100年先で見つめあおう
ノックと入室許可を求めるの声の後、ブーツが絨毯と擦れる音がした。沢山の布を使ったドレスの衣摺れが続いて俺はそこで顔を上げた。
「少尉、報告書をお持ちしました」
「ああ、名前くん。ありがとう」
「いいえ、たまたま通りすがっただけですので」
「それでも助かった。ありがとう」
名前くんは報告書を渡した後も部屋にとどまって「珈琲でもお飲みになられますか」と背を向けたまま尋ねた。
「そうしようかな。ありがとう」
「いいえ、わざわざ好き好んでからだを傷つけるような休憩の取り方をなさるようでしたので」
「ばれていたか……」
「匂いがいたします。それに、慌てて灰皿を仕舞う音も聞こえましたので」
名前くんは至極冷静な顔で眉を寄せて煙草を隠した俺を咎めた。名前くんは煙草を好まないから、入室の前に慌てて仕舞ったのだがすっかりばれていたらしい。
「珈琲をどうぞ。少尉、休憩を取られるならせめて、このように飲み物と菓子などに。珈琲は頭も冴え、菓子でエネルギーを補給できますけど、煙草なぞ何もいいことはありませんよ」
「はは……いただくよ」
焼き菓子と珈琲を机の角に乗せた名前くんは非常に機嫌を損ねたらしかった。
「うまいな。どこの店のかい?」
「僭越ながら私が。お気に召したのなら何よりです」
名前くんはちっとも照れずに、僭越ながらと言いつつも謙遜は表情に出ていない。これで隊員たちといる時は表情豊かで優しい笑顔を浮かべているのだが、俺と接する時は明らかに態度が硬くなる。
「少尉、カップはそこの流しに。食堂にお持ちいただけたら洗いますが、それから菓子の残りは……」
「名前くん」
「……いかがされましたか」
「名前くんは俺のことを嫌っているね」
「……いいえ、少尉。御言葉ですが花組を率いる将として心より尊敬申し上げております」
名前くんは真っ直ぐに俺をみてはっきりと言ってのけた。柔らかな色の目が部屋の明かりを受けて、嘘をついていないことはすぐにわかった。
「少なくとも好きじゃないだろう?」
「……少尉は隊員のことまでよく見ていらっしゃる」
名前くんの赤い唇が歪められて、皮肉めいた言葉がそのかわいい口から吐き出された。そう、名前くんはかわいい。し、仲間思いだし(俺のことは嫌っているみたいだが)役が決まれば夜遅くまで練習しているし、いざ戦うとなれば頼もしい。隊員たちに向ける笑顔は可愛らしいし暗い色のドレスも綺麗に結い上げられた髪も彼女によく似合っている。かわいいと口にすれば口がお上手ですねと冷ややかに、全く嬉しそうじゃない様子で返されるのは予想がつくから言ったことはないが、名前くんはかわいい。これは事実だ。
「名前くんは……どうして俺のことをその、嫌いに思っているのか聞いてもいいかな。これからもきっと俺たちは一緒に戦っていくだろうしもしかしたら、理解しあうきっかけが見つかるかもしれないだろう」
「少尉」
名前くんは目を細めて、鋭い色の瞳が俺をまっすぐにとらえた。何も怖くなかった。嫌い嫌いと拒否する割に名前くんは頼まれごとを引き受けて俺の部屋をこうして訪れたり気遣ったり、有事の際にはその身の危険を冒してでも俺の無事をもぎ取り、戦闘の後には自分の方こそ傷だらけなのに光武から飛び降りて俺の元に「少尉ご無事ですか」と駆け寄る。だから、嫌われきってはいないのだという自信があった。ごめんなさい、と名前くんの口から弱々しい声が発せられた。目は厳しいままなのに年相応の少女らしい声だった。
「私の大切な人が少尉を想うかぎり、私あなたのことを何年経とうとこの身のかぎり、たとえ命尽きてもきっと……あなたを嫌いです。あなたが傷ついた時、死んだ時にはあのひとが泣くから、私、一生かけて御身とこの帝都を護ります。お許しください、少尉。私たちはこの先共に戦っても、私のせいで理解しあう日は来ません。そのかわりにこの身を捧げて一生懸命たたかいます。だから、除隊だけはお許しになって」
名前くんの泣きそうな顔を見て俺はなんにも言えなくなってしまった。名前くんの想い人というのは全く予想もつかないが、瞳に涙をためて唇を戦慄かせてそう言いきるものだからそんな少女に除隊を言い渡すことなんて誰にできよう。
「名前くん、除隊はさせない。君は花組の一員で花組にとっても俺たちにとっても必要だから」
名前くんはほっと息をついて俺を見上げた。ただ、と俺が続けたことによってまた表情が曇る。
「俺たちはきっと理解しあえるよ。どうやら似た者同士な気がしてきた」
「そんな未来は万が一にもありえません」
名前くんは一瞬で表情を凍らせ、いつものように眉を寄せて冷ややかに言ってのけた。その時、隊長?とマリアの声が分厚いドア越しにして名前くんは目ざとく机の上の司令の元へ回す資料の束を見つけ、「回しておきます」と奪い取った。
「ああ、助かるよ。ありがとう」
「いいえ、少尉を佐くことも隊員の使命ですから」
「正確には隊長を、なんだけど……」
「……ああマリア。ごめんなさい、話し込んでしまいました」
「名前がいたのね。邪魔をした?」
「いえ、報告書を届けにきたついでですから大したことを話していたわけではありません」
俺の言葉を完全に無視した名前くんは背の高いマリアと並んでもそれなりの身長差だ。このまま伸び続ければ、カンナやマリアと同じように青年役を任されることもあるかもしれない。
「お煙草、御身のためにお控えくださいね」
「ああ……ありがとう」
名前くんはマリアにわざと聞こえるように俺のことを咎めてそのまま来た時と同じような絨毯との摩擦、衣擦れの音を残して退出した。部屋を出た時に長い髪がふわりと広がって、それで姿は見えなくなった。
「隊長?名前と何かありましたか」
「ああ、なんでもないよ。ただちょっと休憩の仕方で怒られただけだ」
慌てて隠した灰皿を見せればマリアは苦笑した。それで、あの子はすこし潔癖なところがあるから、と庇うような揶揄うような口ぶりで言った。俺はなんとなく感じた疎外感に、きっと名前くんもこんな気持ちでいるのだと勝手に想像してマリアと同じように苦笑した。あくまで、煙草を咎めた名前くんの潔癖さに呆れ、愛しんでいる風に見えるように。
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