番外編私の帰り道
>>本編終了後
キリオが帰ってきたのは、12月30日の夜遅く、最寄り行きの下りの最終便がついてしばらくのことだった。東京からターミナル駅へ向かう電車はまだあるけれど、田舎の駅に向かう終電は早い。キリオがただいまあと引き戸をがらがらと開ける音を台所で聞いた。老舗の栗きんとんを買って帰るとキリオからラインが来ていたので今年はおせち作りの手間が一つ減った。お友達のおすすめの、というだけあって私もキリオからお友達の話が聞けるんじゃないかと楽しみにしている。
「名前ちゃん、ただいまあ」
「おかえり」
キリオは手洗い、仏壇、おばあちゃんと順番に巡ってから真っ赤なほっぺたで私のところにやってきた。膨大な量の大根を刻む私の手元を覗き込んで手伝おうか、と言った。
「い、いいよ。せっかく休みもらったんだから座ってて。炬燵ついてるよ」
「なにをなにを!ワガハイ家事は名前ちゃんも知っての通り一通り、猫の手も借りたいみそかの忙しさにこの手を借りないワケがないでにゃんす」
知らないし、と私は呆れてまた大根の千切りに戻った。キリオはある日突然人の姿とそれ以前の経歴を得て我が家を出て行った。まったくその家事というのもどこで覚えたのやら。
「いいから、座ってなよ。蜜柑食べる?そうそう、お正月用にいいやつ買ったんだ」
「名前ちゃん!」
キリオは懲りずに私の周りを纏わり付いてねえねえ名前ちゃん、名前ちゃん、とごねている。こうやっていると、立ち仕事をしている時に足元にまとわりつく小さな猫をどうしても思い出してしまう。なぜだか今は私よりも少し大きい男の子だけど。
「わかった!わかったわ、とりあえずそこの筑前煮見てて。見張り番ね」
「……名前ちゃん……」
さてはワガハイの腕を信用してない?とキリオの大きな目がじっとりと私を見た。
「だって、キリオが包丁持つとこなんて見たことない」
「ワガハイお料理番組でも率先して包丁持ってるんだけどなー……名前ちゃんはワガハイの活躍を見てない、と……」
「うぐぐ」
だって、だって、未だにキリオが人間のふりして動いてるところが落ち着かないんだもの!私の内心の叫びを聞き取ったかどうかは知らないがキリオは隣にまな板をもう一枚並べて転がしてあった人参を半分に割った。紅白なますの、赤い方をやってくれるらしい。
「……」
「……そんなに見られると、気まずいでにゃんす」
「ごめんごめん、切ったらここ入れといて」
指を切りやしないかと手元を見ていたら、キリオにそれを咎められて私も慌てて大根に視線を戻す。大きな大根があと1本あるし、台所は足が冷えるから早く切り終えてしまいたい。餅つきは終わったけど明日は切り昆布を煮て、伊達巻を焼いて、ハムの出来を見て、夜ごはんには天ぷらをあげて年越しそばを作らなくちゃいけない。大忙しだ。なますは今日で完成させなければ。
隣から人参を細切りにしていく危なげない音が響く。人間の手で包丁を持って、二本の足で立って。なんだかやっぱり不思議だ。何年たってもまだ慣れないし、いつもはテレビでそれを不思議がりながら見ているのに、隣にその”不思議”が二本の足でしっかりと立っているところは、本当に不思議。
「名前ちゃん、上手になったでにゃんすねえ」
「え?」
「千切り。初めて名前ちゃんがなますをした年は、太い太いってままさんに怒られてた」
「ああ……そうだったかも」
「ワガハイいつもいつも名前ちゃんの料理を嬉しそうに食べるぱぱさんやままさん、おばあちゃんたちが羨ましくて……」
「よかったね、今年はいっぱい食べられるよ」
「ふふん、ワガハイ大晦日はいつも猫缶で仲間はずれだったから今年こそは!と楽しみに帰ってきたでにゃんす」
キリオが端っこまで人参を刻み、塩水につける。私の刻んだ大根も一緒に入れた。あとはこれをぎゅっと固く絞って大きいタッパーに入れて味付け。味付けはおばあちゃんにも見てもらわないと。
キリオが噴きこぼれる手前の筑前煮の火を弱めて、転がっていた大根を拾い半分に割った。半分私によこして、今度は大根の千切りを始める。
「1年、楽しかった?」
私の唐突な質問にキリオは3秒黙った。
「とっても」
「ああ、よかった。本当に楽しかったの」
「ん?」
「顔、本当に楽しかったって顔してる」
「なんと!」
名前ちゃんにはバレバレかあとキリオはへにゃへにゃの顔になってうん、と頷いた。ずっと、ずっと前から楽しかったよとキリオは小さくつぶやいて私はそうなのそうなのと適当そうな相槌を打った。
アイドルになったキリオは生き生きとしてキラキラの目で何もかもを見る。よかったと思う。猫だった頃のキリオは可愛くて、よく眠りよく食べよく動く仔だった。でも今のキリオを見るとそれだけじゃ満足いかなくて人間になったんじゃないかなという気がしてくる。だから、人間になってきっと楽なことばかりじゃないだろうけど楽しかったならいいと思う。それ以上は、たったひとつを除けば聞かなくていい。
「ところでどうやって人間になったのかしらね?」
「名前ちゃん、それは企業秘密というところで……」
「へえ〜」
「あーん名前ちゃん!ホントにそれは企業秘密でにゃんす!」
「はいはい」
キリオはやだやだと首を振って甘え、その間に大根を切り終えて、キリオのまな板に乗った方も奪って切りすすめる。
「名前ちゃん〜!!」
「はいはい」
姿は変わっても中身は変わらない、私の可愛い弟分。纏わり付いて甘えて意味のわからないことを口にして、きっと人間の姿でも飽きずにおんなじことをしているのだ。
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