ムーンライト・スターライト

トリガーは3人とも面倒見のいい人たちだと思う。中でも九条さんはびっくりするほど人に構う。飲み会で乾杯した直後、ビールひとくち飲んだ時点で「名前さん飲みすぎ!もうウーロン茶にして」とジョッキを取り上げられる。その時点ですでに十さんは完飲して「次は何飲もうかな、いきなり泡盛いっちゃおうかな」とウキウキしているというのに。恨みがましく指摘すれば「龍は肝臓も大きいからいいの」と意味のわからない理屈でウーロン茶を持たされる。

それで前に一度「九条さんってお母さんみたいな時ありますよね」と八乙女さんに打ち明けたら、真面目な顔で「絶対天に言うなよ」と返された。否定しなかったから、八乙女さんもそう思っているのだと思う。


「よかったらこれ、使ってください」
「え?」
デスクワークしている背後に誰かが立つ。振り向く前に声で九条さんだとわかった。男の子の声だけど、3人の中ではいちばんかわいい。トリガーの3人は全員声が聞きやすくていい。電話口で「もしもし」だけ言われてもすぐに誰だかわかる。

「どうしたんですか?」
「この間の仕事の。よかったら」
見覚えのある化粧品メーカーの紙袋を押し付けられるままに受け取る。スキンケア、ルージュ、チーク、ハンドクリーム大小。顔をあげると、フロアには九条さん以外誰もいない。

「自分で買ったの?それで私に?」
「うん。おすすめしてもらった商品、名前さんにも良さそうだと思って」
「あ、ありがとう」
「ううん」
人がいないことに安心して口調が砕けると、九条さんの表情もほころんだ。本当に、花が咲くように笑う人だ。それが、感情が高まりすぎるともっと”すごい”のを私は知っている。トリガーのサポートをしているうちに何度か見た、ステージの上で感情が高まりすぎた時の笑顔は本当にすごい。見ている人の心をガッと掴んで、惹きつけて、決して離さない。この人このまま泣いてしまうかもしれない、と裏から見てるこっちがヒヤヒヤさせられるほどの感情の発露。それを隣に立って当然のように受け入れる八乙女さんと十さんもすごい。終演後に十さんが「アンコールの天見た?ああいうところ、本ッ当にかわいいよね!」とウキウキで耳打ちしてくると安心する。私はこの人の魔性に怯えてるけど、隣に立つ十さんはなんてことない風に受け止めてくれるのだと。

「とにかく、保湿。乾燥対策。あといい加減ルージュでもティントでもいいから塗って。元気なのに顔色悪く見えるし、ランチ行く前にこっそり塗るくらいなら朝から塗ってよ」
紙袋の中身を取り出して渡す時に一瞬指先がふれあい、九条さんは惜しむように手を引いた。どんな表情でいるのか、怖くて顔が見れない。

「……よく見てますね」
「当たり前でしょ、」
九条さんは不自然に言葉を切る。飲み込んだ言葉は「好きだから」「名前さんのことだから」「名前さんこそ、いつもボクを見ているのに?」いったいどれが正しい選択肢か。伝わってるのに彼が飲み込んだのは意味があるのか、彼が言わないなら私は追求しない。私は、九条天の精一杯のプライドをいたずらに突いて崩したくない。

「嬉しいです、大事に使います」
「本当に?だって名前さん、米粒くらいしか出さないじゃない」
「それは……」
九条さんが冗談ぽく目を見開いて笑った。前に私が化粧品一式を忘れて地方ロケについて行った時のことを揶揄っている。まあ私はテレビに出るわけでもないし、ホテルでもらえたらいいなあと呑気にしていたら、その夜九条さんが「ボクはもう使ったから、名前さんこれ使って。それで朝また返しにきて」と高級スキンケアを手に私の部屋に突撃してきたのだ。ホテルの廊下に佇んでいるのは、持参したパジャマにジェラピケのふわふわカーディガンを羽織っただけの無防備な九条天。恐れ慄いてしまい、部屋に入る・入らないでしばらく押し問答したが九条さんは「名前さんがちゃんとスキンケアするまで絶対部屋に戻らない」とものすごく頑固で、当然私が負けた。

その日は史上最速でシャワーを浴びて、おしゃれ大天使九条天監督の元スキンケアをしたのだが、化粧水を一しずくだけ出したらカミナリが落ちたのは言うまでもない。だってあんな高いの、借り物だしジャバジャバ使えるわけない!当然、同じフロアの八乙女さんと十さんから「もしかして天が何かしてる?」「天そっち行った?ふたりとも早く寝ないとダメだよ」ラビチャがきた。もっと九条さんの身を心配してほしい。

「あ、れは……あんな高級品をお借りするなんて、おそろしくて……」
「あの時も、ボクは好きなだけ使っていいって言ったけど」
「そうは言っても!アイドルの九条天が惜しげもなく高級スキンケアを使うのと、一般人の苗字名前がそれをお借りして遠慮なく使うのは別物ですよ!?」
「そう?ボクは名前さんがボクのもので綺麗になるのはすごく嬉しいけど」
「こ、光栄です」
「なに?それ、何役のつもり?教えてよ」
九条さんはたまらず吹き出した。八乙女さんや十さんといる時に見せる年相応の姿を私にも見せてくれるのは嬉しいと思う。ファンに見せる完璧な姿も、よその人たちに見せる強い姿も好きだけど、年相応に笑ったり怒ったりする姿がいちばん好きだ。

九条さんが紙袋から取り出したものを受け取ってひとつずつデスクに並べる。ルージュもお揃いのクリアなやつだった。私がそのまま塗るには厳しいが、九条さんは元の唇の色も薄くてつやつやしているからこれだけで十分らしい。この人には、本当に過剰な装飾がいらない。自分の素材だけで戦っているんだなあと感動してしまう。

「素敵なものを教えてくれて、ありがとう。九条さんのおすすめなら間違いない!って感じがします」
「せっかくもらったからって大事にしすぎないでちゃんと使ってね」
「がんばります」
「がんばらないでよ。ちゃんと減ってるか、見に行ったほうがいい?」
「うちに!?ちゃんと使うから大丈夫ですよ」
「そう?」
九条さんはちょっと困ったような、あての外れたような顔をした。冗談だって、互いにわかっているはずだ。仲間も自身も、悪意あるカメラに散々傷つけられてきた。用心深い彼は週刊誌に撮られるようなことはしない。好きな人の家を単身訪れるような真似はしない。ファンを傷つける愚かな行いは二度と、しない。

「九条さん、早速ハンドクリーム使ってもいいですか?」
「え?いいけど」
話題を変えようとして、ハンドクリームを手に取る。大きな音と共にチューブから思いのほか中身が押し出されて、九条さんが笑った。
「そんなに使うの?……ちょっとわけてよ」
笑顔と裏腹に声は複雑な意図を孕み、慎重な手つきで私の手の甲のハンドクリームを奪う。触れたい、触れない、好きだと言いたい、さわれない、今のままでは。好きの気持ちが痛いほど伝わる。

アイドルの九条天はすべてをファンのために捧げている。九条天のファンは世界一幸せだ。あなたの神はあなたのためにすべて投げ打って尽くして、どんなに傷だらけになってもカメラの前に立ち続けてくれる。私はそれを知っているから、ステージにいないただの九条天が誰を愛していても、その対象が自分だとなんとなく察していても、突いたりしない。24時間365日アイドルとしてあろうとする九条天と、そうであっても自分はただの19歳の男の子だと叫ぶ九条天の間で、彼はがどれほど苦しんでいるのかはかり知ることはできない。

「ハンドクリーム、なんで大小ふたつもくれたんですか?」
「デスクに置くのとカバンに入れるのでふたついるでしょう。ほら名前さん、忘れ物多いから」
「ぐっ……」
「あれ、天ここにいたんだ」
「龍」
十さんに続いてフロアに入ってきた八乙女さんの「おはようございます」の声が響く。デスクの上に並べられた化粧品にふたりはすぐ気づいた。

「あ、仕事のやつ?」
「そうなんです。九条さんがくださって……」
「なんだっけ、お前らのそれ……前ロケの時言ってた」
「あ、”乾燥肌仲間”?」
「それ。天よかったな、お揃いで」
八乙女さんは意味ありげに九条さんを見た。十さんも微笑ましげに見守っている。九条さんの恋愛沙汰に言及するなんて、私にはできないことをふたりは簡単にやってのける。
「そう。お揃いで買った。いいでしょう?だって……」
九条さんは顔をあげてきっぱりと言い切った。私はハラハラしながら九条さんの今度こそ続きそうな言葉を待つしかできない。

「だって、名前さんのこと大好きだから」
その言葉にギョッとして、体が誤魔化しようもなく大きく跳ねる。とりあえずもらった化粧品をゴソゴソ紙袋にしまった。証拠隠滅するしかない。

「堂々としてろよ」
「そうそう、ここには4人しかいないし」
「そんなの……」
無理ですよと言おうとした言葉は九条さんが遮った。化粧品をしまう手を、掴んで止める。今度は触れるのを躊躇わずに。

「そう、楽の言う通り堂々として。あなたを好きなボクに恥じないあなたでいてよ」
九条さんはそう言って微笑むと、一転「ふたりともまだ集合時間に早いよね。なに?邪魔しにきたの?」と煩わしそうな表情に変えた。

「え?それは……」
「……」
九条さんの厳しい視線にふたりはさっと視線を逸らし居心地悪そうにする。
「楽は天が心配だっただけだよ、邪魔するつもりなんてなくて……」
「龍、正直に言うなよ!」
やっぱり、この人たちってすごく面倒見がいい。九条さんと八乙女さんの取るに足らない舌戦を聞きながらハンドクリームを塗り伸ばす。

「本当に心配してたんだよ。天のことだけじゃなくて勿論、名前さんのことも」
「でもふたりとも、面白がる気持ちがなかったわけじゃないよね?」
「あっ……」
「もう、おふたりとも面白がってたんですか?ひどいなあ」
「違うって……」
八乙女さんが困りきって弁解するのを十さんは笑って流した。何か温かいものでも入れようかな、席を立った瞬間九条さんの視線が私に向く。

「どこにも行かないですよ」
「そう?」
何も聞かれていないのに先んじてそう言うと、わざとらしく視線が外れる。この人のこういうところがいじらしくて、かわいくて、いっぱい大事にしてあげたいと思う。給湯室に向かう私の背中にまた視線が纏わりついたが誰も何も言わなかった。ただひとつ「どこにも行かない」の言葉の通り、超特急で席に戻ることが確定している。



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