お化粧SS

卒業は咲ちゃんにとって思っていた以上に意味のあることだった。明日から黒い制服を着なくていい。自由に毎日好きな服を着れる。カフェパレードに毎日何の目も気にせずに行ける。咲ちゃんは一人暮らしの手配もちゃんと済ませてあとは3月31日の12時を超えるのを待つばかりだった。

学校帰りに事務所を訪れるのは卒業式のあった今日がもしかしたら最後かもしれなかった。事務所の卒業パーティーの中私はその姿を目に焼き付けて、あまりに見つめすぎたから咲ちゃんの緑色の目が私の姿を見つけた。輝さんのあれが美味しかったけど食べた?とか飲み物お代わりいる?とかいたって普通の会話をした後に咲ちゃんは「用があったんでしょ?」と分かり切ってるみたいに言った。
「そうなの。ねえ咲ちゃん、少し外に出れる?」
「外に?うん、いいよ」

屋上のドアを開ければ綺麗なツインテールが夜風に揺れてセーターの柔軟剤のにおいがした。お酒も飲んでないのに赤いほっぺでいろんなことを話してくれるからジャケットのポケットにしまったそれを出すタイミングが難しい。そわそわしていたからか咲ちゃんの顔色が変わる。なんて察しがいいんだろう。
「プロデューサー?」
「本当はもうちょっとかっこよく渡したかったんだけど……卒業祝い。内緒ね」
「えっ」
咲ちゃんは神妙な顔で紙箱を開けて、出てきた金色のキャップとガラスの瓶、金色の印字、それから私の顔を順番に見た。いい香りのするピンク色の液体が精密なガラスのカット越しに波打っている。

「いいの、これ」
「ほしかったんでしょ」
「ほ、ほしかった……」
少女から大人になる咲ちゃんにぴったりなそれは、贈るなら次の誕生日でもなく、成人した時でもなく、今がいいと思っていた。売り文句の全てが咲ちゃんにふさわしいと思ったし、前に2人でデパートに買い物に行った時ちょっと高いねと名残惜しそうにそれでもキラキラした目で見つめていたから。卒業は咲ちゃんにとってそれだけ意味があると思ったから。

咲ちゃんは変わらずキラキラした憧れの目でその瓶を見て、それから私を見た。ぽろっと目尻から落ちた涙が綺麗に引いたアイラインを少しだけ滲ませた。

/水嶋咲 ピンクの香水瓶



キスをして、それからゆっくりと離れていく時彼女が堪えきれずに笑うから俺は何を間違ったかと冷や汗をかいた。
「ごめん、ついちゃったね」
また近寄って彼女の人差し指が俺の口を拭って去っていく。細い指の腹に大きなきらきらが載っていた。彼女の口を飾る口紅か何かが移っていたらしい。

「やる気入れようと思って来る前に塗り直したの。次からは違うのにする……」
そう言って名前はカバンからティッシュと手鏡を出して俺に持たせた。指で拭っただけでは取れなかったらしく鏡に映るのは成人男性のきらきらした唇、それも自分のものとあってなんだか変な感じがする。名前の口についてるとかわいいんだけどな、と指先についたきらきらを眺めた。

「握野くん、こういうののお仕事向いてるんじゃない?」
「はあ?俺が?」
「だって今の顔すごくかっこよかったよ」
こうやってるとこ、と名前が手元を見る俺の真似をしてみせる。向いてんのかなあ、頻度こそ減ったような気がするものの未だに怖いと言われることがある俺に名前は絶対いけるって、ときらきらの少し落ちた唇で笑いかけた。

/握野英雄 ディオールアディクトグロス ステラー



名前ちゃんの指先はいつもグレーっぽい色に塗られていることが多い。キーボードを打つのに邪魔にならないくらいの長さで綺麗に整えた爪はせっかくだから明るい色とかラメの入ったやつを塗ればいいのにと思うけど、彼女が言うには派手過ぎても職場で言われるし肌の色が白く見えるそうだ。だから、お家に帰ってきた名前ちゃんがストッキングを脱いだ時、鮮やかな色につま先が彩られているのには思わず視線を奪われた。

「名前ちゃん、足の爪その色だったっけ」
かわいいね、と言おうとした瞬間に名前ちゃんはさっと足をソファに上げてしまい、俺が露わになった白い太ももに目移りした隙につま先はクッションで覆い隠されてしまう。名前ちゃんは青ざめたり赤面したりして相当動揺しているらしかった。

「み、見た?」
「え?」
「足の指」
「え、見ちゃだめだったやつ」
「……べつに?」
別に?と言う割に足は隠したままだし名前ちゃんは警戒するみたいに体全体で避けてみせた。

「……俺の色だから?」
「俺たちの!でしょ!」
「ああ、やっぱりS.E.Mの色だったんだ」
「うっ……」
名前ちゃんは別にセムの色だから買ったんじゃなくて可愛かったから、とか夏だしサンダルいっぱい履くからとか色々言い訳を重ねて、見たいなーと強請ってみても結局つま先は見せてくれない。

「どうして?薬指だけ金色だから?」
「ばっちり見てるじゃん!」
背中を丸めた名前ちゃんを揶揄いながら軽くのしかかると名前ちゃんは顔を真っ赤にして怒った。なんで、恥ずかしがることないじゃん。おじさん嬉しかったんだけどなあ。我ながら意地の悪いことだと思うけど口の端が緩むのを自分では止められない。

もう知らない、次郎ちゃんの馬鹿、かわいいたくさんの暴言と引き換えにようやく見せてもらえたつま先は左右の薬指の先の方だけうすく金色が重ねられていた。小さな爪に器用なことだ。
「嬉しかったよ」
「知らない!」
名前ちゃんが肩口に頭突きをしてくるけど全然平気だった。嬉しかったのは本当だと重ねて言えばその顔見たら言われなくてもわかる、と言い返されて慌てて顔を引き締めた。

/山下次郎 小さな爪にペディキュア


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