人さし指握って
なんでもできるならひとりでもいいじゃん、と言った時にひどくつまらなそうな顔をしたのをはっきりと覚えている。初めて会った時からなんでもできた年上の幼馴染み。やたら構ってきてあちこち連れ回して、体力も何もかも負けてるからわたしはいつも最後は嫌な思いをした。
それでも私はあのきれいな顔が静かになるのを見てからというもの、3年前の喧嘩を除いてできるだけその言葉は言わないようにしてきた。悟は本当になんでもできた。
3年前の喧嘩は今でも夢に見る。悟は最強で天才なんだもんね、神様だもんね、ひとりでも平気だもんね。八つ当たりの言いたい放題言って、さあどうだとあの憎たらしい顔を見上げたら。この世の全てどうでもいいみたいな顔をしているかそれとも、私を馬鹿にするあの顔をしているかと賭けたら、悟は静かに諦めた顔をした。ちょっと待ってよ、そんな顔するなんて聞いてない。私はすごく後悔した。
悟が完璧な造形の唇を、わずかに開いて何事か言おうとしたので、私は逃げた。怖くて仕方なかった。それ以来およそ3年、悟とは顔を合わせていない。
海外に逃げ出し、他の術師が行きたがらない辺境の地の任務を中心に回るようにしたというのに、この3年幾度か悟と遭遇しそうになったので本当にあの人は何というか、悪運が強い。3年も逃げ回って、なんだかんだどうにかなったのは手放し難く騙し騙し使っていたiPhone 4Sがついに去年煙を上げて最期の時を迎えたのが大きかったのではないかと思う。現地でなんとか手に入れた怪しげなAndroidには引き継ぎができなかった為にほとんど連絡先が入っていないし、LINEもインストールできなかった。やっぱりニセモノだったらしい。あの人の電話番号は覚えていたけど、入れるのはやめておいた。逃げ出したのに困った時は頼ろうとする自分がみっともなくて情けなかったので。
一生帰りません、と言い張っていたのに結局帰国する羽目になったのは任務中に受けた祓い逃しに当たり、身体に残った呪いを自分では対処しきれないせいだった。指先から入り込んだ呪いは心臓だか脳みそだかに向かって着々と進み、後は何もしなければ死を待つのみと分かっていたので渋ることもできずに大人しく治療の為に航空チケットを取った。逃げ出したのに自分の未熟さですごすごと帰る羽目になり私の気持ちはだいぶ下降していた。本当にみっともなくて情けない。帰りの飛行機でちょっと泣いた。
そんなわけでなんとか高専に駆け込み、後はどうにかするからという言葉に甘えて、意識がぱったり途切れたのが最後だ。両肘に感じる違和感に目を覚ますと、綺麗な顔の男がベッドサイドに寝そべっていたので私は今度こそショックで死ぬかと思った。多臓器不全までいかずとも、間違いなく血圧は下がった。
「あ、起きた?」
「起きました……あの、何してるんですか……」
「肘つついてる。白くてかわいいよね」
片方の腕の違和感は点滴か何かを刺した痕、もう片方はこの人がつんつんと肘の窪みを弄るせいだった。目を覆うものがなんにもないので綺麗な顔が丸出しだ。白くてかわいいのはあなたの方です。
学生時代にふざけてジュノンかジャニーズに書類を出そうとしたことがあるのだけどどれもこれも握り潰されたのが思い出される。3年越しに見る顔だけど、もしかしたら確りと顔を見るのはそれ以上ぶりなのに綺麗な顔は一分の狂いもなく健在だった。
「まず最初にさ、言うことがあるよね」
「ぐ」
「ぐじゃないでしょ。ほら言ってごらん」
肘の内側に浮いた細い血管にひとつひとつ爪を立てる地味な嫌がらせをされて、私は思わず痛くて泣きそうになったけど、色々言い捨てて逃げ出した負い目があるので文句が言えなかった。
「ご、ごめんなさい……」
「もうちょっと詳しく」
「迷惑かけて……ごめんなさい……」
「はい不正解〜」
「いだい!!」
肘を思い切り握られて思わず声が出た。容赦がない。これより痛いのなんて散々経験しているけど、昔っからこの人は本当に容赦がない。
「ただいまが先でしょ。それかお久しぶりです、悟さん勝手に連絡絶ってごめんなさいもう二度としませんのどっちかだよ」
「うぇっ」
「相変わらずだめだね、名前は」
「そりゃあなたと比べたら出来は悪いですよ。当たり前でしょ。どうせ私は万年どころか一生2級です」
ギュっと首を締める真似をされて息が詰まり、息絶え絶えで文句を言うと悟は黙って私の顔を見た。不思議そうな顔をしている。この人は知り合った時からこの辺の情緒がどうも足りていない。付き合わされる側としては本当に面倒くさい。
「名前さあ、結婚しようよ」
「残念ながらお相手はいません……知ってるでしょ、うちは没落家系ですよ。ただでさえ大したことない術式なのに私が勝手に海外行ってるうちにどんどんいなくなって没落も没落、今や多分私と弟しか残ってないのでお見合い相手もつきません」
「本当に出来が悪くてびっくりしてるんだけど、高専でかわいい後輩たちと一緒に国語習う?今のは僕と結婚しよ、って意味だったんだけど」
「え?今の私の読解力のなさが悪い?どう考えてもそっちの言葉が足りてないし結婚はできません」
「先輩命令です」
「無理〜はい無理!」
大声出したら頭が痛い。多分気絶した時にぶつけたんだと思う。もぞもぞして頭を触るとやっぱりネットの感触があった。そもそも急に意味のわからないことを言われて二重に頭が痛い。
「どうして?どうせ今もオトコいないんだろ」
「どうせとか言わないでくれます?いませんけど!」
「じゃあ何がダメなんだよう」
かわいこぶって口を尖らせてもだめだ。私はずっと前から突きつけられてきた、この人がどれほど圧倒的で、代わりのいない存在であるかということを噛みしめた。ジャングルの奥に逃げた私と何回か遭遇しそうになったのがいい例だ。この人じゃないとだめだから、この人じゃなきゃどうしようもないから、裏を返せば私じゃだめだから、そういう事象がこの世には多すぎる。
この人が言う通り五条のお家は確かにクソかもしれないけど、多くの人が何百年も待ち望んだ奇跡のかたまりとはやっぱり結婚できないと私は思う。冴えない凡人の血をこの完璧なひとと交わらせようという意欲がない。
「……五条さんは自分がどれだけすごいのかちゃんとわかったほうがいい」
「わかってるよ。最強だもん」
「わかってない!超平凡な術師と結婚して何がしたいの?愛人持ってちゃんとした子孫を残すならそれでいいよ、でも結婚相手はちゃんと選んだ方がいい」
「僕は術師と術師の交配がしたいわけじゃなくて、結婚がしたいんだけど」
「まさか、五条さんがごくごく普通の結婚観を持ってるなんて思いもしなかった」
「本気で驚いた顔するのやめてくれる?」
あまりのショックで今度こそ血の気がひいて多臓器不全までいくかと思った。まさか私の方が"呪術師的"結婚観を持ってるとは思いもしなかった。
「普通に結婚したいにしても、結婚相手はちゃんと選んだ方がいいよ。まさか適当に虐めやすい子分から選んでる?止しなね、ちゃんとした結婚がしたいならちゃんとした手順で選ぶんだよ。結婚相談所に登録する?タップルのが気楽でいいかな?」
「まさか本気で言ってる?うわ、ちょっと本気で引いた」
「いやこっちの方が引いてるよ」
「じゃあどうしたらわかってくれるわけ」
肘を掴んでいた手は私の左手を握り、悟は小さい声で呟いた。げ、はっきり指の痕ついてる。
「わかりません。五条さんただでさえ行動が不思議なんだからちゃんとどうしてそう思ったかとりあえず説明してください」
「とりあえず呼び方が他人行儀ですごく寂しい」
「う、わ。鳥肌たった」
鳥肌はどうでもいいからとりあえず呼び方直して、と言われて私は渋々頷いた。ところで蔓延ってた呪いの名残はどこにいったんだろう。どこにもいなそうだからきっとこの人なり誰かが祓ってくれたんだろうけど。
「仕方ないなあ。まあ小さい時から根性があってかわいいなと思ってたよ。高専の時もだけど。それでしばらく会わなくて、今日死にそうな顔見てとりあえず結婚しとこうと思った。死んだら困るし」
「へ、へえ〜」
「露骨に引くなよ」
「いや出会った頃にまで歴史が遡ったので心当たりなさすぎて引きました」
「いやあ、最近気づいたんだけど僕は好きな子ほど構いたくなる性質らしいね」
「今更すぎる!」
「気付いてないと思わなかったんだもん」
「気づくわけないでしょう」
「周り何人かは気づいてたらしいよ」
「う、嘘。怖……」
悟はまた飽きずに私の肘の内側のくぼみを抉り、私は白い頭のつむじを見た。悟が衝撃の幼い頃からの恋を語ったので私も同じくらいの誠意を見せないといけないんだろうなと思った。むしろ踏ん切りがつかない私を見兼ねてこっちに歩み寄ってくれたのかもしれない。本当かどうかわかんないけど。
「わ、私ずっと謝りたくて」
「え、何を?」
「3年前、酷いこと言って、ごめんなさい……」
「……」
綺麗な目玉が大して驚きもせずに私を見た。あんまりにも綺麗なので昔はこの人の隣に立ちたくなかった。今は、久しぶりに会ったし大人になったので昔ほど嫌ではないけど。
「だめ。ごめんなさい、本当はずうっと大好きです悟さんずっと一緒にいてね、離さないでねって言ってごらん」
「ぜ、絶対言いません……」
「誠意を見せてよ。そうだな、それが嫌なら」
「い、嫌だ……」
「まずはLINE交換しよ。名前、僕のことブロックしただろ」
悟が私のパチモンAndroidを勝手に弄って「なにこれ、LINE入ってないじゃん」と文句を言った。私は急に息が詰まるようで「それ、間に合わせで調達したやつなので」とやっとのことで言った。
「明日iPhone11買ってきてあげるからそれまで我慢しなよ。何色がいいかな。あ、とりあえず今のに電話番号入れて」
「う、うん……」
違和感の残る人さし指でアドレス帳に携帯の番号を打ち込んでいく。こんなことさせられるなら、大人しく買った時に入れておけばよかったと今更後悔している。
「なんだ、ちゃんと覚えてるんじゃん」
悟が機嫌よく言って私の頭を撫でたので私は本当に悔しくて恥ずかしくて、その勢いのまま明日には手放すAndroidもどきを布団に放り投げた。
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