ジューンブライド
ナギが恋愛について、驚くほど奥手なのを知った時、俺とミツは顔を見合わせて「やっぱりな」「なんとなくわかってたよ」という顔をした。あの時ナギは、そんな俺たちを見てよくわからないというように無駄に綺麗な顔に疑問符を浮かべて、首を傾げたのだった。
フェミニストで博愛主義、それでも誰かひとりの手を取らないのはナギの性格の問題だけじゃないと薄ら気がついていた。だからナギはずっと恋人がいなかったし、これからもずっとそうなんじゃないかと俺たちは何となくそう思っていた。
ナギはそんな「ワタシを愛する人全てを愛する」という博愛期間が長く続いた後に、初めて人を好きになって、そこから長い片思いを経て、紆余曲折の末、生まれて初めて本気のアイラブユーに返事をもらうことができたのだった。
あのナギが、(顔面こそ少女漫画だが)今どき少女漫画でも見ない純愛物語と格闘しているのを、俺とミツは時に嗾しかけ、時に見守った。そして、ようやくナギが清い交際にこぎつけた時には、ふたりで朝まで飲んだ。なので、ナギの恋愛事情は一部を除いて俺たちに筒抜けなのだった。
ふたりの交際は順調に進んだ。ナギの生来の優しさや弱さを、交際相手のあの子はちゃんと受け止めて、もらった愛情の分だけナギに返した。ナギは本当に幸せそうで、俺は「ナギは名前ちゃんと結婚するんだろうな」となんとなく思っていた。もちろん、六弥ナギ──ナギ=ヴァルファルト=フォン=ノースメイアの結婚には様々な障害があることは承知した上で。
アルコールの1滴もなしに、久しぶりにナギが泣いた。
「ヤマト、第230回の打ち明け話会をしましょう」といつものように俺を誘って、最初の1時間ナギはずっと思い詰めた表情で、会話はもちろん弾まなかった。そうして涙を零してから、ようやく「名前の手を離すことが、名前の幸せなのかもしれない」と静かに呟いた。俺はそんなことないよとナギを慰める。
「ワタシに結婚を申し込まれたら、きっと多くの女性は喜ぶでしょう。ずっと、そう思っていました……だからこそ、ワタシは一生結婚を選ばないつもりだった」
「でも今は違うんだろ?ナギ、お兄さんはナギが幸せになるところ、見たいよ」
「ヤマト……そっくりそのままお返しします」
ナギは呆れた顔で俺の方に掌を見せた。ただでさえ自分の恋人と喧嘩中なのに、人の恋愛相談に乗るなんて、ナギじゃなかったらとっくに切り上げてるよ。ナギは「ヤマト……ワタシ、ヤマトの優しさ、ちゃんと分かっていますよ」とにっこり微笑む。だから、そういうのはいいって!
「ワタシがどんなに魅力的でも、彼女を愛していても……この先一生、ワタシの存在が彼女を苦しめるでしょう。ノースメイアの第二王子の名前はただの人には重すぎる。もしかしたら、ただの六弥ナギでさえ、彼女には」
「ナギ……」
いつもテンションの高いナギがこんなにも沈んでいるのは、記憶の中でも数度しかない。未だに熱心に追っているここなちゃんのグッズを買えなかった時ならまだいい。ナギがノースメイアに緊急帰還した時が思い出されて、眉間に力が入る。いつだってナギに自信を失わせるのは俺たちじゃなくて、ナギの生まれや育ちにまつわる事だった。
「ナギ、お前それ、ちゃんとあの子に言ったか?」
「いいえ。彼女に言えるわけがありません……名前がワタシの伴侶となることの意味に……そのことに気付いてしまったら、きっと彼女はワタシを失望せまいと、苦しめたくないと、ワタシの元を去るでしょう………ヤマト、想像しましたね」
「してないしてない!ナギ、分かってるんじゃないか」
「何をです」
「ナギは、あの子が何を選んでも失望しないし苦しまないって」
「……」
ナギはきれいな青い目で俺をじっと見て、ため息をついた。
「ワタシは名前の選択に失望しないし、苦しむこともありません」
「そうだな」
「それ以上に、幸せになれると確信しています」
「そうだな、お兄さんもそう思うよ」
「ヤマト、ワタシは外出してきます。今夜は戻りません」
「はいはい、戻ってきたら尻蹴飛ばして追い出してやるよ」
「ヤマトも、早く仲直りできるとよいですね」
ナギは涙の跡の残る顔で、優しく微笑んでリビングのドアを静かに閉めた。
「言われなくたって、すぐにするよ」
ナギの足音が去っていき、もたれかかっていたソファに深く身を沈める。皮肉でもからかいでもない、ナギの本心だと分かっていたので、反論は聞こえなくたって構わなかった。涙の跡だって、俺が拭わずともきっと、ナギの愛するあの子が拭ってくれる。
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