楽の弟と天

>>ネームレス、なんやかんやで事務所に戻った未来の話


「昨日、楽の弟が来てたらしいね」
「マジ?聞いてねえ」
「連絡取ってないの?」
「いや、毎日連絡を取り合うような仲でもねえし……」
珍しく言葉を濁す楽を見て、ボクと龍は視線を交わし、踏み込んでいいものか少し躊躇った。楽の口からその存在を聞いたのは、出会ってすぐの頃にたった一度だけ。「弟がいる」と楽にしては珍しくただそれだけだった。ボクたちもそれぞれ家族について、解決のしていない問題を抱えているから、その当時は詳しく聞かなかった。だけど、今は違う。3人で運命を共にするTRIGGERだから、ボクはなるべくいつも通りに聞いた。

「どんな子?」
「どんな子?っていうか……俺とは似てない。親父にも……あいつは母親似だよ」
「それはよかったね」
「うるせえな!」
「楽は家を出てるけど、弟くんは?」
「大学生で……あいつも家出てっから、あんまり会わないんだ」
「……そうなんだ」
「だから……何にも知らない」
「何もってことはないだろ」
「あいつ、ライブも来たことないし」
楽は困った顔で黙った。あの楽が、こんなにも困っているのは珍しいと思う。楽は嫌なことは嫌、好きなものは好きだとはっきり口にする。
「あいつのことで、俺が知ってるのは……本当に昔のことと、後は調べたら出てくるようなことだけ」
「あれ、芸能人じゃないよね?」
「じゃない。名前検索したら、塾とか学校のやつが出てくるんだよ。どこの大学に受かった、みたいな……」
楽は髪の中に手を突っ込んでいらいらとかき回した。

「……東慶田の2年生で、多分エネルギーかなんかの勉強してるんだ。何やってるのか、聞いても俺はひとつもわかんねえけど」
「へえ、頭いいんだ」
「中学から附属に通ってる。あいつが、何か自分からやりたいって言うところ……ほとんど見たことねえけど、進路だけは自分でガキの頃から全部決めてるんだ」
「すごいね、しっかりしてるんだ」
「しっかりしてるとは思う。なんなら俺はあいつが中学に入った時から、勉強の面倒見れなくなった」
「早くない?」
「うるせえ!あいつが規格外なんだよ!」
小さな楽がもっと小さい楽に勉強を教えているところを想像して微笑ましい気持ちになったが、楽の瞳が何かを思って暗く沈んだのでボクはちらりとその横顔を見た。

「昔は、すごく可愛かったよ。いつも俺の後ろをいつも追って、それを邪魔だと思った時もあったし、どうして親父はあいつに俺と同じレッスンやらせないんだって聞いたこともある……すげえ後悔してるよ」
「楽……」
「酷いだろ。俺、あいつが俺と同じレッスンを受けたいのかも、何をやりたいのかも知らずにいた。知ろうともしなかった。それでも……俺があいつのこと何も知らなくても、あいつは俺を好きなんだ。俺が……たったひとりの、兄貴だから」
楽が覇気のない声でそう続け、ボクたちは黙ることしかできなかった。可愛かった昔の姿をぶち壊すような、理解の及ばない現在とのギャップにはボクにも心当たりがありすぎるし、それに戸惑って当然(だと思いたい)し、今のボクよりずっと子供だった楽がそれら全てを推し量って当然だとも思えない。ふたりの間に横たわるたったふたつの歳の差で、幼い楽に何ができただろう。

「進路もひとり暮らしも、いつも決定事項の報告なんだよ。全部自分で決めて後で俺に知らせてくる。知らせないことの方が多いのも、なんとなく知ってる……だから俺はあいつのこと、多分何も知らない」
楽はちゃんと、報告してるの?と聞きたかったけどやめておいた。こんなにも、楽が困っているのは初めて見たし、同じ言葉がボクにも刺さるから。

楽が今年の弟くんの誕生日の写真に撮ったのだという写真を見せてくれた。楽と肩を組んだ弟は、びっくりするくらい似てなかった。仲のいい友人同士と言われても信じたと思う。でも、ボクも龍もそのことには触れずに「楽、嬉しそうだね」「楽の家の人ってみんな背が高いんだね」とか、当たり障りのないことを言った。写真を見ていた楽は、気のない声でそうか、と言った。その話はそれで終わり。

その後入っていた仕事も楽はいつも通りにこなして、いつも通りに「今日はやまむら寄るから」と言ってボクらと別れた。何も知らなかったら、きっといつもの楽だと思ったと思う。龍が「俺たちの方が知らないことばっかり、だね」と言った。次の日の夕飯は楽の好きなものばっかり出た。

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楽が弟について打ち明けてからしばらくして、事務所で楽の弟を見た。社長の好みの高級ソファに座って、コーヒーを飲んでいた。楽が見せてくれた写真が印象に残っていたから、すぐに分かった。

「キミ、楽の……」
「あ……どうも……兄と父がお世話になってます」
「うん」
「あはは、否定しないんだ」
「まあね。楽、まだ来てないよ」
「いや、今日は父に用事があっただけなんで」
「社長に?」
隣り合って座り、近くで見ると本当に楽と似ていないと思った。別に特別に顔が整っていないわけではく、楽の顔が規格外に整っているだけで、彼もそこそこモテるだろう。それに、切れ長の目が笑うと緩むところ、楽ほどじゃないけど白い肌、すらっとした手足など、部分部分では楽と似ていないこともなかった。

「父に、大学院進学の相談をしに」
「……大学院行くんだ?」
「俺、勉強しかできないから。それも父さんがさせてくれたおかげだけど」
「そんなことないでしょ。君の努力だよ」
「そうかな……兄さんの方がすごいって、いつも思うけどね。自慢の兄貴だよ」
「キミが自分よりずっと成績優秀だって、楽が言ってた」
「それは、兄さんがレッスンしてる時間を勉強にかけていただけ。兄さんの方が芸能界で生き残って、ずっとすごいよ」
横顔を見るのに集中しすぎて、思わず出そうになった似てないね、という言葉を飲み込んだ。話せば話すほど、楽と似ていない。家族とはいえ別の個人だけど、思考回路のひとつも楽とは重ならない。自分だって思考回路の似通わない兄弟を持つけれど、そのことを棚に上げたって、彼は楽と似ていなかった。

「ただ、院は奨学生取るの頑張ろうかな……父さんは仕事のことも金のことも、何も言わないけど……やっぱりね」
「きっと心配かけたくないんだよ。芸能界の汚いところやダメなところ、キミに知られたくないんだと思う」
「そうかな……俺、何も知らないんだ。八乙女の事務所の中身も、君たちがどういう思いで今ここにいるのか、ってことも」

彼と視線がかち合った。「この座り方、デートみたいで落ち着かなくない?」と体の向きをかえられて、彼がボクを正面から見る。目尻の上がり方も、楽に似ているかもしれない。

先日の楽が打ち明けたような、嫌な話の流れを感じてわざと話を変える。事務所の一員でない彼に、家族である楽や社長が伝えていないことでボクの口から言えることは何もない。まして、会社の内情なんて。

「……八乙女楽の身内ってバレないの?」
「兄さんはデビューも遅かったし、俺たち顔似てねえし。聞かれても親戚に八乙女楽がいたらもっと自慢するって!って言えば一発、それ以降絶対聞かれない」
「……そうなんだ」
案外バレないものなんだな、と詰めていた息をなるべく静かに吐き出した。陸の危うい行動があっても、自分たちが秘密の双子だとバレていないのと同じようなものかもしれない。彼の指が何かを誤魔化すようにカップを叩く。

「楽と、似てないと思った?」
「……思ってない」
「嘘。似てないのはいちばん俺が知ってる。俺は母さん似なんだよね。それに父さんは多分、わざと教育方針も変えてるから、中身が違うのは当たり前なんだけど」
「どういうことって、聞いてもいい」
心臓が痛かった。八乙女兄弟は自分たちとは違うとわかっていても、楽の知らない姿を似てもつかない弟を通じて暴こうとしている。ボクたちと同じようにわざと違う境遇に置かれただけ。楽はゼロを超えるアイドルとして育てられていないし、楽は弟を置いて家を出たわけではないし、彼は楽を追ってアイドルにはならなかった。八乙女家の兄弟は、ボクたちとは違う。 

ボクの鼓動が速くなるのも知らずに、「兄さんは多分、気にしてないけど」と彼が前置きした。
「父さんは俺にピアノとかは習わせたけど、ダンスと歌のレッスンに通わせなかったし、勉強やりたいっていったら好きにしろって言った。父さんは……俺がアイドルで成功するとは思わなかったんだろうな。俺もその通りだと思う。あ、別に僻んでるんじゃなくて……兄さんを見ると思うんだ」
話す時に、目をしっかり見てくるのは楽と同じだ。楽の視線は強くて、見つめた相手を逃がさないけれど、彼の視線はそういう意図を含んでいない。ただ、「話すときは相手の目を見る」という幼い教えを守っているだけ。きっと楽が教えたのだと、なんとなくそう思う。

「俺と兄さんは、生きてる世界も、見てるものも違う。そうなるように育てられた結果だとわかっているけど……仮に俺が、兄さんみたいにレッスンしてもTRIGGERの4人目にはなれなかったよ。そもそも、なろうともしなかった。俺には適性がないって、父さんが早いうちに気付いてくれてよかった。それだけは……それと、金のこと気にせず勉強させてくれたことだけは、感謝してる」
彼の手にしたスターバックスコーヒーの紙コップを、ふたりでぼんやり眺めた。トールサイズ、たぶんカフェモカ。楽は頼まないやつだ。

その間にボクは彼の言葉を咀嚼する。彼は、 TRIGGERの4人目になれなかったと言った。ボクはそんな存在を考えたこともなかったけれど、それを直接口にするのは酷いことだと思う。陸はボクとステージに立つ夢を見たことがあると言う。彼は、楽は見たことがあるんだろうか。TRIGGERの4人目として楽と同じステージに立つ夢を……

「兄さんから逃れたかったし、兄さんの知らない世界で一人前になりたかった。兄さんがアイドルになるなら、俺は兄さんの想像もつかない、理解の及ばない世界に行きたかった。俺がそこで成功したら兄さんはきっと、理解できなくたってすげえなって喜んでくれる……わかるだろ?そういう人じゃん。あの人」
「……そうだね、楽はキミがお金の不安はあるけど院に行くって言ったら、喜んで学費も出すだろうね」
「……絶対言うなよ!絶対出すから!出世払いでいいとか言って、結局受け取らないから!」
「その言い方、言われたことあるんでしょ」
「あるよ!飯とか連れてかれると、絶対それ言うからな……お前がノーベル賞取ったら奢ってもらうって!ノーベル賞が何かもろくにわかってないくせに……」
彼が楽みたいに目をつり上げてボクを睨んだので、思わず笑ってしまった。顔つきは似ていないのに、今の表情は楽を見慣れているボクが驚くくらい、良く似ていた。

「でも、兄さん見てると思うんだ。自分と兄さんを比べて、よくない方に考えてる時」
「そういう時でも楽を見るの?」
「見るよ。楽しい時も兄さんを見たいけど、辛い時ほど兄さんを見る」
ボクの発した、「どうして、」の言葉が途方に暮れた声音で情けなくなった。だってそんなの、陸と同じだ。気付いてしまえば心が揺れた。彼はそんなこと知りもしないはずなのに、穏やかに微笑んで楽の話をする。

「兄さんが教えてくれるから。俺は俺、兄さんは兄さんだって。兄さんが誰かのかわりじゃない、自分の価値を信じてるから俺も俺に価値があるんじゃないかと思える。八乙女楽とは何の関わりもない、いち大学生として生きていられる」
「……訂正する、キミたちよく似た兄弟だね」
「今の話のどこでそう思った?」
嫌そうな顔が楽にも社長にも似ていて、顔は似てなくても同じ家で育った家族なんだなと思う。ようやくわかった。自然と似てしまうのではなく、ずっと楽を見てきた弟だから、楽に似たのだ。

ブツブツ文句を言いながら、残り少ないコーヒーを飲もうとする彼を見て、ちっとも似ていないのに陸を思い出す。

どうして、弟っていつもこうなんだろう。煩わしくなるほどに追いかけてくるくせに、追ってくる姿を見ようと振り向いた時には全然違う方を見ている。振り返った兄が、どんな気持ちかなんてちっとも気にしていない。それでも幼い頃の甘い思い出に縋って、振り向いて、確かめてしまう。楽は、どんな気持ちで自分を追った幼い弟を、そして自分とは違う道を選んだ顔の似ない弟を見ていたのだろう。

「……そろそろ帰る。大学戻らなきゃ」
右腕のアップルウォッチを確認してから、彼は飲み終わったコーヒーの紙コップをゴミ箱に捨てた。頭では陸とは違うとわかっているのに、彼は陸でも楽でもないとわかっているのに、どうしても我慢ができなかった。

「……どうしてライブに来ないの?」
「兄さん言ってないの?」
必死に呼び止めたボクに対して、彼は大したことない顔をしていた。うるさい鼓動をおさえるために、彼は陸とは違う、ボクは楽じゃないと言い聞かせる。

「東京ドーム、単独で埋める日が来たら見に行くよ。兄さんと約束したんだ」
「それまで見に行かないって?」
「君たち3人が出会った日、兄さんが言ったんだよ。必ず近い未来、お前を東京ドームの関係者席に座らせてやるって。俺たち3人なら絶対できるから待ってろって」
「楽がそんなこと言ったの」
「うーん、酔っぱらいだったから兄さんは忘れてるかも。でも、俺は兄さんが近い未来って言ったの覚えてるから……まだしばらくは我慢かな」
「……今まで以上にレッスンがんばらなきゃね。キミが、早く楽の勇姿を見られるように」 
「そうだよ。俺が兄さんのうちわ持って東京ドームに行けるようにきりきり頑張って」
「言い方ってものがあるでしょ」
「しょうがないだろ、八乙女楽のファン1号なのにまだ生のライブ1回も見れてないんだよ。同情してくれていいよ」
口に力が入って、目を細めて笑う顔は、見覚えがあった。何度もステージで見た、楽と同じ笑顔の作り方だった。ひとつも似ていないなんて、そんなこと絶対にない。似てないところもたくさんあるのに、同じくらい楽と似ている部分を持っている。彼のことを何も知らないなんて言う楽に「キミたちよく似てるよね」と言ったら、どんな顔をするだろう。ボクの考えなんて知らずに彼はまたねと手を振って、あっさり事務所を出て行った。


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