君は知らない

>>トリップもの

ある時、朱雀と事務所の外階段を降りて通りに出たところで真っ青な空から女子高生が降ってきた。飛び降りとかじゃなくて、本当に8月の真っ青な空から突然現れて落っこちてきて、事務所の窓からそれを見ていた番長さんの悲鳴が聞こえた。2人とも、避けて!!番長さんのその指示に従おうにも俺たちの体はとっくに動き出していて、素早く上着を俺に押し付けた朱雀は空を睨みつけてどうやってそいつが地面にぶつかるのを防いでやろうか、という顔をしていた。

引きつった顔で落ちてきた女は、結局上手いこと朱雀の上に落ちて朱雀がしっかり掴んでいたせいで2人ともに怪我はなかった。俺も朱雀も無我夢中で、どうしてうまくいったのかよく覚えていない。覚えているのは空から現れて朱雀が体をはって受けとめたその直前まで、見上げていた馬鹿みたいに暑い色をした空だった。

名前は空から落っこちてきたとだけあって、違う世界の人だった。比喩などではなく、スマートフォンを見ても使い込まれた学生証を見てもこの世界とは全部が違っていた。

好きなアイドルは今年でデビュー12周年、オリコンにもランクインして、知らない名前のドームでライブをやって数年前に出演したドラマでは世の中に一大ムーブメントを巻き起こし、活動の中でも幾多の困難を乗り越えてきたと話すのに対して俺たちは誰もそのアイドルを知らないし、似た存在もここにはいない。お気に入りだという服のブランドも検索をかけてもヒットしないし彼女の高校の卒業生だとかいうなんとかっていう有名なスポーツ選手も俺たちは誰も知らなかった。病院に行くために持っていたという保険証と学生証を役所で照らし合わせたとき、彼女はここにはいないということがわかった。彼女は異世界人だった。彼女ときたらあ、やっぱり?って流石にここまでの違和感で気づいていたらしくあっさり納得していた。否定しようにも、俺たちは空から降ってきたところを見ていたので嘘だとも断じきれなかった。テレビのドッキリにしては手がかかりすぎているし彼女は本当に何も、持っていなかった。

「こういう時ほんとに異世界なんだなあって思うよね」
「?メシ食ってる時か」
「うん、似てるけど知らないお店だなあって思う。お店の名前とかは違うけど味は……同じかはわからないけど似てる気がするね」

名前はなんてことない世界規模のファーストフード店に行ってみたいと言ってチーズダブルバーガーとポテトとオレンジジュースを頼んで難しい顔をしていた。食べたことのある味な気がするんだよなあとポテトを一本とってじっくり眺めている。

自分を自分と証明するもののないことについては、ドッキリではないと名前も俺たちも何度も確認してきたことだったしドッキリと決めつけるには名前には過酷すぎた。名前には住むところも金銭と身分の保証もなく、そのことに気づいた名前の血の気がさあっと引いてそのまま後ろにぱたっと倒れてしまったのを見ては俺たちも認める他なかった。昏倒した勢いのまま頭を打ったために早速保険証が必要になってしまい、輝アニさんや薫アニさんをはじめとする事務所の人たちは名前がこの世界で生きて行くために奔走して名前はなんとかこの世で生きている。

結局は司法や警察、さまざまな組織が未成年の名前がここで生きて行くための最低限の全てを整えてくれたらしく、名前は帰ることこそ未だ叶わないが、知らない世界の全てに驚いたり考え込んだりしながら、知らない世界で異世界人であることを隠しながら生きている。

「牛丼とかも似たような看板の店は同じ味がするのかな」
「さあな。今度食いに行くか?」
「うん」
名前は不思議だよねと呟いて真新しいスマホをちらりと見た。以前使っていたものはもう使えないからと新しいものをどこからか与えられたそうだが使い方にはあまり苦戦している様子はなかった。

「……ドレイクの方程式ってしってる?」
「宇宙の生命体と出会う確率を求めるやつだろ」
「うん。銀河系の文明が地球人とコンタクトを取る可能性が、あの数値って高いと思う?」
「あの数値を見て宇宙開発を進めてるんだからそれなりの可能性があるってことじゃねえのか」
「そっか……じゃあ宇宙人と会える確率と、異世界人と会える確率はどっちが高いのかな」
「それは……」
それは、どちらが高いのだろう。現にこうして異世界人と遭遇しているのだから、異世界人との確率の方が高いのではないか。もしかしたら、宇宙開発関係者は宇宙人との邂逅はすでに済ませていてその事実が民間人には隠蔽されているだけなのかもしれないが。

「異世界に行って、その人が元の世界に帰れる確率はどうなのかな。一度行けても、数え切れない数があるかもしれないのに元の世界に帰るのって、確率の計算したら恐ろしいことになりそう。ほぼゼロ、みたいな」
「名前」
名前は紙ナプキンを握りしめて大丈夫、と笑った。言葉に反して指に力が入りすぎて目は笑っていなかったから、もう一度名前を呼んだ。

「いつか帰れるのかな、帰れるなら……帰りたいな」
ぼろっと名前の目から涙が落ちた。帰りたいよ、帰りたいと嗚咽混じりに名前は繰り返していて俺は何と声をかけていいかわからなくて黙って名前を呼んだ。自分で帰れる可能性を否定して、勝手に泣くんじゃねえという意味を込めて肩をさすった。

「帰りたいよ……どうしてこんなところに来ちゃったの……」
このままだと大学も就職だって難しいかもしれない、家族も経歴も何にもなくて警察の人にも一生見張られて結婚なんてきっとできない、帰りたい、うちに帰りたい、と名前は泣いた。

なんて、わがままなんだろうと思った。空から落ちてきて戸籍も身分を証明するものは何にもないのに生活に苦労せずこうして平和に生きている。この世界にお前のために奔走してお前を大事にする人だってたくさんいるのに何を不満に思う。

大学だって一生懸命勉強したらきっと好きなところにいけるし警察のお膳立てがあるなら不自然な経歴があっても就職だってどうにかなる、結婚は親だとか経歴とか何も気にしない男とすればいい。何が嫌なものか、と内心尋ねても声にならないのだから名前はただ泣くばかりだった。俺は勉強だって一緒にしてやるし、就職だってエントリーシートを書くことも面接の練習も何だって付き合ってやる。そうしていつか、結婚してこの世界に家族を作ればいい。事務所に飛び込んで来た厄介ごとを助けてくれた番長さんも事務所のアニさん方もきっと祝福してくれるだろう。こんなに恵まれているのにそれがどうして、わからない。

どんなに視線を送っても名前は気づかないのか無視をしているのか視線を膝から上げようとしない。一度視線を上げたらきっと気づく筈なのに。こんなにも苛立つのに、肩を震わせて泣く姿は愛おしくて仕方なかった。

/玄武 愛LIKEハンバーガー


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