父はいいところを見せたい
>>子どもがふたりいる未来
>>夢主も子どもも名前変換なし
雨彦さんがダイニングテーブルに突っ伏して落ち込んでいる。
新居に移った時に買ったダイニングテーブルは家族4人で座ってもまだ余裕があって、これは雨彦さんが「こども達が自分と同じくらい大きく育っても、家族4人が同じテーブルで食事できるように」と考えて選んだ。私も、優しい木の風合いが気に入っている。それに雨彦さんのおでこが勢いよくぶつかって、痛そうな音がした。
「雨彦さん、あんまり落ち込まないで。元気出して」
「……いつかは来るってわかっていたさ。父さんと洗濯分けてって言われる日も……必ず来るものと覚悟はしていたさ。しかし、いざ来るとなると切ないもんだな……ついにうちの子らも反抗期か……」
「雨彦さん、どんよりしてるよ。元気出して」
「元気も今日は売り切れ、出せるのはもう、後は涙しか残ってないな……」
「あ、雨彦さん……」
雨彦さんが悩んでいるのは、我が家のかわいい
こどもたちのこと。少し紹介させていただこう。
まず、雨彦さんにそっくりの長男。小学5年生。育つにつれてどんどん見た目が雨彦さんに似てくるので、小さい雨彦さんがいるようでたまにびっくりさせられるけれど、中身の方はあんまり似ていないかもしれない。彼の今いちばんの関心は、所属しているサッカークラブで来年のキャプテンが誰になるかということ、来月に迫った運動会の選抜リレーのこと、来週の給食のメニュー。
そして、小学3年生の長女。長男と同じく見た目こそ雨彦さんに似ているが、中身はすごくマイペース。小学校に通い始めた頃は毎朝寂しくて雨彦さんの足にくっついて泣いていたけど、今は楽しく通っている。しかし、ランドセルを道の途中に忘れてきたり、なかなか帰ってこないと思ったら近所の猫とおしゃべりしていたりということもしばしば。自由なのは素敵なことだけど、母を心配させるのはほどほどにしてほしい。今いちばんの関心は家で飼っているザリガニの餌を探すこと、それから青いパンダの文房具を集めること、他日替わりでいろいろ。
かわいいふたりは性格だけなら反対方向を向いているけどどちらも父さんが大好き。あまりにもかわいい子どもたちに、雨彦さんはめろめろだし、生まれる前からいつか来る反抗期を想像してはその想像を振り払っていた。そういう理由なので、雨彦さんは突然現れた反抗期の兆候にショックを隠せないようだった。原因は手元の紙切れ1枚。
「父さんは、来なくていいから、か……。反抗期は中学生からだと思ってたんだがな……」
「反抗期だけが理由じゃないんだけどね」
「父兄リレー、父さん楽しみにしてたんだがな……。君が代わりに出るか?ふたりとも喜ぶだろ」
「拗ねてるの?それに私が出るのはちょっときついな。トラック半周も走れない……」
「……そうだな、やめた方がいいな。ゴールの直前に転ぶのが星に訊かずとも、目に見える……。それに、お前さんがやる気を出すと、なぜだかいつも空回るんだからな」
「ふたりもその説明で納得しました……」
雨彦さんが切なくも熱い視線を送るのは、来月に迫った運動会のお知らせ。切り取り線で切り取って父兄リレーの参加不参加を表明することになっているのだが、これにはすでに不参加の方に大きな丸がついている。
今日プリントを持って帰ってきた長男が「今年、父さん出なくていいから。母さんからもそう言ってよ」と言って、不参加に大きな丸を付けたのだ。神妙な顔で頷いた長女も、意志のかたい長男も、既に寝ているので、ここにいるのは戦力外通告を受けたと落ち込む雨彦さんと私だけ。
事情を知っている私は子供たちの気持ちも、毎年張り切っていた雨彦さんの気持ちもよくわかる。そういう理由で私は、あんまり落ち込まないでねと励ますことしかできない。
「お前さんも知ってるだろ。俺が、どれだけ運動会を見に行くのが楽しみだったか……」
「見に来ちゃだめって言われたわけじゃないでしょ。父兄リレーは出なくていいからねってだけだよ」
「だが、ふたりが一緒に出る運動会はあとたったの2回しか見に行けないんだぜ……」
「そうだね、中学の体育祭は保護者は入れないからね」
「なあ、授業参観はあと何回ある?春の参観日は行けなかったから、今年は運動会に懸けていたんだが……。それなのに……」
雨彦さんはすっかり落ち込んでしまって、私はかわいそうな雨彦さんの肩をさすってあげた。お仕事の時は上げている前髪が下ろされているのもあり、いつもより若く見えて、出会った頃みたいでちょっとかわいい。それもあって、かわいそうな雰囲気がいっそう増して、私は既に夢の中にいるかわいいこどもたちの真意を伝えることにした。
「あのね、父さんは腰が痛くてかわいそうだから参加は無しだって」
「……なんだと?」
「雨彦さん今年の冬、腰があれだったでしょ」
「ああ、そんなことも……」
「あの時、雨彦さんがしばらくお布団で寝込んでたのが、相当衝撃だったみたいだよ。それで、父さんは今年参加させないって」
雨彦さんから返事がない。衝撃が大きすぎたみたいで、その大きな両手で顔を覆って黙っている。
子どもたちの記憶に残る大事件が起きたのは年明けすぐのこと。今年は年始からレジェンダーズの大きなライブツアーがあって、雨彦さんはファンの人たちの思いに応えたい一心で、クリスさんと想楽さんと一緒にすごく頑張っていた。結成当時から変化しても衰えることのない心の勢いに対し、体はそうは行かず。一生懸命頑張りすぎた結果、雨彦さんは腰を痛めてしまったのだった。
こども達も腰を庇いながら生活する雨彦さんをすごく心配した。それにふたりが親戚のおじさんみたいに懐いているプロデューサーさんが、うちに来るたびにその件について本当に申し訳なさそうにしているのも見ていた。
長女には「急に飛びつくのも登るのもだめだよ。父さんはいっぱい頑張ったから、今はお休み中なんだよ」と特に言い聞かせた。長女は、高身長の雨彦さんによじ登ったり足の甲に座ってみたりとべたべたするのが大好きで、雨彦さんもかわいい娘にはかなり甘い。甘えられれば、無理をしてでも相手をしたに違いない。長男は最近そういう甘え方をしなくなったとはいえ、「父さん元気になるよね?」と何度も私に尋ねた。
しばらくお仕事を休んだあと、雨彦さんは普段の生活に戻った。体を張った仕事も一時期は控えていたけど、夏も終わる今では、以前と変わらずにお仕事を入れている。
今日、帰宅したふたりが不参加に丸を付けたプリントを前にして言うには、年始に見たライブ会場での父さんは本当にかっこよかった。毎年父兄リレーで小学校のグラウンドを颯爽と走る父さんも本当にかっこいい。でも、それ以上に年始のように辛そうにしている父さんを見たくない。頭を寄せ合い相談した結果、今年父さんは父兄リレーには出場しないことになった。まじめな顔でそう告げた長男と、代わりに母さんが出る? と無邪気に笑った長女を思い出す。
私ももちろん、雨彦さんの代わりに父兄リレーに出たい気持ちは山々だが……自他ともに認めるどんくささなので遠慮させてもらった。私のどんくささについては、こども達もよく知っている。まず、私が転んでハイヒールを折って困っている所にハンカチを差し出してくれたのが雨彦さんだ(あの時はまさか結婚するなんて思ってもいなかったから、人生とはわからないものだな……と思う)。その後のデートでもさんざん転んだし、未だに危なっかしいからと言って2人の時は手を繋ぐ。
長女は私の膝からいなくならない青あざを思い出して深刻な面持ちになり、それを見た長男は肩をすくめた。こういう仕草は間違いなく雨彦さんの影響、というか物真似だ。
そういうことで、葛之葉家は今年、父兄リレーには不参加が決まった。私の説明を聞いて事情を知っても、雨彦さんは顔を覆ったままだ。不参加の字を囲む、力強い鉛筆書きの丸に笑ってしまう。長男の意思のかたさを表すような力強さだ。
「俺のせいか……」
「雨彦さんのせいじゃないよ。でも、こども達の考えてることもわかったでしょ?」
「わかったさ。でもな……」
「本気出さないで走る? 絶対無理でしょ。ふたりの声援を受けて全力疾走する姿が目に浮かぶよ」
「……今年は応援に専念するか」
「そうして。ふたりとも楽しみにしてるよ、父さんが見に来るから張り切ってるよ」
雨彦さんはかわいいこども達に心配されて嬉しいやら悔しいやら、複雑な顔になった。事情を知るまでは憎らしかった不参加に付けられた大きな丸さえ、愛おしく見えるのだから不思議だ。しかし雨彦さんは諦めなかった。
「こうなったら北村に走ってもらうか……殆ど家族みたいなもんだろう。いや、うちの事務所ならもっと速いやつがいるな……」
「雨彦さん……」
「冗談さ。ふたりには明日話すよ……いや待てよ」
雨彦さんは考え込むように顎に手を当てた。出会った頃から変わらない鋭い視線は、空を睨んだ。
「先月事務所で運動会をやった話はしたな? 今思い出したが、それの放送が今週末らしい」
あ、これは何か企んでいる時の顔だ。何かいいことを思いついた時にはいつも、雨彦さんの瞳はきらっと光る。
「運動会で、事務所の若いやつらに負けずに頑張ってる姿を見せたら、ふたりも納得してくれると思わないか?」
「そうだね。ちなみにこのプリントはラッキーなことに放送後、週明けに提出だよ」
「決まりだな……。ふふ、俺には週末、夫の勇姿に惚れ直すお前さんの姿が見えるよ。もちろんうちのかわいいふたりも、父さんの勇姿に大喜びだ」
「そんなに自信があるの?それは楽しみだな」
雨彦さんは優しく目を細めて本当に嬉しそうに笑った。いつもなら、こども達が真似するからってやらない頬杖もついた。今夜は珍しい。
「自信があるのとは少し違うな……俺はいつだってかわいいこどもたちにかっこいい所を見せたくて仕方ないのさ。全く厄介だがな、そういうことだ」
雨彦さんはにっこり微笑んで、不参加の丸を指先でなぞった。こういう顔を見ると、うちのかわいいこども達は本当に雨彦さん似だと思わされる。
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