散歩

 そよ風に揺れる枝の隙間から溢れる木漏れ日に男はそっと目を細めた。よく晴れた初夏の日だった。男は読みさしのゲーテを持ってたまの散歩の最終目的地たる自然公園へやってきていた。交通の便が特別いいというわけではないが、徒歩圏内に緑豊かな安らぎの場があることがこの田舎町のいいところであった。
 栞を頼りに文庫本を開き前に読んだ場所から再び文字を追う。いよいよ佳境に差し掛かった小説の中に両足を深く突っ込んで頭まで浸かった男のつま先にコツンと小さな衝撃があった。一体何なんだと紙面から顔を上げると薄桃色のゴムボールが転がっていた。少し離れた所からまだ年端のいかぬ少年がこちらをじっと見つめているのが視界に入る。どうやら俺が投げるのを待っているらしい、と男は本をベンチに置いてボールを拾い上げる。両の手のひらで掴んだそれは柔らかなアーチを描いて少年の元へ飛んでいき、やがてその小さな手の中に収まった。
「ありがとう!」の声に軽く手を振って再びゲーテを開く。どっしりと落ち着いた構えの物語は、少年の声とは全くの対極であった。




3.レヒトラオート
手のひら/栞/揺れる

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