和泉三月甘やかしデー

三月くんが「ただいま」と冷たい息を吐きだした。真冬並みの寒さを記録したせいで今日の三月くんは、口元まで隠すような大ぶりのマフラー、ニット帽、大きなメガネ。そしてそれらのかわいい変装全て取り払って、ようやく三月くんの顔が見えた。

今日の三月くんは怒涛の生放送ラッシュで、私は朝からずっとテレビで活躍する三月くんを見ていた。なので、今帰宅してギュッと私を抱きしめたのが今日初めての三月くんのはずなのに、なんだかずっと離れていたのが嘘みたいだった。
「おかえり。疲れたでしょう、ゆっくり休んでね」
「ありがと。流石に今日はキツかったな……」

再放送とスペシャルばかりの番組改編期を終えて、ゴールデンタイムに移ってきた深夜帯の人気バラエティ番組。時間帯の移動に合わせて、ちょっとマイルドにしようということで投入されたアシスタントがどうやら三月くんのようだった。

自分の明るさ、話のわかりやすさ、世間からの印象を買われての抜擢だと三月くんは他の誰よりもわかっていたし、メインMCは気心知れた下岡さんとはいえ、人気番組に途中から加入するプレッシャーは相当なもののはず。三月くんは今まで以上に視聴者に、出演者やスタッフに気を配っていた。

そして、記念すべき移籍第1回目の放送は2時間拡大生放スペシャルだというのだから、それを知った時私はまず喜ぶより先に三月くんを心配してしまった。三月くんは不安は見せずに、「腕の見せどころだよな!」と笑顔を見せたけど、その裏でひどくプレッシャーを感じているのは誰が見ても明らかだった。

生放送の当日である今日は、朝の情報番組ふたつで番宣、さらにメンバーと一緒に音楽番組の収録と続き、そのあと皆と別れて本命の放送の最終打ち合わせ、リハ、そして本番。いくらなんでも詰め込みすぎ、ひとつくらいずらせないのかと思ったけど、収録が冠番組ならまだしも他のアーティストも出演する音楽番組ともなると難しい。三月くんは昨晩はテレビ局近くのホテルに泊まって、朝とも呼べぬ時間帯に迎えのタクシーで局入りした。

「朝からずっと三月くん見てたよ」
「ほんと?名前さん起きられた?」
「もう朝は目覚ましの鳴る前に起きちゃった」
「嬉しくて?」
「嬉しすぎて」
「はは、そっか……」
腕を伸ばす三月くんに応じると、玄関の段差のおかげで私の胸に三月くんの顔が埋まった。

バラエティの生放送はさすがの三月くんでも大変だったみたい。VTR中心の構成とはいえ、取り返しがつかない上にカットなしテロップもなし、さらに深夜帯の頃に出来上がってるチームに自分だけが新メンバーとして加入している。

朝からいろんなところに気を回して、番組の内容だけでなく人間関係にも神経使って、へろへろのはずの三月くんは胸に顔を埋めたまま「早朝、速報あったじゃん。それで直前に段取りが変わって……情報番組だから速報入ったら変わるのは当たり前なんだけど、向こうもプロだしオレは何もしないで待ってるのがいちばんなんだけど、やっぱりみんな慌ててるしただ座ってんの落ち着かなくてさ……速報の後に急にオレの番宣入るし、どんな雰囲気でいったらいいんだろとか……オレそもそもこの番組は後入りなのにあんまり語ったら元々のファンはやっぱ嫌だよなとか、はは、そんなの散々考えたはずなのに……待ってる間にまたそんなことで悩んで、他の枠も変更あるからって尺も変わって、それで2個目の方も結構キツいネタ振られたり……そういうの、あいつらも見てたから、収録めちゃくちゃオレに気つかってて……オレもちゃんと大丈夫だからって言えたらよかったんだけど、このあとの生が本番だ!っていう意識抜けなくて、トークの時絶対かたかったしもう本当ムードメーカー担当失格だよ……オンエア見るのマジで怖い……肝心の生はテンパっていっこも覚えてないし……オレ、ちゃんと喋れてた?よかったよって言われたけど、滑りまくってなかった?むしろ新人のくせに、アシスタントのくせに喋りすぎてなかった?あんなに打ち合わせしたのに、初回から散々だったらどうしよう……」とめちゃくちゃ喋った。疲れていて、体はもう限界を迎えて沈み込みそうになっているのに、口だけはお仕事モードが抜けないのか止まってくれない。話してるうちにぎゅうぎゅう顔を胸に押し付けられ、呼気が当たって湿っぽくなってきた。そんなところで話したら空気がこもって苦しくないのかな、と思うけど三月くんは一息に話し切って深く息をついた。私は余計な口は出さずに三月くんの背中をさする。三月くんが何度も小さく息を吸った。

「……オレ、今日はもう頑張んなくてもいい?」
三月くんの声はこもっている上、泣き出しそうでいつもの三月くんからは考えられないくらい小さくて、聞き逃しそうなくらいだった。

私は三月くんのお仕事の出来ばえにはあまり口を出すつもりはないけど、これだけは自信を持って言える。
「いいよ。三月くん、すっごく頑張ったもん」
「うん……」
三月くんは力のない返事をして、そのままへにゃへにゃっと足の力が抜けて冷たい玄関にへたりこんでしまう。慌ててそれを追うように座り込む。

「み、三月くん?大丈夫?」
鼻をすする音と小さい嗚咽が聞こえる。さらさらの髪を頑張ったねの気持ちを込めて優しく撫でた。ドライヤーが下手な私と違って後頭部までツヤツヤだ。

三月くんは普段からは考えられないくらい静かに泣いた。きっと、仕事を辞めたくなったわけでも、自分のことが嫌いになっちゃったわけでもないと思う。ただ、頑張りすぎて、一生懸命すぎて今日は疲れちゃっただけ。三月くんは明日もお仕事があるけど、今くらいはそれを忘れて、疲れたなあ!って甘えてほしい。それくらい怒涛の1日だった。三月くんは本当はあんまり私に甘えたりしたくないみたいだけど、三月くんが頑張って大活躍してるのを見てる私は本当はいつだって甘えてほしい。

「三月くん、その姿勢苦しくない?」
しばらくすると三月くんはぱったり静かになった。無言で胸に顔を埋めて、やっぱり息できてないのでは?と思って慌ててどけたら、三月くんはすっごくかわいい顔ですうすう寝ていた。

「三月くん、寝ちゃったの……?」
21歳の男の人には到底見えない三月くんの横顔を眺める。やわらかい頬には涙の跡が走っている。すごくかわいいけど、かわいそうで胸の奥がきゅってなった。

三月くんのかわいい寝息を聞きながら、私はとりあえず靴を脱がせようと三月くんの頭を膝に転がした。今日だけは三月くんお気に入りの編み上げのブーツじゃなくてよかった、とため息をついてサイドジップを引き下ろす。三月くんのあたたかいため息が太腿をくすぐった。

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