未練なく
苗字さんは聞くところによるとお酒が大好きらしいけど、僕らの前で飲んでいるのは見たことがない。僕らがまだデビューしたばかりの頃から知っていて会うたびにご飯を奢ってくれたり、なにかと気にかけてはくれるけどお酒の飲めるお店でもお酒を飲んだところは見たことがない。北斗くんに一杯どうですか、と誘われた時もお子ちゃまの前で飲むお酒なんて美味しくないからと笑って冬馬くんも僕も、それから北斗くんもその言葉に憤慨した。
「あれえ、ジュピターくんじゃないの」
「苗字さん、こんにちは」
「3人でお仕事?暇ならご飯食べない?」
「行く!苗字さんこの辺に美味しいうどん屋さんがあるらしいんだけどー親子丼が人気なんだって」
「ああ、知ってる。フワトロのやつでしょう。いいよ、2人はどうする」
「ご馳走になります」
「同じく」
苗字さんは初めて会った時から変わらずにへらへらして、じゃあ行こうかと先立って歩き始めた。僕が駆け足で追いついて、北斗くんと冬馬くんが後ろからだらだらついてくる。いつもそうだ。苗字さんのお誘いは僕たちが一緒にご飯なんて柄じゃないと思っていた頃に始まって、まあご飯くらいは普通に食べるよねってなった時も続き、黒ちゃんのところを出ていったあとはちょっと回数が減って、今の事務所に来てからはまたちょっとずつ頻度が上がった。知り合った頃はただでご飯は食べられるけど何も面白くなかった。何でわざわざご飯奢ってくれるんだろう、実は悪い人で僕たちをだまくらかそうとしているのかな、とか思っていた。実際は何も考えてなくて、単なるお土産とか差し入れとかそういうのが好きな人っていうだけだったんだけど。
僕の案内なんてほとんど必要としないまま苗字さんはお店に辿り着き4人なんですけどと店員さんに声をかける。僕たちは苗字さんが店員さんとやりとりをするのを黙って苗字さんの後ろから見ていて、席についても苗字さんの「みんな親子丼でいいの?」の声に黙って頷くだけだ。
「じゃあ親子丼3つと天ぷらうどんあったかいの1つ」
「はい、承りました」
僕たち3人ともがあんたは親子丼食べないのかよ、と脳内で突っ込んだと思う。詳しいくせに食べないのかよ。うどん屋さんながら親子丼がおいしいと有名だというのにあえて天ぷらうどんかよ。店員さんが遠ざかり、苗字さんがおしぼりとお冷を回す。そこで僕はようやくかぶっていた帽子を脱ぐことを思い出し冬馬くんはマスクを外した。北斗くんは眼鏡をそのままかけている。
「……親子丼食わないのかよ」
「実は、フワトロタイプの卵苦手なんだよ」
「えっごめん」
「ううん、うどんもおいしいって聞いたから試しに食べてみようかと」
「へー」
「ちなみに斎藤社長に教えてもらった」
「あのおっさんとも知り合いなのか」
「まあ仕事柄ね」
「仕事仕事と言う割にお仕事のことを教えてくれないんですね」
「うん」
北斗くんの探りにも苗字さんは動じずお冷を一口飲む。僕たちはこうして何度も苗字さんにご飯を奢ってもらっている割に苗字さんのことをあまり知らない。お仕事終わりやお仕事に行く途中のところに遭遇することはあってもお仕事をしているところになかなか遭遇しない。
「前にテレビ局でアイドルの子たちと立ち話してたけど、苗字さんもプロデューサーなの?それとも黒ちゃんみたいな方?」
「どうだと思う?」
「記者とか?」
「うーん遠からず」
「音楽系ですか?」
「そうかもしれない」
「テレビ局の人?」
「そうと言われればそうかも」
「苗字さん全ッ然答える気ないじゃん」
「うん、ないよ」
僕たち3人の探りを適当に交わして苗字さんは店員さんが運んできた親子丼と天ぷらうどんを待ち構えた。この話はもうおしまいと言わんばかりだ。北斗くんが前に私的に夕食に誘ってお仕事について聞き出そうとしたけど全くダメだったと言っていた。
苗字さんは親子丼を順番に受け取って僕たちに回し、自分の天ぷらうどんを受け取ったところで手を合わせる。3人のうち誰かが一発正解できたらその時はちゃんとそうだよって言うよ、と言って苗字さんはうどんをすすった。僕たちも親子丼を食べ始め、北斗くんの眼鏡が曇った。
「さて、最近どう?」
苗字さんはほとんど麺のなくなったお椀から顔を上げて僕たちを見る。苗字さんはいつだってこう聞いて僕たちを困らせた。はじめの頃は苗字さんが何を聞きたいのかがわからなくて、フリーになった頃は何を言ったらいいのか、何を聞くべきかわからなくて、今は何から話したらいいのかわからなくて困っている。そう、僕たちは昔はこの人が僕たちを懐柔して悪いようにするんじゃないかと疑っていたし、事務所を辞めた後はどう進むべきか困って正体のよくわからないこの人に答えを聞きたかったし、今になってようやくこの人がわからないことがわかった。北斗くんが食後にもらったお茶で手を暖めながら誰から話す?と僕と冬馬くんを見る。
「最近どう、と言われても……」
「あ、天ヶ瀬は今年の夏は宿題終わらせられたの?御手洗と夏に会った時はまだ終わってないって聞いてたけど」
「とっくに終わらせた!今年は翔太が抜けた分仕事を詰めなかったからな」
「僕絶対宿題の少ない、先生がうるさくない高校に行きたいなーって思うよ、冬馬くんとか事務所の人たち見てると」
「宿題は伊集院に手伝ってもらいなよ、大学生だから多分まだ覚えてるよ」
「えっ俺ですか……困ったな、冬馬と翔太と一緒に勉強し直さないと……」
「あ、それでね帰国してからはユニットの仕事を多めに入れてもらうようにしたんだけど、今年は雑誌もテレビもなぜかロケが多かった」
「それは……何でだろうね?」
「でも楽しかったですよ。収録と撮影だけで結構海に行ったんですけど、ドラマが入っていないので今年は存分に焼きました」
「たしかに焦げたね」
「ふふ、ファンサービスの一環ですよ」
「CM撮影で砂浜ダッシュもしたな。北斗が差し入れ持って見学に来た」
「ああ、制汗剤のやつ?あれ超かっこよかったね」
「だろ?CM変えてから売り上げが上がったってプロデューサーから聞いた」
「さすがじゃん」
僕たちがバラエティで灼熱ビーチバレーもやった、都会で南極体験の取材も行ったと思い出して盛り上がると苗字さんはいろんな仕事をするようになったねと僕らの顔を見た。
「まあ僕たちだってわがままばっかり言ってられないしね。プロデューサーさんががんばって取ってきてくれたお仕事なわけだし」
大人になったんだねと苗字さんが静かに笑った。そう、僕たち大人になったでしょ。僕が頷く向かいで冬馬くんも北斗くんもしっかりと頷いた。「それじゃあ今度こそお酒でもいかかですか」と北斗くんが過去に振られたことを当て擦ると苗字さんは途端に渋い顔をして「だめだめ、中身がしっかりしても年齢的におこちゃまがまだいるんだもの」と僕ら2人を指差した。北斗くんが人前だから頑張って声をこらえて爆笑して、僕と冬馬くんはまたしても憤慨した。見てろよ、今に俺だって!という冬馬くんの悔しそうな声に苗字さんはそうだね、何年後かを楽しみにしてるよと小指を僕らに差し出した。
僕らは驚いて顔を見合わせて、それからそれぞれ小指を差し出す。あと何年くらい?と苗字さんが尋ねて僕らはその年を数えて、きっとあっと言う間だと苗字さんに嘘を教えた。
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