マレウスさまの友達づくり教室

大きい声は苦手だ。別に大きな声を出さなくたって聞こえるし。普通に耳が痛いし、威圧されてる気分になるので。

「人間!!」
だから、名前の知らない彼のことも苦手だ。だいたい、人間って誰のこと?私?それとも彼の声に肩を震わせた知らないハーツラビュル寮生?こことは違う世界から来た私にとって獣人族や人魚の存在は衝撃だったが、彼らのことも人魚!!とか獣人!と呼ぶのだろうか。リドル先輩が品格がどうこうと苦言を呈しているのを聞いたことがあるから、この世界でもおそらくあんまり良くないとされるようなんだけども。

「人間!」
「……聞こえてるから、大きい声出さないで。あと、私の名前は人間じゃない」
私を呼び止めた彼はムッとして「知っている」とだけ言った。私は彼の名前を知らないので意外だった。名前どころか、学年もクラスも知らない。制服の腕章が黄緑だからディアソムニア寮生ということは知っている。今の時間に行われてる授業は習熟度的に3年生向けのものが多いそうだから、もしかしたら1年生か2年生かもしれない。

「じゃあ名前で呼べばいいでしょ。」
「名前」
「……何?」
下の名前で呼ばれたので、返事にちょっと間が空いてしまった。この学校の生徒同士ファーストネームを呼び合う文化には未だ慣れない。
「シャツの裾がはみ出ている。みっともないぞ」
「お、教えてくれてありがとう!!」
廊下でズボンに手を突っ込むのは恥ずかしくて、とりあえず隠すように背中を壁につける。彼はほとんど人のいない周囲を見渡して「この時間の授業は講義室のものが多い。今直せ。僕が隠してやるから」と両手を広げた。

「……どうも」
「お礼を言う時はありがとう、だ」
「ありがとう……えーっと」
「何だ?」
視線を上げると、きょとんとした顔の彼と目が合った。顔をはっきり見たのは初めてかもしれない。すごく綺麗な顔立ちをしていると思った。

「ごめん、君の名前知らない」
彼は形の良い眉を跳ね上げて珍しく静かな声で名乗った。
「セベクだ。セベク・ジグボルト」
「セベク……」
私が名前を復唱するのを見て、セベクは満足そうに頷いた。こういう顔は幼く見えるが、一体何年生なんだろう。この学校に来てから、見た目と実際の年齢はなかなか一致しないものだと身をもって知ったので全く見当がつかない。

「覚えたよ。ありがとう、セベク。あの格好のまま歩いて、クルーウェル先生なんかに見つかったら……君もわかるでしょう」
「気にするな。若様の御前でみっともない格好をされては敵わないからな」
「ふうん……?」
これは彼と交流するうちに知ったことだが、彼の”若様”と私はどうやら面識があるらしい。私の方は若様なる高貴なお方の心当たりが全然ないのだけど、それを正直に言ったら大きい声で咎められるので言えない。正体不明の若様も次会う時には俺が若様だと名乗ってくれればいいのに。
 
「そういえば、君すごくちゃんとしてる。身だしなみとか」
「若様の護衛として、当然のことだ」
「なるほど……」
身なりを見るという名目で、彼を上から下まで眺め回した。そして、今まで彼をちゃんと見てこなかったのを惜しく思った。髪はちゃんとセットしてあるし、制服は校則の通りに、靴は曇りなく磨かれている。立ち姿もピシッとしていて強そうだ。

「ハ!そろそろ授業が終わる。若様のお迎えに行かなければ……」
「え!もうそんな時間?私も補習に行かなくいと……」
セベクは若様を迎えに行こうと踵を返した。彼の行き先は、私の向かう補習の教室とは反対方向のようだった。
「あの、セベク」
セベクが私を見た。彼の瞳を見返して初めて、それが人間に属するものたちと形が違うことに気づく。

「なんだ?名前」
「つ、シャツがはみ出ていたらまた教えてくれる……?」
「そんな心配より鏡を気にした方がいいんじゃないのか?」 
「ああ、うん。その通りだ。気をつけます」
「?まあ教えてやらなくもないが……僕はもう行く。またな」
「またね」
セベクは制服の裾を翻して若様の教室に向かって去っていった。あっちは3年生の教室が多い棟だから、噂の若様は3年生なのかもしれない。

長い脚で颯爽と歩く姿をしばらく眺める。角を曲がって渡り廊下に差し掛かると、横顔が見えた。出会った時の仏頂面とはかけ離れたニコニコした顔は、彼の若様に会えるのが本当に嬉しくてたまらないのだろう。

元気よく跳ねる薄い緑色の髪が見えなくなって、私は彼の名前を繰り返した。セベク、セベク・ジグボルト。この学校で知り合った人たちは皆聞き馴染みのない名前ばかりだけど、彼の名前はすぐに覚えた。だって、確かあれは、神様の名前だ。

この世界に来てから出会うものすべてを「しっている」「しらない」に分けるのは、私の良くない癖だ。彼の名前は「しっている」に分類できる。魔法のない私の故郷にもあった、神様の名前。でも、それだけだ。私はそれ以上のことは何もしらない。

もっと彼を知りたいと思う。彼の好きなことも嫌いなことも教えてもらって、そうしていつか今よりもっと特別な名前になったらいいと思う……のんびり黄昏れたのも束の間、私は補習が控えてるのを思い出し大慌てで教室に向かった。補習はなんとか乗り切った。



その晩なんだか外が気になって窓を開けると、やっぱりツノ太郎がいた。オンボロ寮がお気に入りらしく、離れたところから建物を見上げている。

足音を立てないように玄関から外に出て、いつものようにおしゃべりをする。友達の少ない私がセベクと友達になりたい話を聞いて、彼はちょっと驚いた顔をしていた。ツノ太郎が「お前とセベクが友達に?」と呟いたその声がなんだか楽しそうだった。セベクとツノ太郎は友達なのかもしれない。私は調子に乗って自分の冒した失態や仲良くなるにはまだ時間がかかりそうだという話までしてしまった。

ツノ太郎はなんだかいつもと違う様子で私の話を聞いたが、ふたりで声を殺して笑いあうのはいつも通りだった。あんまり大きな声で話すとグリムやゴーストたちが目を覚ましてしまう。

オンボロ寮の柱時計が鳴って(壊れているせいで夜間も鳴るのは困りものだ)0時を告げた。そろそろ寝ないと明日に響く。

ベンチから立ちあがろうとした私の耳元で彼が「祝福を」と囁いた。私はぽかんと間抜けな顔で彼を見上げる。ツノ太郎はくすくす笑って私を見返した。そういえば、この人の瞳も不思議な形をしている。

「え?何に対して?」
「……そうだな。お前に素敵な友人ができますように」
「お祈りしてくれるの?ありがとう。あなたも、私の素敵な友達だよ」
ツノ太郎は目を瞬かせ、「光栄だ」と嘘っぽい仕草で笑ってみせた。そして彼が緑の息吹を吐き出したのを横目に、気絶するように眠りに落ちた。ツノ太郎がお祈りしてくれたので、次会う時はもっとセベクとうまくお話しできるような気がしている。


*前次#

TOP