見えない影さえ好きでいたい

百くんは片付けが下手なので、あまりに忙しい日々が続くと部屋がいわゆる汚部屋になるのだという。できなくはないんだけどついつい後回しにしちゃうんだよね、と百くんは語り、「ユキが仕事終わって、これからうちに来るんだって!片付け手伝ってー!!お願い!!!!ユキさんに汚い部屋見られたくないよー!」という電話に呼び出されたことも一度ではない。

そうして私が百くんの家でせっせと燃えるゴミ燃えないゴミ、ペットボトル、と分類していると百くんはしみじみ言うのだ。「片付け上手な名前ちゃんがいてくれてよかった」と。私は「やだなあ、大したことないよ。っていうか百くんはもうちょっとこまめにやってよ!せめてペットボトル飲んだら捨てて!虫が湧くよ!!」と軽く返す。それに対して百くんは「む、虫の沸いた部屋にはさすがに名前ちゃんも呼べない……」と冗談か本気かわからない冷や汗を垂らす。さすがに遭遇したことがないから言えるジョークだ……沸いたことないよね?

そして、ふたりでとりあえずゴミを捨てて、あるべきものをあるはずの場所に戻した部屋で、百くんはぎゅっと私を抱きしめる。「名前ちゃん、手伝ってくれてありがとう」「これに懲りたらもうやらないでね」「……うん」「やらないでね!」「頑張ります……」というやりとりを何度繰り返しただろう。

百くんの部屋は定期的に汚くなり、私が呼び出される。一時期の百くんは本当に辛そうでかわいそうで見ていられず、どんどん弱っていって、ついには私が呼び出されることもなくなった。その頃は勝手に部屋に入って掃除をしていた虚しさを思えば、こうして泣きついてくれるだけまだマシなのかもしれない。

そして、今日。百くんはいつものごとく「ユキが来ちゃう!!!!嬉しいのにマジで困る!!どうしよ、助けて、名前ちゃん……」と電話をかけてきたので(最後は半分泣いてた気がする)、私は百くんの部屋に急行した。

訪れた部屋は、今日はいつにも増してひどいありさまで、床の上にはペットボトルが乱立していた。部屋に入って早々足で倒してしまい、ため息が止まらない。まずはペットボトル回収から始めることにする。百くんのじゃなかったら、いつ飲んだのかもわからないペットボトルなんて絶対触らないんだからね……!!

「百くん、千さんはいつ頃来るの?」
「まだ家出てないっぽい……今日、配車遅れてるみたいで」
「じゃあもうちょっと綺麗にしたらゴミ捨ててこようかな……百くんテーブル拭いて。私掃除機かけるから……」
「うわ、久しぶりにテーブル見えた……」
百くんのうちのテーブルはおしゃれな全面ガラス張り。百くん曰く、「ユキ的には『モモの部屋は西日がさすから、暑い日に割れるかもしれない。地震がきたら物が落ちてきて割れるかもしれない。危ないからやめた方がいい』って言うんだよね」とのことだが、地震が来るより百くんの不注意による落下物で割れる方が早いんじゃないかと私は思っている。百くんは運動神経もいいけど、さすがにこの部屋の惨状を見ると無いとは言えない。

ほとんど目につく範囲は広い終えたペットボトルの袋を避けておいて、次は燃えないゴミを集める。百くんの高級マンションには専門の回収業者が入っているから、ゴミの分別が楽で助かる。
「ユキ……配車トラブルで遅れてるみたい。おかりんの車で来るかも」
「やば、それは超特急でやらないとまずい……」
いつもは速攻片付けてゴミを捨てて千さんが来る前にさっさと帰る。百くんは「ゆっくりしていったらいいのに」と残念がるけど、私としてはそれはできれば遠慮したい……

千さんの私に対する興味は百くんに対するそれのおよそ1/1000以下だと思う。いや、もっと低いかもしれない。百くんの恋人として認知されているだけでマシ、いや「僕のモモをたぶらかして……」と恨まれないだけマシだと思っている。

千さんとは、掃除を終えて百くんの部屋を去る時に玄関やエントランスですれ違うこともしばしばで(高級マンションなので、エレベーターでは住民同士が会わないようになってる)、その度にギリギリセーフ!と安堵している。会うといつも綺麗なお顔の小さな口で、囁くように「帰っちゃうの?」と聞かれるので心臓に悪いのだ。そんな姿を見るたびにドキっとしてしまい(仮にも百くんの"ダーリン"相手にドキドキしているのは百くんに知られたくないけど、多分千さんからバレてる)、「いや、渡すものがあっただけで、今日急いでて……」としどろもどろになって話すのだが、それに対して千さんは「そう、またね」と長い髪を靡かせて去っていく。そんな儚い姿は疲労がそうさせたのだと知っていても、ポーッとするくらいに綺麗なのだ。できれば出会したくない。30分もしないで来るはず、早くゴミ捨てて帰ろ……

「前に和泉兄弟が来たでしょ、いつもあの時くらい綺麗ならこんなに焦らなくてすむのにね……」
「名前ちゃん、無理なのわかって言っておりますな……あ、でも一織がね。また荒れたらどうにかしに来てくれるって。律儀だよね、ちょっと泊めてあげた先輩に恩を……」
「え、一織くん来るなら私でなくてもよくない……?」
「えっ、それはちょっと……」
百くんが露骨にそれは困る、と言う顔をした。百くんの家に和泉兄弟が押しかけて来ていた頃、百くんが史上最大級に文化的な生活を送っていたのはよく覚えている。最近掃除してないなと顔を出したら、部屋が片付いていたどころか、和泉三月くんが作り立てのごはんをタッパーで持たせてくれたレベル。

「み、三月は!全部捨てちゃうから!!ダストボックス!シュート!!って!全部だよ!一織も捨てろ捨てろって言うし!!」
「百くん、何隠してる?……まさか、本当は虫出たの?」
百くんはあわあわして、視線は左右に振れ、一頻り「何でもない!何でもないんだよー!」と言い訳した後に、しょんぼりして白状した。よかった、このしょんぼりの仕方はまだ元気の余ってる百くんだ。

「名前ちゃんが来てくれると、いちゃいちゃできるから……」
「……いちゃいちゃしたいから部屋汚くしてたの?」
「それは違う!!……部屋汚いと名前ちゃんがしょうがないな……って来てくれるから、言い訳にしてた……」
「百くん……」
しょんぼりした百くんに、犬の耳としっぽが見える。ちなみに千さんといる時の百くんは、私には飼い主が大好きで仕方ない柴犬みたいに、ピン!と立っているように見える。

「……私呼んだって、私だって……別に掃除得意じゃないし……自分の部屋すぐ汚くしちゃうし……」
「……うん。それでも手伝ってくれてありがとう」
百くんは知ってたんだ。私が伏せた視線を慌てて上げると百くんは意地悪したりからかったりする時の顔じゃなくて、ひたすら優しい彼氏の百くんの顔をしてた。

「……知ってたの」
「えっでも、なんとなくだよ!?去年の春に、名前ちゃんが風邪ひいた時に部屋ちょっと見に行って追い返されたじゃん……それに、名前ちゃんいつも急に行くと部屋入れてくれないし……」
「は、恥ずかしい」
「黙っててごめんね……でもね……」
「いちゃいちゃしたかった?」
「うん」
恥ずかしすぎてもう穴に埋まりたい。もうルンバ、買おう。ルンバ買ったらルンバのために床に物置かなくなるし、ルンバが床綺麗にしてくれるし……ぎゅうと抱きしめてくれる百くんの腕の中で悶々としていると百くんは「黙っててごめんね、でも照れてる名前ちゃんもすっごくかわいい」と顔にめちゃくちゃキスをしてきた。は、恥ずかしい……何もかも恥ずかしくて無理……
「あーオレの彼女が世界いちかわいい……!」
「それはどうも……」
「叫んでもいい?」
「ダメ!いくら百くんの家が防音バッチリの高級マンションでもダメ……!恥ずかしくて無理!」
「名前ちゃん大好き!!!!」
「やだ!」
「やだって言われても大好き!!モモちゃんから大好きのチューをプレゼント!!」
「やだー!」
持ったままの燃えないゴミの袋がガラガラとうるさいので一度置いた。かわいいキャラクターに反してがっちり鍛えてある百くんの胴まわりにしっかり腕を絡める。

百くんは以前お仕事についてものすごく思い詰めていた時期があった。心配した私が何を言っても百くんから返ってきたのは「大丈夫だから、何も心配しないで」「しばらくお仕事頑張るから名前ちゃんには会えない」という柔らかい拒絶だった。ゼロアリーナの柿落としやそれに関わる一連のお仕事が終わった頃に百くんは「酷い態度を取って……何もしてあげられなくてごめんね」と私に謝り、そして以前にも増してお仕事に励むようになった。だから私は百くんの思いつめた顔が怖い。百くんの胸に横顔を寄せると、より一層腕の力が強くなった。

「私遠慮してたんだよ……あんまり百くんち行くと危ないかなとか、迷惑かなとか」
「危ないっていうのは……モモちゃんが?」
「違う!週刊誌とか……」
「ああ、そっか。そういうのはオレが心配するから、名前ちゃんは気にしないで」
「うん」
百くんの指先が私の背中を優しく撫でた。百くんの指を飾るRe:valeの指輪が、確かに百くんがここにいることを教えてくれる。私と出会うより先に百くんはその指にそれを嵌めていたから、百くんが百くんであるためにそれは間違いなく大事な役割を果たしていると知っているから、それに嫉妬したことは一度もなかった。
「アイドルのオレを怖がらないで……」
「もう怖くないよ」
「昔は怖がってたじゃん……」
「今は、アイドルの百くんが大好きだよ」
私は百くんがアイドルだと知らずに付き合い始めて、知った後にアイドルとの恋愛に(それからあまりに美形すぎる相方の存在にも)恐れを成して逃げ出したことがあるので、百くんはこの手の話題にすごく弱い。それでも、ここまでしょんぼりぐずぐずの百くんは珍しいな。年に1回、いや半年に1回くらいしか見れない。

「もっと言って……」
「……気にしてるけど、怖がってない。大好きだよ」
「やっぱり気にしてるじゃん!!」
「ごめん、自分に正直なもので……百くんち、うちと比べものにならないくらいセキュリティしっかりしてるのに失礼でしたね」
「……やっぱりここに住む?」
「無理です」
「じゃあ、同じフロアに部屋借りて……」
「無理です!」
「わかった!隣の部屋借りて折半!折半しよ!!7:3でもいいから!モモちゃんが7出すから!!」
「3でも無理!会社に家賃控除申請した段階で呼び出されちゃう!」
百くんはナナサン!ナナサン!としつこく叫んで同棲を主張したが、私の決意は揺らがない。会社に申請するのが恐ろしすぎる。

「やっぱり一緒に住もうよ、一緒にお掃除頑張ろうよ……一緒の家なら片付けるお部屋も少なくなるじゃん……しかもモモちゃんちならパーフェクト高校生の一織が片付けに来てくれるよ……」
抗議方法を泣き落としに変えて、百くんがウッウッと半泣きで私に縋り付く。コロコロ変わる百くんの表情を見るのは大好きだけど、さすがにこれは認められない。

百くんを宥めていると、高級感のあるドアチャイムが鳴って、エントランスに千さんが到着したことを告げた。エントランスに設置されたモニターに千さんが疲れた声で話しかけている。
「モモ、着いたよ。モモ?モモ、どうかした?返事は?」

やばいゴミ袋まだ全部捨ててないのに……!!

掃除機もかけてないのに……!!

慌てて抱擁を解き、視線を交わした私たちの間にはもうしんみりした雰囲気は1ミクロンもなかった。今すべきことは千さんが乗るエレベーターがなるべくゆっくり動くよう祈ること、それから爆速でゴミを捨てて掃除機をかける、ただそれだけであった。百くんは「ユキ!お願いだからなるべくゆっくり来て!」とモニターに叫びゴミ袋を3つ掴んですっ飛んで行った。

「……お取り込み中だった?」
「ええ、まあ……そんなようなそうでもないような」
「なるべくゆっくり来たんだけど……僕が入って平気?気まずいことにならない?」
「……多分ならないのでは……」
私は素早く室内を確認した。あとは掃除機かけて……いや、時間がないからクイックルワイパーですませて……
「今日も帰っちゃうの?ゆっくりしていったらいいのに」
「あはは……お気遣いなく」
「僕に気を遣ってる?部屋の掃除もモモが君に会いたい言い訳なんだから気にしなくていいんだよ」
気にしなくてもいいとは言われても、流石にゴミ袋3袋相当の部屋を見たら千さん、卒倒すると思いますよ。私は早く百くんが戻ってきてくれることを祈る。
「……と、とりあえず開けますね……」
「うん、よろしくね」
なんだか盛大に勘違いされているような気がしてならない……そしていろいろとバラされた気がしてならない……問い詰められるのは百くんに任せ、私はさっさと掃除機かけてこの部屋から脱出しよう。うちのアパートより遥かに高画質のモニターには、くたくたの千さんがエントランスをくぐる姿と、百くんらしき生き物が弾丸の如き勢いで外に飛び出して行ったところがしっかり映った。


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