寂しい夜
「九条さん、これあげます」
「……どうも」
かわいいラッピングを受け取った時点で嫌な予感がしたのか天くんの目は据わっていた。絶対にわたしの白々しい態度のせいだけど。天くんは遠慮なくうすいピンクのふわふわのラッピングを解き中身を見て、顔をしかめた。当然の反応なのだがわたしはすっとぼけてにこにこしておく。
「九条さんのおうちのお風呂、こういうの使えるタイプでしたっけ?」
「これ、龍の差金?」
「さっ……差金って……そんな言い方しなくても……龍之介さんのアドバイスです!」
「あ、そう。ありがとう」
中身はおすすめの入浴剤がいくつか。わたしのお気に入りで、肌に優しくてリラックスできるハーブのいい匂いがするし、使った日にはよく眠れる気がする。天くんはシャワー派で、それを知らないはずのわたしがわざわざラッピング済みの入浴剤を持ってきた。それだけで天くんは、どういう経緯で手元に回ってきたのか察したようだった。
「いいにおいでリラックスできておすすめです!あ、でもやっぱり気になるならお風呂から出る時にシャワーで流して……」
「君ね」
天くんはわたしをじっと睨んで低いを声を出した。
「龍に何を言われたか知らないけど、余計なお世話。ボクは自分で自分の管理くらいできるよ」
「それは知ってるますけど……」
「ならどうして」
わたしが一歩近寄ると、天くんがびくっとして一歩後退する。わたしは構わず天くんの耳元に口を寄せて手で覆った。
「あのね、今夜空いてる?天くんもお仕事は夕方までなんだよね、だから……」
天くんはちょっと、と私の手を退けようとしたけど構わなかった。早く本題に入らなくちゃ。小声とはいえ、いつもと違う話し方で接しているのを人に見られてはまずい。
「えっとその……お風呂で、電話しない?」
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結局あの後、顔を赤くした天くんに「近い!」と手を振り払われてしまったのだが、お風呂で電話をするということは約束してくれた。距離感についてはよく考えるよう静かに低い声で怒られた。
龍之介さんとこの間ラビチャした時に「天は長くお風呂に入っていられないんだよね」という話をした。天くんはシャワー派なんだって。わたしはお風呂は浴槽にためてゆっくりするのが好き。熱いお湯だとたしかに長く入ってられないけど、でも、疲れを取るなら湯船に浸かったほうがいいっていうし……とひとりで勝手に悩んでいたら、龍之介さんが「名前ちゃんから言ったら天も聞いてくれるんじゃないかな」なんて言うので、わたしはお気に入りの入浴剤セットを天くんにあげて、電話をすることにした。結果は先の通り。
約束の時間の前にメイクを落として髪を洗ってトリートメントをつけて、もちろん湯船には天くんにあげたのと同じお気に入りの入浴剤を入れて、通話用のスマホはジップロックに入れてある。準備万端で待っていると約束の時間ぴったりにスマホが着信を告げた。さすが天くん。
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久しぶりに浴槽にお湯をためて、名前さんにもらった入浴剤を振り入れる。均等になるように手でかき混ぜてため息をついた。
……どうしてこんなことに。
龍と名前さんは仲がよくて、仕事外のことでもラビチャを送りあう仲なのは知っている。ふたりの共通の話題は専らTRIGGERのことで、今回のことだって龍が「この間ふたりとお風呂に入ったんだ」それに名前さんが「皆さん仲良しなんですね!」なんて返して、そこからまたいろいろ話したのだろう。ボクが長い時間湯船に浸かることを好まないだとか含めて、いろいろ。それで名前さんは入浴剤をくれて通話の約束をした。簡単に想像がつく。
だいたい、名前さんは異性に対する態度とか距離感がおかしい。外ではふたりの関係性を隠すために九条さんと呼ぶのに龍や楽のことは名前で呼ぶし、そのくせ急に顔を近づけたりして……何を考えているんだろう。ひとりだけ苗字にさん付けで呼んでたら、それは逆に怪しいアピールにしかならないのに。
滅多に使わない浴槽に入ってみれば、足を伸ばせるくらいに余裕がある。きっと長電話になるから温度は低めに設定した。約束の時間までまだ少しある。電話をかけようか悩んだけれどきっと名前さんは準備に時間がかかるはずだと思って、やめた。
家の浴槽にお湯を張るのは本当に久しぶりだった。宿泊先のホテルに大浴場があって、楽と龍に引っ張られて無理矢理連れて行かれた時を思い出す。そう、名前さんに入浴事情が知れることとなった例の一件。温泉のロケでも足湯まででそれ以上はエヌジーと決められているのに、カメラが入らないオフシーンだからといってわざわざ3人で連れだって大浴場に行くのは本当に気が進まなかった。名前さんとも前にラビチャしたけど銭湯だって絶対に嫌。
名前さんだってそれを知っていて、誘ったのだと思う。泊まりに来るのではなく、わざわざ別々のところから電話しようなんて。約束の時間になったのを確認して、通話ボタンを押した。
「名前さん」
「天くんこんばんは!」
「こんばんは」
「入浴剤、どう?匂いとか嫌いじゃなかった?ピリピリしない?」
「別に、平気だけど……」
「そっか、よかった!」
電話を通して名前さんの浮かれた声とぱちゃぱちゃと水の跳ねる音がした。電話の向こうの名前さんが同じ入浴剤をとかした風呂に入っているのを急に意識して心臓が鳴った。それからしばらく名前さんが他愛もない話をする間も、ドキドキしていつものように相槌が打てない。自分のからだなのにうまくいかなくて、すごく嫌な感じ。不審に思ったのか名前さんが心配そうな声を出した。
「龍之介さんにも聞いたけど、わたしに付き合ってあんまり無理しないでね」
「龍はどこまで話したの……待って、いい。聞きたくない」
「ふふ、3人の仲良しな話たくさん聞いちゃった。天くん全然教えてくれないんだもん」
「別に仲良しでもないし、特別キミに話すようなおもしろいこともないよ」
龍、全部話したな……ボクの話じゃなくて楽のおもしろい話をすればいいのに。絶対楽の方がおもしろい話たくさんあるのに。たとえばこないだのロケのことなら……考えこむことも許されず、ボクは名前さんの発言に飛び上がった。
「ね、天くんテレビ通話にしてもいい?」
「いっいいわけない!!キミ何言ってるかわかってる!?」
「だって天くんがどういう顔で話してるのかわかんないし……そんなに嫌?」
「嫌!」
こういうのって普通逆じゃないの?もしかして全く意識されていない?名前さんの恋人なのに?キスもまだなのに!?ボクはこんなにドキドキさせられてるのに!?頭がくらくらしてきた。
「……もう出る」
「えっ?もうちょっと話そうよ」
「だめ、これ以上はのぼせる……」
「ええっそんな!」
「今日はありがとう、またね」
「ええっ!」
これ以上は、本当に無理。いつも入らない湯船のせいじゃなくて、これは絶対に名前さんのせい。
通話を無理やり切って、勢いよく風呂からあがった。名前さんの不満そうな声は聞こえなかったふり。軽く体を拭いて無心で導入から化粧水、乳液、クリームまで叩き込み、パジャマに着替えてリビングまで戻ってソファに倒れ込む。名前さんの存在がちらついてちっとも無心になんてなれなかった。名前さんの、無自覚にすごいことを言うところが本当に無理。デリカシーがない。その発想が理解できない。あの人はどれだけボクを振り回せば気が済むんだろう!
ようやく身を起こしてスマホを手に取ると、通話の終わったトーク画面には名前さんからパンダが泣いてるスタンプの連打と「大丈夫?気持ち悪くなっちゃった?お水飲んで涼しいところで休んでね」とメッセージが来ていた。時計を見れば、結局通話の前から数えて15分程度しか入っていられなかった。
名前さんのくれた入浴剤はまだ残っているし、何よりあの人にドキドキさせられっぱなしなのがすごく嫌。ボクは「次こそ負けないから、覚悟しておいて」とだけラビチャを送る。何にもわかってない名前さんからは「私が勝ち?なんで?」と呑気なラビチャがすぐに返ってきた。ああもう名前さんのそういうところが、本当に嫌!
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