歩いてきた。逃げようとか隠れようとかいう気持ちはあったのに、幸村さまの”王羅”とやらに当てられた私は下を向いて黙っていることしかできなかった。長の言う通りだ。幸村さまは忍をおかしくさせる才能の持ち主だと、長が言った通りに。
「毎朝見ても水はやってあるのに人はいないから、いつ世話をしているのだろうと思っていたのだ。早いな」
「はあ」
「こう、指を揃えて叩いていただろう。あれは何だ」
「た、食べごろを見ておりました」
「裏返したのは、」
「そ、それも食べごろを見ようと思って……」
「そうか」
幸村さまは目の前の西瓜をじいっと見てこれは、と聞いた。
「はあ」
「これは早いか」
私がしていたように指先を揃えて幸村さまは西瓜を叩いた。私はそこでようやくこの人が食べ頃か聞いてるのだとわかり慌てて返事をした。
「す、過ぎております」
「そうか」
幸村さまは静かに西瓜を転がして裏を見た後にまたそれを元に戻した。
「違いはわかるのか」
「は、はあ。音と裏の穴の大きさを見ております」
「耳が良いのだな」
幸村さまがぽそっとこぼしたひとことに私は内臓が全部纏まって喉の奥から出るかと思った。忍であることを殊更に強調するような自分の発言を殴り飛ばしたい気持ちでいっぱいになった。
「これは、この後どうするのだ」
「さ、沢に掛けて冷やします」
「そうか」
幸村さまがそれきり黙って私を見ているので私は今度こそどうしたらいいのか、この人は何を考えているのかわからなくなって指先まで凍りついたように動けなくなった。
「なんだ、見せてはくれぬのか」
「いっ今すぐっ!」
拗ねたように口を尖らせて幸村さまがそう言うと、私は金縛りからあっさり解放されて慌てて目をつけていた西瓜のところまで飛び移る。ああこういうところがだめな忍だと長に呆れられるのだ。網をかけておいた西瓜の蔓を切り幸村さまを見やると、幸村さまはこっちのことなんて見ていなくて広い畑を見渡していた。
「過ぎたものはどうするのだ」
「お、お下がりを……いただいております」
そうか、と言うと幸村さまは先程叩いた西瓜の蔓を手で切り、それをかかえた。
「ひとつで足りるのか」
「お、お許しいただければあとひとつ、いただきとうございます」
「ふたつで足りるのか」
「た、たります……」
幸村さまの視線が早く採れ、と言っているような気がして私は先程見繕ったうちから手近なものをひとつ選び蔓に手をかけた。
「叩かぬのか」
「た、叩きます」
指先で軽く叩くと私たちがいただくには十分すぎるくらいの音がした。幸村さまの視線がつきささり、裏側を見てまた戻し、今度こそ蔓を切った。お下がりにも簡単に網をかけてふたつ手に下げ、幸村さまの持っている分も受け取ろうとすれば「これでいい」と言って網だけかけた西瓜を持ってさっさと歩き出してしまう。困った。
「ここに掛ければいいのか」
「は、はい」
幸村さまは石で囲い流れを弱めた沢にすぐ気づき、立てておいた棒に網ごと西瓜をかけた。それに倣って私も残りのふたつを沢に下ろす。
「西瓜は好きか」
背後から幸村さまがかけた言葉に私は失礼とわかっていながら答えようがなくて黙ったままでいた。
「好きだからこんなにうまい西瓜を作るものだと思っていたが」
好きも嫌いもありません、と返せたらいくらか胸はすかっとしただろう。幸村さまがうまいと喜んだから長は私に西瓜を作らせている。幸村さまが大したことはないとお言いになったらあの畑は小さいままかもしくは他のものを育てるために潰しただろう。作った西瓜がうまいのは、かすがちゃんのくれた種が良かったからで育て方もよくわからないまま栽培を始めた私の技量はたいして関係していないだろう。
「俺は好きだな」
ちらっと背後をうかがうと、幸村さまは沢にかけた西瓜ではなく、周りの木々やもっと遠いどこかを見ていた。西瓜は好きでも嫌いでもないと言ったけど、あの真っ赤な中身だけは恐ろしい。夜闇に紛れる忍には流そうとも浴びようとも見えない、しかし昼間に駆ける幸村さまが流し浴びるその血の色、戦支度の色を思い出す。
「名前はなんという」
「な、名乗る名前はありません。幸村さまは長以外のものが誰であって何をしているか気に留める必要などないのです」
幸村さまのことも、西瓜と同じく好きでも嫌いでもないと思っていたのだがこの時わたしの中で大きく天秤が傾いた。忍に名前なんてない。長や風魔のようなとびきり優秀な忍だけが仕えた主人の名声を彩る為に名前を残せばいい。幸村さまはそうか、と小さく返してそのまま私が沢から手を引き上げるのを待っていた。
「終わりました……いえ、お待たせいたしました」
「うむ」
幸村さまは来た時と同じようにどんどん来た道を戻っていく。わたしはその背中を追いながら、長が何度も言った幸村さまに近づいてはならないという言葉の意味を噛み締めていた。
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