君に殺される準備ならできている
久しぶりの地球、揺れない地面。高いハイヒールを極力鳴らさないようにして地面を踏みしめ、ロッカーへと全速力で進む。ゴロゴロと小さいキャリーの音がそれに続いた。
「名前、急いでるのね」
「これから忘年会なの」
「ボーネンカイ?」
長いコンパスで私に追いついた金髪の同僚にフランス語で返すと、彼女は首をかしげた。
「年末のパーティ、飲み会よ。うちの会社も来週あるわよ」
「ボーネンカイ、楽しみだわ」
金髪美女がその頬を桃色に染めて微笑んだ。鏡に映る私の顔は反対に不機嫌だ。
「一回家に帰りたかったのに、これじゃ間に合わない」
スカーフを解いて、制服をハンガーにかける。ロッカーの鏡にはキツい化粧の女が眉を寄せていた。長距離線勤務を終えて疲れ切った私だ。
二日ぶりに帰国して、楽しみにしていた野球部の忘年会、一回家に帰るつもりだったのに、着陸後のミーティングが延びて遅くなってしまった。貴子に遅れるかも、とLINEはしたけど着替えてさらに遅れるのも嫌だ。出来上がったあの空気に遅れて入りたくない。
「久しぶりの再会に黒のニットにパンツにロングブーツで高校の同級生が来たら、どう思う?」
「名前スタイルいいから大丈夫よ。アクセサリー何かないの?」
「なーにも持ってきてないわ」
優しい同僚の言葉にも笑顔が返せず、せめてメイクくらいは可愛く、と思って化粧を直した。ぎりぎりの及第点を自分に出してばたんと勢いよくロッカーを閉める。
せめてコートが可愛かったらよかったのに、今日持ってるのは仕事用の素っ気も何もないやつ。家帰って着替えるからいいよね、なんて言っていた2日前の自分を呪う。長距離線だったから足はむくんでるし、ロングブーツで来たのが唯一の救いだ。ただ、久しぶりに同級生に再会するにしては全く可愛げのない服装だけど。
「名前、そんな顔をしているから、少し早いけどワタシからのクリスマスプレゼントです」
同僚が私の手首に時計をつけた。センスのいい、かわいらしいけど年相応のデザインだ。水色や紫のガラス玉を繋げて作ったベルトが女性らしい。
「嬉しい、ありがとう」
「ワタシのプレゼント楽しみにしています」
「めちゃくちゃいいのを用意しておくわ、本当にありがとう」
手首できらりと時計が光った。
足早にロッカーを出て、電車の時間を確認する。急げばなんとか時間までに着けそうだ。走りたくないんだけどなあ。
その時、スマホが震えて貴子からのメッセージがついた。「迎えに行きたいって人がいたから迎えに行かせたわ。外で待ってるって」「わかった、ありがとう」素早く返信して足を進める。寒い。思わず襟を寄せた。
「お姉さん、そこのお姉さん」
マフラーを持ってこなかったのは間違いだった。手袋ももっとしっかりしたやつにするべきだった。生憎それに合うコートはないけど。
「お姉さん、聞いてます?」
誰だ、社員通用口に一般人を通したのは。CA狙いのナンパはここで待機するものなのか。聞いてないぞ。これ以上つけあがらせないために明日上司に報告しないと。なら、今日はあまり飲めないな……そもそも現役スポーツ選手達の酒の入ったテンションを考えるとここはストッパー役にならないといけないだろう。何もかもめんどくさいな……
「ねえ、お姉さん」
「……しつこい!!」
急いでるのに、というイライラから思わず伸びてきた手を叩き落として、ようやく男の顔を見た。
「……ごめん」
「はは、なんかこっちのほうがすいません…」
「御幸一也、何しに来たの」
ナンパ野郎と思っていたのは一つ下の後輩、今は球界屈指の実力者にしてイケメン代表・御幸だった。思わず渋い顔をしてしまう。捕手の手を叩き落としたわけだし、罪悪感で思わず手を取り、確認した。真っ赤になっていたのは、叩き落としたからだけじゃないだろう。いったいどれほどの時間寒い通用口で待っていたのか。
「あんた、ナンパ野郎みたいな声かけするからわかんなかった!」
「名前さんすっごい険しい顔で歩いてくるから声掛けづらかったんですよ」
さらっと御幸にキャリーを奪われて、そのまま駅に向かう。
「貴子の……御幸だったの」
「ちょうど時間が被ったんで一緒に行こうかなーと思いまして」
メガネをかけているのはいつも通り、今日はマスクもつけていて、自慢の顔が半分近く隠されているのだ。わからなくて当然、と自分に言い聞かせる。
「早く向かいましょう、今から行っても遅刻ギリギリだ」
「そうですね」
私がもらったばかりの時計で時間を確認すると、御幸は乗り換えを確認して少し急ぎましょうと言った。
自分の荷物に私のキャリーケース、荷物は多いはずなのに御幸は人混みにも負けずすたすたと構内を進んでいく。ホームに立ってやっと一息、私は自販機でミルクティーを買った。
「何がいい?」
「いや、自分で払います」
「小銭消費したいだけだから気にしないで」
「じゃあ、ウーロン茶……」
御幸はやけに渋い顔で奢られた。これから行く店でウーロン茶なんて飲もうと思えばガンガン飲めるのにわざわざ頼むのがウーロン茶。
…番線に列車が参ります、危ないですから黄色い線まで…
…反対側ホームには列車が通過します、危ないですから下がって…
「先輩、下がって」
御幸に突然腕を引かれてよろけた。揺れまくりの機内から戻って、ヒールのあるブーツを履いてきたからだ、いつもなら絶対やらない。まったく忌々しい。
反対車線を勢いよく列車が通過した。
「好き、です」
御幸の声がこそばゆく耳をくすぐって、私は思わず御幸を振り仰いで、顎同士をぶつけて互いに悶絶した。
「痛ぇ……」
「今のは脳に響いたわ……」
告白されたはずなのにムードも何もなくなって、ホームにタイミングよく滑り込んできた電車に御幸を引きずるようにして乗りこんだ。車両には人が少なくて好都合だった。
「先輩、好きです」
電車に座るや否や御幸がそう繰り返した。
こっちはさっきの轟音で聞こえないふりをしようと思ったのに速攻退路を断ちに来た。全く捕手ってイヤな性格してるわ、と知ってる捕手の顔を順番に思い返す。こいつは首位争いができるくらいの性格の悪さだけど。
時計を撫で回しながら隣に座った御幸を見た。柄にもなく顔が赤くて、逆に私の方が冷静になった。
「知ってた」
「え!?」
「だってあんた、帰って来るとき必ず飛行機で来るじゃない。新幹線使ったほうが楽なのに」
「嘘、なんで知って」
毎回毎回御幸が帰ってくるたびに国際線の後輩に名前さんのこと御幸一也選手が探してましたけどストーカーかなんかですか?見て見ぬふりのほうがいいですか?と聞かれるのだ。私自身も国内線のロビーで国際線の動きを見ている御幸を目撃したことは少なくないし、どうして気づかれないと思ったのだろう。
野球以外のことになるととんだ間抜けだ。野球に能力を振りすぎているのは私の同期たちも同じだけど、グラウンドを出てユニフォームを脱いだ途端にここまで策が働かなくなるというのはとても面白い。
「さあ、なんでだと思う?」
「……」
御幸がめちゃくちゃ嫌な顔をした。
「私も御幸を見てたからだよ」
ゆっくりと御幸の目が私に向けられた。ぽそりとつぶやいたのを御幸は2秒待ってから驚きで目を見開いて、悶絶した。
悶える中で結婚とか、もうやだ、とか、好きとか、結婚とか結婚とか結婚とか色々不穏な単語を御幸は口走っていたけれど、嫌だとは思わなくてむしろ笑いがこみ上げてきた。
人が少ないとはいえ、電車の中だってことを思い出してコートの襟を立てて口元を隠したのだけど、御幸は未だ悶絶していてそれには気づいていなかった。
「先輩、指輪買ってきたらもう一回言わせてください…」
「御幸センスないからダサいの買ってきたら突っぱねるかも」
「うっ」
電車がゆっくり減速して目的の駅に到着した。
降りた途端にホームの冷気に冷やされたけれど、御幸は暑い、と言ってマフラーを外した。片手で貴子に返信した。「駅ついた」「うまくいった?」……貴子!!貴子の笑う顔が目に浮かぶ。
「御幸、みんなに知れ渡ってるかも」
「え?」
「覚悟しといたほうがいいかな……」
「何の!?」
今度は私がすたすたと構内を突き進んでいく。
冷気が耳元を通り抜けていって暑いな、と思った。あんなに寒かったのに、やっぱり私も照れている。追いついてきた御幸に手を握られる。御幸の方が断然あつくて、これは勝ったなと思った。
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