流星拾い 前

>>異世界から来たハートの居候夢主はハートの海賊団船長トラファルガー・ローだけを知らない
>>時空不明のアイマス微クロスオーバー

名前はある日突然艦の甲板に落ちてきた。この世界のどこにも行き場のない女だった。この世界のことを何も知らなくて、かわいそうに思った船員達があれこれ教えて、気づいたらもう下ろせない程に情がわいていた。

名前はこの世界のことを何も知らない。地理も歴史も、今この世の情勢さえも知らない。一度教えれば医術も航海術も完璧に覚えて忘れることはなかったが、「別にいいことばかりじゃない」と困った顔をした。普通の少女が海賊船に乗ってる以上、見たくないことも聞きたくないこともあっただろうが、「たしかに私は平和な世の中しか知らなかったけど、船に乗せてもらってる身としてこれ以上わがまま言えません」と言って険しい顔で武器を取った。

@

シャボンディ諸島を目前にして、何も知らないはずの名前は、ある手配書を穴が開きそうなほど見つめていた。
「麦わらの……ルフィ……?」
「どうしたの、名前?真っ青だよ」
ベポが手配書を握りしめた名前の手をそっと握った。いつもだったら途端にだらしない顔になって笑うのに名前は唇を震わせただけだった。

「キャプテン、麦わらのルフィって……」
「その紙から手を離して座れ。話はそれからだ」
「だって、嘘、わたし……知らなかった……」
顔色を失った名前がよろめき、椅子を巻き込んで転び、そのまま床にうずくまる。大きな音を立てて椅子が倒れたが誰も気に留めなかった。

「名前!」
「キャプテン、私知らなかった。ワンピースだって……キャプテンのこと、私知らないのに……!どうしよう」
机の脚に頭をぶつけそうになり、慌てて頭を引き寄せる。名前はぶつぶつと要領を得ない発言を続けている。手首を握って脈にふれる。息は浅く脈は速いが、特別深刻な症状ではない。名前が初めて船上での戦闘を目撃した時もこうなった。島で虐げられる奴隷を見た時も、激昂して部下を殺す海賊を見た時も。記憶を鮮明に焼き付ける能力のせいだ。

「何も知らないのに、私が、来ちゃった……」
そのまま名前は何も言わなくなった。細い体が震えていて、涙が肩を濡らした。ひっひっと短くひきつれて、苦しそうな息をしている。
「キャプテン……名前は」
「息はしてる、とりあえず医務室に寝かせろ」
名前は今更一体何を知っているというのか。ワンピースという言葉は今まで名前が意味を持って口にしたことはなかった。お前はあの手配書に何を見た。

@

手配書を見た時、頭を殴られたかと思うくらい衝撃が走った。ワンピースだ。亜美と真美が事務所で真似してた、ゴムゴムの、あのワンピースだ。

だとしたら、一体どうして私がここにきてしまったのか。春香ちゃんたちが海ばかりの世界に呼ばれたことがあったから、初めはここもきっとあの世界なのだと思っていた。

旅の途中、クルーから空を飛ぶ島があると聞いて、もしかしたら卯月ちゃんたちの訪れた世界かもしれないとも思った。あの世界にいる時だけ使える不思議な能力があったという。

輝さんたちの事務所には異界の人が来ることがあるという。皆いきなり来ていきなり帰って、後には思い出だけが残っている。

こういう風に何年かに一度、事務所の仲間や友人達が呼ばれていったり、何かを招いたりするから、やっと自分の番が来たと思った。招き、招かれる、ひとときの特別な体験は一流アイドルの証。私はたまたまハードな世界に喚ばれただけ。

……本当にそうだろうか?

先輩たちの体験を思い出してはこんなの別に珍しくない、と言い聞かせていた。みんな世界を渡ったり夢の中を漂っても、それらはいつか終わりが来て、またステージに上がる。

私は、帰れるのだろうか。もうここにきて半年も経ってしまった。ちょっと長すぎないか?今更帰って居場所はあるのか?ただでさえみんなより人気がなくてレッスンも遅れているのに。売れないアイドルの穴を埋める魅力的な新人ならたくさんいるのに。

私は、この船にいていいのだろうか。お金もない役に立たない無知な私に良くしてくれた艦の人たちを思うなら、キャプテンの夢を思うなら、早くここを去るべきなんじゃないのか。でも、どうやって?この海では奇想天外なことが起こるが、違う世界に帰る方法はまだ見つからない。

@

ゆっくり目を開ける。記憶にはっきり焼き付いている天井。ハートの艦、医務室の天井。ベッドの隣の丸椅子に険しい顔の男が腰掛けている。健康観察のためか、私の顔をじっと見ている。ああ、口を開くまでが永遠みたく長い。

「体調は」
「……キャプテン」
何より、私はこの人を知らないのだ。ハートの海賊団、船長のトラファルガー・ロー。私の乗る艦の、キャプテン。私の記憶にいない人。

知らない世界で一文なし、途方に暮れる私を拾ってくれたお人好しのキャプテン。私の「見たものすべてを覚えている記憶力」を全て、キャプテンとこの船のために使うことを条件に仲間にしてくれた。私は教えられるまま手術の手伝いをして、海ばかりのこの世界の地理を覚えた。

ここまでの航海で何度か見たオペオペの実の能力は「知らない」と、思う。見たもの全て覚えているはずのこの記憶にはないし、ルフィしか知らない。ルフィのことも亜美と真美のごっこ遊びと、街中で目にした程度のことしか知らない。

キャプテンの手を借りてゆっくり身を起こす。初めて見た時は怖くて仕方なかった、刺青だらけの手をじっと見つめる。今はこの手が仲間の命を護り、救い、導く優しい手だと知っている。

気持ちは随分落ち着いていた。いくらなんでも動揺しすぎだと、少し前の自分を振り返る余裕すらあった。

「もう平気です。騒いですみませんでした」
「平気なわけあるか。あの手配書のせいだろ。何があった」
「……私、ここに”来た”時、何も知らないって言いましたよね。もしかしたら……知ってたかもしれなくて」
「麦わらの一味を?」
「たぶん、あの船長しか知らない……けど」
「そうか」
キャプテンが気を悪くしたのは明らかだった。麦わらのルフィの懸賞金3億、軍はルフィやキャプテンを含む億越えのルーキーたちを一括りにして警戒しているという。キャプテンの懸賞金は今のところそれより少ない。平和な世から来た人間の感想だが、別に高ければ高いほどいいということはないと思う。が、恐ろしくてそんなこと直接言えない。

新聞を見る限り、他のルーキー達はかなり危ないことをしている。ハートの仲間たちがひとつも危ないことをしてないという訳ではないが、私はたまにここではない船に落ちていた可能性を想像してぞっとする。

「他に何か思い出したことは?」
「…………」
キャプテンの指先を眺めて誤魔化した。なんだが機嫌がよろしくないし、嫌な予感がしたのだ。キャプテンの爪は短く切り揃えられているが、切りっぱなしだ。戦場でも手術室でも彼が能力を使う時、この手は欠かせない。後でご機嫌とりを兼ねて爪を磨かせてもらおう。キャプテンは確信した口調で「何を思い出した」と再度私に問う。

あれは、律子さんがデスクの上でクリップを全部ぶちまけて「あ〜〜もうやんなっちゃう!」と叫んだ時。私は慌てて冷蔵庫の大きなマグネットを取りに走った。ひとつふたつなら手で拾えばいいけど、流石に数が多すぎたのだ。クリップが次々とマグネットに吸い寄せられていく。「律子さん、大丈夫?」「ありがと。名前がジキジキの実の能力者のおかげで助かったわ」「ジキジキの実?」「あー、ワンピースにそういう能力があるのよ」「そうなんだ」「名前も読む?」「うーん」「あ、涼に貸したままだわ……」「又貸ししてもいい?涼さんに聞いてみる」「いいわよ」そうか、あれもワンピースだった。涼さんに5巻まで借りて1巻読んで、貴音さんが興味津々の顔で見てきたからそのまま渡した。律子さんの手元に無事帰っただろうか。

「じ、ジキジキの実……?」
「……へえ」
恐る恐る口に出したら、キャプテンの機嫌が余計に悪くなった。なんで!?何がダメだった!?おろおろする私を見て、キャプテンは掛け布団を持ち出して「今日はもう寝ろ」と言う。

「キャプテン、怒ってますか……」
「……怒ってない」
機嫌の悪い顔のままだったけど、布団をかけてくれる手つきは優しい。これ以上怒らせないように私は黙って目を閉じた。

後から調べたら、その実の能力者も同世代で括られたひとりで、懸賞金はキャプテンより上だった。何か手がかりになるかと手配書を見たが、全然知らない人だったのでキャプテンの機嫌を損ねただけで終わった。名前出して損した。

@

マリンフォード近海にて、キャプテンは麦わらのルフィの治療を引き受けた。私はあのルフィが傷ついて運ばれてきたことに呆然としたが、キャプテンは大手術の手伝いを私に命じたので立ち竦んでいる場合ではなかった。オペオペの実の能力の前では素人の手出しは邪魔にしかならないが、細々とした作業をしている間に手術は終わっていた。

艦は追撃の手からなんとか逃げ延びたことにほっとする間もなく、次の目的地へ向かっている。キャプテンは患者の容態を確認し、私は治療によって出た汚れ物を片付ける。これ、洗濯機何回回せば終わるんだろう。

「気になるんだろ。会っておくか?」
少し前まで血まみれだった手を洗いながら、こちらには目もくれずキャプテンは聞いた。
「いいです。一方的に知ってるだけで、向こうは知らないし……それどころじゃなさそうだし」
私はまだ、元の世界に帰れない。私はキャプテンを知らない。キャプテンは主人公のルフィを救ったのだから、ストーリーに大きく関わるキーパーソンなのかもしれない。もしかしたら、帰る道が見つかるかもしれない。……本当に?

「……そうか」
キャプテンは静かな目で私を見た。浅はかな私の考えを見透かされている気がして、キャプテンの目をそれ以上見ていられない。

「あの、私洗濯してきます」
汚染と清潔に分けられたバケツのうちひとつを持ち上げて、逃げるようにその場を去った。むせかえるほどの血のにおいから、キャプテンの視線から逃げ出したかった。この争いばかりで不平等で乱暴な世界に慣れてしまったのを指摘されるのが怖かった。

この世界に来た時、あんなにも帰りたかったのに今はどうだろう?諦めてしまったら帰れなくなるのに、私はもう諦めかけている。

狭い廊下を通り過ぎ、両手が塞がっているので洗濯室のドアを足で開ける。どんどん私じゃなくなっていく。765プロのアイドルだった苗字名前は、もうどこの世界にもいない。


*前次#

TOP