星追い

>>RED要素あり、ネタバレなし


「乗らない!」
涙混じりの悲鳴みたいな声だった。処刑場の近くで大声出したら捕まるとか、考える余裕はなかった。その声を向けられたバギーもさっきまで大粒の涙どころか鼻水垂らして泣いていたが、今は私の大声に驚いてひととき止まったらしかった。

「じゃあ、」
「シャンクスにもついていかないって言った!あたし絶対、あんたの船に乗らないから」
バギーより先にシャンクスが「一緒に来るか?」と聞いたその意図についてはいまいち不明だが、この男に関してはわかりきっていた。

シャンクスを上回りたい、取るに足らないことのひとつであっても、相手に勝りたい。あたしがシャンクスでなく、自分を選んだというその一点でシャンクスに勝ちたい。馬鹿みたいだ。ロジャー船長が処刑されてこんなに悲しいのに、悔しくて涙が止まらない。あたしはあんた達の勝負のトロフィーじゃない。

「名前」
「ついてこないで!あたし、もう二度と」
切り離された手首の先だけが追いかけてきて私の手首を掴んだ。

船に乗るかって誘ってくれるならもっと別の理由がよかった。気心知れた仲間として、旗揚げのひとりに選ばれたのなら喜んで仲間になった。大罪人として名前を口にすることもできなくなったロジャー船長の思い出を、オーロ・ジャクソン号での楽しかった日々を語り合うただひとりとしてでもよかった。

「あたし、もう二度と海に出ない。万が一出たとしても、絶対、あんたの船だけは乗らない!」
「名前!」
手首に張り付く指を剥がして、切り離された手首をボールのように掴む。指先だけが必死に抵抗して大暴れしているが、押さえ込み、力いっぱい振りかぶる。全力投球した手首は見事持ち主の顔面にヒットした。船に乗っていた時なら、野次馬の喝采を浴びて「いいぞ名前!」「やっちまえ!じゃじゃ馬娘!」すかっとしたかもしれないが、1年前に解散したし、ロジャー船長は今日処刑された。今日ばかりは気持ちが少しも晴れなかった。それどころか涙が余計に溢れてくる。

「ぎゃあ!!!」
「二度とそのアホ面見せないで!!」
足と胴と頭がしっちゃかめっちゃかの状態で地面にひっくり返るバギーを置いて、あたしはその場を後にした。あたしに対する文句がたくさん背中に浴びせられたが、振り向くつもりはなかった。

どうにかしてこの島をさっさと離れて、あの船の見習いだったことを知られないくらいの田舎を目指そう。気持ち悪い。もう二度とこんな思いをしなくていいように、陸で暮らそう。吐き気がする。もしもいつか、大海賊になったシャンクスやバギーが、ロジャー船長と同じ目に遭ったとしても、耳に入らないくらいの田舎に住もう。

一度も振り向くことなく、寂れた港にたどり着くと私は漁師に交渉して小舟をひとつ手に入れた。世界のほとんどを占める大海原に漕ぎ出すにはあまりにも頼りない船だったが、ちょうど良かった。二度と海には出ない、その決心を強くするには十分だった。今日だけで一生分泣いたと思ったが、まだ涙が止まらない。


@@@

「ついさっき、北の港に海賊が着いたらしいよ」
「またですか?最近多いなあ」
「大きい船みたい。あなた、気をつけなさいね」
「ええ。近所の子ども達にも近寄らないように言わないと」
八百屋の店主は耳が早い。お金の受け渡しの時にそっと教えられた情報は本当に「ついさっき」のことなのだろう。

「おまけ、ありがとうございます。娘ももう、いないのに……」
「ひとりでもちゃんと食べなきゃダメよ。お嬢も独り立ちして、名前さんやっとゆっくりできるんだから」
「……ありがとうございます」
島の人みんなによく可愛がってもらった娘を思って微笑んだ。島を出ても、多くの人がこうして娘を思ってくれている。

八百屋の店主はわたしが昔海賊(見習いだけど)だったことを知らない。昔この島にやってきて子を産んだ、夫のいない女だとしか知らない。

女手ひとりで子を育てるのはこの大海賊時代にあって珍しくないが、わたしが島に住むようになってからの暮らしをずっと見てきた八百屋の店主には思うところがあるのだろう。八百屋の店主の他にも見守ってくれる人達のおかげで、ひとり娘は元気に育ち、数日前に島を出た。

野菜と果物の袋をぶら下げて、帰路を行く。娘が小さい頃は買い物袋を一緒に持ってゆっくり帰った道だ。航海士になりたいと打ち明けられた時は驚いたが、両親共に海から来たのだから当然といえば当然だろう。止められるはずがなかった。ついに乗せてくれる船を見つけて、数日前娘は笑顔で島を出た。海賊船でなくて良かったと心の底から安心した。

「さて、かわいい娘はいないが、晩ごはんを作ろうっと……」
自宅の鍵穴に鍵を差し込んだその時、背後から大きな影がさした。娘ではない。既に島から遠く離れている。近所の人でもない。こんな大きな影の持ち主はいない。八百屋の店主でもない。走って追いかけてきたのなら足音がしたはずだ。「ついさっき北の港に海賊が……」小さな島だ、ついさっき来た海賊がここまで来るのに、そうかからない。わたしは背後の敵に向かってナイフを振りかぶった。

「アっ……ぶねェな!!相変わらず!!テメェは!!!」
「は……?」
切り離された手首がナイフを奪っていき、取り返そうと振り向いて驚いた。バギーだ。嘘かと思ったが、忘れようにも難しい顔だ。歳を重ねようにも顔に特徴がありすぎるし、ここ数年は大事件が起きるたびに新聞でよく見た。

グランドラインにあるこの島では、ニュース・クーも毎朝届く。「二度とふたりの名前の届かない場所で暮らす」というわたしの夢はこのグランドラインの小島では叶わず、シャンクスやバギーが何かやらかせばちゃんと新聞に載ってわたしの元にも届いた。新聞の言葉全てが正しいわけではないのは分かっているつもりだが、ここ数年はふたりが大事件を起こして新聞の一面を飾るたびにヒヤヒヤさせられている。いつか、本当にロジャー船長のような道をいくのかもしれないと。

「バギー!?なっ!?何しに……」
「何って、そりゃあ……」 
「うちには何もありません!帰って!」
バギーは言いにくそうに言葉を濁した。立ち去る気配はない。

わたしはこんなところ(仮にも王下七武海がこの小さい島のひとりぐらしの女の家を訪ねているところ)をご近所に見られたら困る、とハッとして「今すぐ出てくか、お行儀よくするならうちに招いてあげる。すぐ決めて」と早口で言い放つ。

バギーは黙って家に入った。わたしは買ったものを冷蔵庫やらパントリーに戻そうと袋の中身を取り出した。

「それで、いったい何の用」
もう20年以上も前のことになる、喧嘩別れの怒りはとっくにさめていた。この古い友人が急に訪ねてきたからには何かあるのだろう、という気でさえいた。バギーは部屋じゅう見渡してわたしに尋ねた。

「おまえ、娘は……」
「……どこで聞いたの」
娘目当てなら話は別だ。とっくに島を出て行ったが、全速力の海賊船になら追いつかれてしまうかもしれない。愛する娘の旅立ちを邪魔しようとするなら……台所の包丁の位置を確認する。そろそろ研ぎ直す時期だが、刺す分には問題ないだろう。王下七武海、千両道化のバギー刺される。痴情の絡れか!?復讐か!?明日のニュース・クーのトップを飾るに足らない記事だ。このグランドラインでは毎日それ以上の事件が起きてる。よし、敵意があるなら容赦なく刺そう。

「娘は、しばらく前に航海士見習いになるってここを出ていったわ。たとえあんただろうと、娘を傷つけるならここで殺す」
「航海士か……そうか、立派になって……」
涙ぐむ素振りさえ見せるバギーにわたしはイヤな感じがした。こ、この野郎、こいつ、まさか……

「……まさかあんた、自分の娘だと思ってんじゃないでしょうね」
「違ェのか!?」
「違うに決まってるでしょ!!!!!!!」
「ハァ!?おれはてっきり……!」
「どの面下げてあの子の父親だと名乗り出るつもり!?絶対やめて!そもそもあの子は17歳になったばかりよ!」
帰れ帰れ!!買ったばかりの野菜や果物を投げつけるが、バラバラになった手足が器用に全部受け止めた。さすが千両道化だ。別に褒めてない。

「17ァ!?嘘だろ!」
「嘘ついてないわよ!!たしかに21の時に産んだもの!あんた自分の年も数えられないの!?」
何か思いついたバギーの顔が青くなる。わたしにはわかる、絶対ロクなことじゃない。

「ハ!ま、まさか、お前シャンクスと……!!」
「いい加減にしろ!!!!!!帰れ!さっさと帰れ!!」
最後に投げたリンゴがぽこんと間抜けな音を立ててバギーの頭にぶつかった。 

バカ。大バカ。ハデにバカ野郎。ありえない。んなわけあるか。わたしはむしろ数年前、ふらっと島を訪れたシャンクスに娘を紹介された側だぞ。赤髪海賊団の音楽家、かわいいお嬢さん。どうかこの大バカ野郎にだけは見つかりませんように。

「ってことは、お前今ひとりなのか」
「……そうだけど」
バギーの足元に落ちたリンゴをかがんで拾う。ちょっとへこんでいるが、洗えば食べられる。さっきまで大声で喚いていたのが嘘のように静かだった。

「じゃあ、来るか。おれと」
「……あんたすぐ七武海クビになりそう」
「なっ……ならねェ!向こうから七武海に加入してお力をお貸しくださいバギーさま、と言われてなったんだ!実力だ!おれの!!!」
絶対うそ。信用ならない。わたしの突き刺さる視線にバギーはたじろいだが、意見は変わらないらしかった。わたしに船に乗れという。あの日のことは水に流して。

「そもそも陸に20年もいる人間をわざわざ連れて行ってどうするの。絶対役立たないよ」
「こんだけデカくなったんだ。名前の働きになんか期待してねェよ」
「じゃあ何」
「な、何ってお前……思い出話要員だよ」
バギーはまた言い淀んだ。この際それはいい。なんとなくうっすら察しているが、今更いい年したふたりで甘酸っぱい青春をやるつもりはない。娘の父親にあたる人物は、娘を産む前に死んでもう顔も声もぼんやりしているが、それを踏まえてもこいつだけはない。数年前に島を訪れたシャンクスが「お前達、まだ……」と呆れていたことを思い出してなんかいない。ないったらない。

「ログはあと1日もしないでたまる。乗るか乗らないか、それまでに決めろ!」
「勝手だな〜」
「でも乗るだろうが」
「うるさい!誰もまだ乗るなんて言ってない!帰れ!さっさと!今すぐ!!」
「痛ッ!何でもかんでも投げつけやがって!」
丸ごとのキャベツを顔面で受け止めたバギーは明日夕方!と言い放って去っていった。

やっとのことで追い払ったわたしは肩で息をする。たったこれだけのことで息が上がるようになってしまった。船に乗っても絶対役に立たないのに、バギーはそれでもいいと言う。

どうしよう。街のみんなになんて言って、出て行こう。まず荷物をまとめて、娘に連絡しよう。「ここを出て、海賊やるの」と。驚く娘に言う言葉は決まっている。「だって母さんは昔、海賊王の船に乗っていたのよ」だ。きっとひっくり返るほど驚くだろう。想像するだけで笑いが止まらない。





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