二階堂大和は私に死んでほしいそうだ
「俺を思うなら、殺されてくれないか……」
口の端からあつい息を漏らして、仰向けの私に馬乗りになって、大和さんがささやいた。聞き取れたのはそれだけで、他は何ごとかぶつぶつ呟いている。焦点は合わず、頭が不規則にふらっと揺れる。様子がおかしいのは明らかだった。
自分の秘密が暴かれる目前、背後のドアが今にも開いて自分を責める「誰か」が突入してくるんじゃないかと気にするように視線を送り、息は浅く、瞳孔が変に開いていた。向けられたライトがきっと眩しいだろうに、興奮状態の彼はそんなことも気にしていないようだった。
「ごめん、俺……もうこうするしかなくてさ」
「うゔ……っ」
「ごめんな、苦しいよな……」
大和さんは私にのしかかったまま、大きな両手を私の首に回した。肺が圧迫されている上、手に力を込められて気道が苦しい。かすれた声さえ出なくて、何回かむせた。
「俺はやっぱり要らない人間なんだよ……死ぬしかないんだ。生きてても誰かに迷惑しかかけない、このままじゃアイツらにもっと迷惑がかかる……自分だって、死んだほうが楽だって、わかってる……でもひとりで死ぬのは怖いんだよ。わかってくれる?……はは、俺、何言ってんだろ……ごめん、本当にごめんな……」
「お願い、もうやめて……!」
「やめる?いったい何を止めるんだ?俺はもう、死ぬしかないのに……!」
「こんなことして何になるの……!きっと後悔する、ちゃんと考え直して……ううっ!」
大和さんはその目に暗い光を灯して、泣きそうに顔を歪めた。ぼたぼたと涙がレンズを経由して滑り落ちて、私の顔を濡らし、それが目に入って痛かった。
「頼む、一緒に死んでくれ……俺の為なら何でもしてくれるって言ったじゃないか……!」
「嫌っ……!」
首を絞める手に力が入り、私は必死に大和さんの手に爪を立てた。痛いだろうけど、私の方が痛くて苦しいし、痛みで正気に戻ってくれたら、と思った。
「大丈夫、泣くなよ……俺もすぐに後を追うからさ」
「うぐぅ……!!」
「はは、嬉しいな。やっと俺は自由になれるんだ……」
「う、うう……う……」
死にたくない!伸びた爪が大和さんの手の甲にひっかかって、大和さんの皮膚を削り、それが爪の間に少し入った。うわ、最悪……。
「カット!映像確認します」
「……名前ちゃん、大丈夫?」
「げほ、だ、大丈夫です……」
「あー……ごめんな?スポンジ挟んでたけど、ばっちり跡ついてるわ……」
さっきまでのしかかっていた大和さんが手を引いて私を起こした。片手には私の首に重ねていたスポンジがある。
スポンジを重ねたとはいえ、演技なのに、この人マジで絞めてきた。鼻水出そうだし、涙はちょっと出た。あまりに躊躇しないので、まさか本当に人の首絞めたことあるのかな?ってちょっと本気で思ったくらい。……ま、まさかね。
「私こそ手、引っ掻いちゃった。大丈夫ですか?消毒してもらったほうがいいかも」
「めっちゃヒリヒリしてる。名前ちゃんのも冷やしていいか聞いてくるよ」
「うーん、私はこの後仏さんやるから、待機ですかね……」
「そっか。じゃあちょっと待ってて」
「はい」
私たちが首を絞めたり絞められたりしていたのは別にどちらかの趣味とかではなく、サスペンスドラマの撮影の為だった。あのまま私は窒息死する役だ。犯人は言わずもがな、大和さん。
木曜日にやってる長寿ドラマの2時間スペシャルで、「幼少期の体験により人間不信になった連続殺人犯」を大和さんが演じ、私は「殺害現場を目にしてしまい、説得を試みるも殺害される恋人役」というありがちな設定だ。
ありがちな事件を何十年も続けているのに打ち切りにならないのは、偏に変わり者のくせに人の心を理解して時に鮮やかに時に闇を残したまま事件を解決する主人公の人気だろう。今回のエピソードでは、この後大和さんが恋人の後を追って自殺を試みるも失敗し、更に罪を重ねていくことになる。
私はあとは殺された遺体としての撮影だけだが、大和さんにはセオリーに則って「崖の上で自分の罪を正当化するも、主人公に正論で説教され、幼少期のトラウマについても『全ては君のためだった』と受け入れがたい新事実を告げられ、号泣しながら崩れ落ちる」というシーンが待っている。お約束ながらこういうのがいちばん難しいやつだ。そういうことで、私の首はこれから絞め殺した跡をメイクで塗られるので冷やしても無駄というわけ。
「お待たせ。飲み物もらってきたから飲めば?」
「ありがとう…… あー叫んだ喉に、水が染みわたるわ」
「本当に悪かったって……」
「びっくりしましたよ、マジで絞めてくるから。顔もめちゃくちゃ怖かったし……本気で殺されるかと思った」
「はは……」
戻ってきた大和さんは、ガーゼの貼られた右手にペットボトルをひとつだけ握っていた。
行きしなに監督から「最終シーンは手の傷をメイクで目立たせて撮ろう」という話になったと聞かされたらしい。死んだ恋人につけられた傷をそのままにすることで、手当てする余裕も無かった追い詰められっぷりを表現するのだという。
それにしたって大和さんの顔色が悪い。撮影中ら全然気にならなかったけど、俯いた横顔に暗い影が落ちた。
「……大和さん、大丈夫ですか。顔色が悪いですよ」
「マジ?ちょっと寝不足なんだよな……それのせいかも」
「私よりよっぽど水飲んだ方がいいですよ。もらってきましょうか」
「いや、平気……ごめん、心配しないで」
大和さんは「やっぱそれ頂戴」って言って半分くらいしか残っていないペットボトルの水をひと息で飲み干した。
「……水もらってきます。本当に顔色よくないですよ。そう、小鳥遊さん呼んで……」
「待って!あ、あのさ」
「大和さん、ひとりで抱え込んで無理するのは長所じゃなくて短所ですよ。救急車で運ばれてからじゃ遅い」
「……今日の役を昔の自分と重ねて、最悪の気分だっただけだよ。だから、マネージャー呼ぶのだけは無し」
「……まあ、確かに大和さんっぽい犯人だな……って思いましたけど」
「頼むから昔の、ってつけて……」
「でもやっぱり水飲んだほうがいいです。顔色悪いのは本当だし」
「……」
沈黙する大和さんを置いて私はパイプ椅子を立ち、飲み物を取りに向かった。水は1日3リットルくらい飲みたい人間なので、私の分ももらおう。
大和さんと私の出会いは、大和さんが中学生の時、通称千葉サロンにて。大和さんが私に初めてかけた言葉が「お前も親父のオンナ?」で、当時から私が年下の彼を大和さんと呼んでいたことから、私たちの関係については察せられるだろう。
ユキさんに分厚いお年玉袋を渡してパチンコを勧めたとかいう擦れてる伝説も聞いたことがあるけど、当時の大和さんは今から考えられないくらい私に冷たい態度をとった。むしろそっちの期間の方がずっと長いので、今の態度になってからは喜びこそすれ、しばらく慣れなかったくらいだ。
そもそものきっかけの話をするなら、私が気安く「あなたが大和くん?あなたのこと、お父さんからよく聞いてるよ。仲良くしてね」って声をかけたのが先なので、今思えば私も悪い。私だって言った後に(今の言い方、お金目当ての悪い愛人っぽかったな……)って思った。ともかく、大和くんって呼んだのは後にも先にもあの1回だけ。
当時の大和さんにした言い訳は、今でもよく覚えている。私は小学生の時から子役として活動していたのだが、志津雄さんには「愛息子と年の近い子供」としてよくしてもらっていて、本当に大和さんの話をよく聞いていた。「年の近い子供なら友達になりやすいだろう」という思惑込みで私が千葉サロンに連れて行かれたのだと、当時の私でさえわかったから、それについては大和さんもよく理解していたことだろう。大人たちの思い通りには何ひとつならなかったわけだが。
ちなみに当時の大和さんは私のことを名前って呼んでいて、名前さんなんて呼び方になったのは、大和さんがデビューしてしばらく、胡散臭い顔で楽屋に共演者として挨拶にきたときからだから、それまでの私たちの関係は最悪だった。
あの時は、可愛いマネージャーさんを伴って挨拶に来た大和さんが「アイドリッシュセブンの二階堂大和です。今日はお世話になります。よろしくお願いします」なんて新人アイドルの顔をして言ったから悪い冗談か、自分がまだ自宅のベッドで悪夢を見ているのかと思った。大和さんが目で「話を合わせろ」って訴えかけてきたので、(当時の力関係を思い出して)必死に初対面の男性アイドルに接するよう努めたが、とっさの芝居が下手すぎて大和さんにはマネージャーさんの肩越しに汚いものでも見るような目で見られた。ちなみにその日は大和さんにされた仕打ちを思い出して寝れなかった。
そういうわけで、私たちは最悪の出会いに始まりその後も長い間散々な関係を続けてきたので、その期間を思えば本当の意味で友人同士となったのは数年前とはいえ、つい最近のことだ。大和さんが志津雄さんと和解して、その流れで私ともようやく気安く話せる間柄となった。一生知れないだろうと思っていた大和さんの本心が聞けたのは本当にアイドリッシュセブンのみんなのおかげ。
感謝のあまり、和解直後だった数年前はアイドリッシュセブンの皆に食べ物を貢ぎがちで(四葉くんが好きだというので王様プリンが多かった)、大和さんからは「恥ずかしいからやめて」と嫌がられていた。
デビューしたてだったアイドリッシュセブンが今では国を代表するような人気っぷりになったのもあって、最近は代わりに大和さんに貢ぐようになり、この間は2人で高級焼き肉に行った。タン塩ばっかり食べてドン引きされた。接待じゃない時くらい、好きな肉をおなかいっぱい食べさせてくれ。
話がだいぶ逸れたが、そういうわけで今回の役は大和さんにとって大歓迎というわけにはいかないようだった。いろんな仕事が選び放題とも言える大和さんだが、超人気シリーズのスペシャル回に犯人役での出演となればファンは喜ぶ。そう思って引き受けた後に、上がってきた脚本を見て小鳥遊さんは青褪めたことだろう。大和さんはきっと、大丈夫だと笑って台本を受け取り、台本を完璧に読み込んで、そのくせいつも以上に緊張して撮影所に入ったに違いない。撮影所に入ってきた時の大和さんはへらへらした顔を見て私の気分は最悪だった。
脚本家の先生は長年このシリーズを担当していて、過去にも同じような事件を書いているし、特にその件について知らなかったのだと思う。知っていたのなら当て書きの役にしては趣味が悪いし、もっと違う路線の犯人にしたほうが面白い。例えば、素人考えだけど挙げるなら、一人称が「お兄さん」とか。
柔らかすぎるペットボトルの水を2本もらって、大和さんの所に戻る。大和さんはさっきと同じ姿勢のまま、顔色は少し良くなっただろうか。しかしそれにしても。
「本当に人、殺してきたみたいな顔してますよ」
「はは……そりゃそうだろ。殺したはずの過去の自分を演ってるんだから」
「そんな顔するなら、降りればよかったのに……」
「脚本できてから降りたら、知ってるやつは絶対自分にとって嫌な役だからだと思うだろ。まあ、その通りなんだけどさ……」
「その通りだねえ……」
大和さんは柔らかすぎるペットボトルを慎重に開けて、中身の水を勢いよく煽った。これがビールだったらいい飲みっぷりだと声をかけていたけど、あまりに落ち込んでいるのでやめておいた。
「私もまたそういう役が来たら悩むよ。もしかしたら自分がこうなってたかもって魘されるから」
「……名前さんも?」
「意外?前にそういうのやった時、すごく嫌だった。役になろうとすればするほど最悪の気分だったし、終盤は毎日ゲロ吐いてたから次は事務所が断ると思う」
「……」
「しかも映画だったから撮影長くて最悪だった」
「うわ、どの映画かわかったかも」
大和さんはそう言って映画のタイトルを挙げた。大和さんがチェックしてるなんて意外だな、と思ったけどユキさんが出てたから目を通しているのかも。猟奇小説の実写化で、幼い頃から注目されていた天才ピアノ少女が、成長につれて賞賛を失い、著名な男を次々に殺してはその肉を食べる話。ちょうど子役としての仕事を失った頃の仕事だったので痛いほどささった。
「もしいくつか道が違えば、自分はこうやって……こういう思考回路で人を殺すんだなってリアルな例をわからされた」
「今日の俺と同じ感想だ」
「じゃあ、ユキさんにその時言われた言葉、教えてあげるね。『でも、君には僕がいる。だから、君は人を殺しそうになることはあるかもしれないけど、殺せない』だって」
「うわ、言いそう……」
「ね。ゲロまみれの女の手を取って真面目な顔でそんなこと言うから、うっかり惚れそうになったよ」
「うわあ……」
「ユキさんに今日の事連絡しておいてあげるね。私、本当にやばい!ってなったらユキさんに電話するように言われてるんだ。その時は全力で止めてくれるんだって」
大和さんが心底嫌そうな顔をした。ユキさんが、「大和くんのためなら……」っていつもの穏やかな、少し困惑した表情で受け入れてくれるところを想像したのだと思う。
「大和さんも”役にイヤ〜な共感しちゃう俳優”の仲間入りだね。おめでとう」
「マジで嫌な話だな……」
私もペットボトルの蓋を開けて、一口だけ飲んだ。口にためてから飲み込むと、のどが痛い。首を絞められて、そんな状況で叫んだせいだ。明日の仕事に響かないといいんだけど。
「でも、逆に安心したでしょう。自分は絶対こうはならないぞ、って思えて。ね、決意も新たになって」
「……まあ、そう思わなくもないけど」
「アイドリッシュセブンの皆のおかげだね。よかったね」
「……」
「違うの?」
「違わないけど……わかってるよ、あいつらのお陰で今ここにいるんだから……」
大和さんの声が急に小さくなったので、私は意味を察してにやにやした。昔っから虐げられていた側とはいえ、大和さんがこういう風におたおたしてるのはやっぱりおもしろくて仕方ない。あまり虐めすぎると大和さんも「立場ってもんをわからせてやる」モードに入るので、私がユキさんみたいからかえるようには一生なれないだろうけど。
「ふふ、皆のおかげで今の大和くんがいるんだもんね。皆がいなかった未来なんて考えられないくらい、今幸せなんだもんね」
「だーっ!!あんたはどうしてそう、こっ恥ずかしいことばっかり……!」
「みんなに愛想尽かされないように、たまには素直に感謝の気持ちを伝えないとダメなんだよ?夫婦円満の秘訣ってユキさんも言ってたでしょ?安心して、今のセリフはバッチリ録音して和泉くんに送っとくから!」
「ありえねえ!ってかどっちの!?」
「お兄ちゃんの方」
「最悪!!!!」
こっそり録音モードにしていたスマホを奪おうと大和さんは腕を伸ばし、私はパイプ椅子を蹴り立って、「やだあ、大和さんって案外腕短いね!」と身を捩って逃げた。大和さんはその辺結構気にしてるっぽくて、「胴が長い話はするな!」って怒って私に迫った。誰も胴の長さの話はしてない。いいじゃん、日本人らしくて……迫られた分、私は後ろに逃げる。
「マジ無理!ミツのやつ、絶対うちのやつらに聞かせて回る!それで、生温かい目で俺におかえり〜って言うに決まってる……!!」
「いいじゃん、皆に聞いてもらったら」
「あ、あのなあ……!」
大和さんは額に汗を浮かべて未だ私の手中にあるスマホに手を伸ばし、私はもう一歩後ろに下がった。ら、背中にコンクリ打ちっぱなしの壁がぶつかった。行き止まりだ……
勝利を確信して、大和さんは得意の悪人面でめちゃくちゃ悪そうに笑ったが、今度は私が冷や汗を垂らす番だった。その顔はかつての散々な目に遭った、恐ろしい日々を思い出させ、背筋が震えた。大和さんの息がかかるくらい近い。
「あんまりからかうと酷い目に遭うの、忘れたのか……?」
「ひぃ……!」
大和さんが壁ドンのお手本(177センチ男性)として教科書に載せられるくらい、完璧な壁ドンに加えて、耳元で脅すコンボまで決めたので、私はかなりビビった。その悪人面で囁くな!かつての恐怖体験がフラッシュバックしそう。
あまりに起用にこなしたので、この人、壁ドンやるような少女漫画の実写化出てたっけ……?と意識が逸れたが、どんなに頑張っても去年和泉くん(弟の方)が出ていた、スーパーツンデレ腹黒御曹司が超貧乏な転校生に一目惚れするやつしか出てこなかった。大和さんの最近の出演作はサスペンス・ホラー・ミステリーとどれも映画予告のスケールがでかすぎる系のやつばっかりだ。現実逃避したのに、結局悪人面の大和さんに辿り着いて、腰が震えた。
壁にドンしてた筈の片手がいつの間にか腰に這わされて、シャツの裾から侵入してくる。人差し指が腰を叩いて、その振動が身体の中心に響いた。乾いた指先があつい。
「なーんてな、お兄さんを揶揄うのも程々に……よし、ミツには送ってないみたいだし、この辺で許してやろう」
「や、大和さん……」
「え?」
「こ、腰が……」
「マジ?そんなことある……?ごめんな、お兄さんのエロい魅力がヤバすぎて……」
「ねえ、腰、触るのほんと無理……」
「あ、マジのやつだ……」
「あとスマホ返して……」
大和さんがごめんね……と言って私の肩を支えて立たせてくれた。ついでに取り上げられたスマホも返ってきた。初めて出会った日、志津雄さん顔負けの眼光で私を睨んだ若かりし頃の大和さんが知ったら、今の私たちに眉をひそめることだろう。
「だ、大丈夫?この後撮影頑張れる?」
「が、頑張る……」
「そ、そうか……」
気まずそうに視線を逸らした大和さんの眼鏡が、かちゃっと鳴るその音にさえ反応してしまう。前から思ってたけど、眼鏡調整した方がいいと思う。
しかし、あの時は知る由もなかった互いの手の温かさだとか、本当に考えていることだとか、そういうものに触れる度に、昔の私たちとの温度差で空回ってふたり揃って気まずい思いをする。
恐る恐る顔を上げれば、大和さんも思った通りの表情をしていた。私たちは似た者同士で、「ひとりで死ぬのは怖い」も「君のためになんだってする」も役柄に収まらない、なんなら「俺のために死んでほしい」だって、互いの本心に違いなかった。大和さんが困り切った様子で眉を下げたが、撮影再開の声はまだかからない。
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