被験体と私
>>グループDの被験体紅井朱雀の話
>>かわいそう
これが、今日から君の担当する被験体、管理番号は……上司に連れられてケースの前にたたされた。養液に満たされた円柱のケースの中でコポコポと水を吐き出すそれは目を閉じていた。燃える髪と傷だらけのからだが目に付いた。その日から私は毎日それを見に行き記録をつけときには実験に関わるようになった。
「報告を」
「成長度に変わりありません。ケースから出せば暴れて手がつけられないので拘束具をつけておいてからケースから出すようにしたのですが、以前よりはまだましというところでしょうか。前回の検査では良くなかった血清アルブミン値も正常に戻りました。昨日の昼は外に出して食事を摂らせてみようとしたら拒否しましたので、また経鼻投与に戻して様子を見ようと思います」
呑気にそんな会話をする私たち研究員を被験体は燃えるような真っ赤な目で睨みつけ、開口器具の間から荒い息を吐いた。何か言葉を吐いているのだろうがそれはただの息にしかならず、どうせ無意味な怒りを吐くばかりなのだからと無視した。首につけた拘束具から心拍数や体温、血圧値が飛ばされてくるのでそれを端末で見ながらの会話になる。常に被験体のデータは送られてくるがこうして様子を見に来ると明らかな高値を示すので今後はモニター観察のみにした方がいいでしょうか、と上司に問えばメガネを光らせて「いや、問診などできぬ被験体であっても直接の観察は重要だ。継続してくれ」と返事があったのでこの道の長い上司に従ってみようと思う。この人も不思議だ。能力さえあればいい被験体なのに交流を持ってみたり、かと思えばきつい実験を繰り返す。ちらりと視線をやれば端末に注がれた冷たい目つきからは何も分からなかった。
「絶対……お前から……」
被験体の唸るような声にはっとして顔を上げる。ぎらぎらと昏い炎をその瞳に灯して地面に這いつくばって私を見上げていた。
「お前だけは……」
殺さんとばかり睨みつけるそれを見て咄嗟に端末を操作して拘束具の強化を行う。物々しい音とともに拘束具が内臓を傷つけるギリギリまで締まり器具から高圧電流が流れ、汚い悲鳴を被験体があげて倒れ伏した。
「てめぇ、だけは……っがあっ!」
その赤い目を見た瞬間、思わず鎮静剤のタブを開きろくに見もしないで投与のボタンを押した。首の針から筋弛緩剤と麻薬に近い薬が注入され、電流も意識を保てないほどの激痛だろうに規格外の精神力で這いずって私たちを睨みつけた。
「ここを出てッ!かな、らず……」
その続きは何だったのか。薬がいつも投与している分より多かったらしく、その続きは聞けなかった。思いのほかそれは電子管理された檻の近くまで来ていたらしく、頭が足元まで来ていた。開口具の間から漏れた唾液が白いブーツのつま先を汚し、私はやつの目障りな横顔を踏みつけ汚れを拭った。
「いつもこうなのかね」
「いつもはこれほどではないですが……視察に来ると大抵興奮状態になりますからこんな女に管理され扱われていることが屈辱なのでしょう」
「……また後で送っておいてくれ。もうじき能力者の程度が揃う。できるだけ早く次の段階に移りたい」
「承知いたしました」
上司がさっさと立ち去り、私は被験体の髪を掴み上げて首、口、親指同士を結んだもの、足首、腹部、とそれぞれの拘束具をひとつひとつ確認した。どれも傷ひとつなく外れてもいない。当然だ。これは工学班が全力を注いだ何者でも壊せない頑丈な拘束具、生体データのみならず能力の波まで随時計測し私たちの端末に送ることができ、ミリ以下の単位で正確な位置座標を伝え、手に負えなくなったこの獣たちに直接手を下すことなく制御できる機能までついている。使用感は先ほども使った通り何も問題ない。
少年とはいえ意識のない首は重く、私は容赦なく髪をつかむ手を離した。こいつをこの後また回復用の養液ケースに戻さなければならない。部下を呼びつけてストレッチャーに乗せさらに四肢を拘束した。無駄に消費エネルギーが増えたようだから今日の栄養剤は少しカロリーを増やそう。高タンパク質に変えたが腎臓も健康なようだし、被験体が丈夫であるのに越したことはないのだ。
被験体が脱走した!ゲートを塞げ!だめです通用口まで破壊されました!苗字!苗字はどこにいる、あいつがあれの管理責任者だろう!逃げたのは系統aoi-1とhzma-0のみだやつはまだケースの中のはずだ!そんなことはどうでもいい!早く封鎖して通報してくれ!早く!
慌てふためく研究員たちの声がインカムを通して聞こえた。返事をしようにもできなかった。なぜなら、私の目の前には養液の強化アクリルポリガネード製ケースをぶち破って、体につながれた数々のコードもチューブも引き抜いたせいで血塗れの被験体が立っているからだ。拘束具はまだついているからいつものように端末で鎮静剤を打てばいい。なのに、一瞬でも目をそらしたり声を発したらすぐさま命を奪われるのがわかって手が動かせない。開口具がバキャッというやばい音を立てて潰されて煩わしそうにそれを投げ捨てるのが見えた。
「絶対、まずはてめぇをぶちのめしてからって決めてたんだ」
付けっ放しだった開口具と与えられる激痛に絶叫を繰り返したせいで掠れた声だが、明確な殺意だけはありありと伝わった。全部ぶっ壊してここから出て行ってやる!ビリビリと空気を震わすほどの大声に、親指を繋ぐ拘束具と足首の拘束具が大破し、首と腹部の拘束具も片手で潰してしまう。後ずさることもできなかった。
開花した能力の証であるほむらが体に宿り、残忍に笑う口からも溢れた。顔の前で拳を構える姿を最後に大きな衝撃が私を襲い、腹も背中も痛くて視界が霞んだ。なんて力だろう。私たちのような非力な研究者が飼い慣らせるようなものじゃなかったのだ、やつらは。みぞおちを殴られた反射で思わずえずくが容赦なくやつは私を蹴り上げて床に打ち付けた。
「毎日ニンゲンじゃないもの見るみてえな目で見てくれたな。てめえらは知らなかったかもしれねぇから教えてやる。オレたちは皆……ニンゲンだッ!」
強く打ち付けられた体は鍛えてなんかないので嘔吐し、痛みで息も吐けなかった。オレらを傷つけた全部ぶっ壊してやる、と荒い息と共にほむらがまた溢れた。吐瀉物にまみれて床に伏せる私に真っ赤な瞳が一瞥をくれ、何も言わずにまた胸ぐらを掴んで壁に叩きつけられる。強い衝撃が頭を襲った。
ぶち破られて風通しのよくなった部屋の入り口から被験体が血塗れのからだを引きずって出て行った。頭を伝うぬるい血で右目は見えないが、大きな炎を纏った真っ赤な姿はやっぱり人とは思えなかった。震える手で端末を操作して研究所内の爆破装置を次々起動していく。燃えてしまえ、全部、あの化け物と一緒に。あの化け物の炎を増長してしまえ。やつの咆哮が聞こえたのを最後に私は端末を手放した。頭から流れた血はすぐに冷える。また一度やつの咆哮が研究所に響き、私は静かに目を閉じた。
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