答えの代わりに口付けを

※R-15描写有り
※原作+5年

「ん……ふ、ァン…」
 寝室から微かに漏れる声に相澤消太は玄関のドアを開けたまま足を止めた。雄英高校の教師になって早九年。三十半ばを目の前にお節介な同級生から紹介という名のお見合いの場を持たされ、お付き合いなどの無駄を嫌う相澤に同調する代わりに、籍を入れる前に少しだけと求められた同居を始めて一年。肌を重ねる回数は雄英高校が全寮制であること、また相澤の性格上から確かに少なかった。
 扉を音が鳴らないよう静かに閉め、小さく息を吐く。玄関には一回り以上小さなスニーカーだけ。下駄箱にあるのも相澤の数少ない正装用の革靴と女の靴のみ。浮気ではない。一人で寝室にいるということは、そういうことなのだろう。未だに寝室からは微かに声が漏れ出ている。
 その悩ましげな声を聞きながら、がしがしと頭をかく。相澤より七つ年下のその女は何か引け目があるのか、酷く遠慮しがちであった。相澤に意見したのは最初の一度、籍を入れる前に同居をしたいという一点のみでその後は家への帰宅回数の少なさも、接する時間の短さにも文句一つ投げつけなかった。それは相澤にとって願ってもないことではあったし、興味のなかった結婚において相手を好む一因にはなったのだがどこか引け目を感じていたのは確かであった。
 仕事がら足音を立てずに歩くのは癖のようなもので、相澤はそのまま寝室の前まで移動する。
「…はぁ、消、太さぁん…ン」
 熱のこもったその声に、らしくなくグッと胸が掴まれた。年甲斐もなく下半身に溜まる欲に小さく笑って、寝室のドアノブに手をかけた。
 容易くカチャリと開くドアの向こう、ベッドの上にはあられもない姿で目を丸くする女。股座に伸びた手とその反対の手には見覚えのあるシャツが一枚。休日であった昨日、洗濯の為に出したままにしていたそれが握られていた。
「ぁ、なん、で」
「明日は創校記念日だと言わなかったか」
「…聞いてない、です」
 そこで気付いたように女は手に持っていたシャツを隠すように後ろへ移動する。明らかに見られていたであろうに合理的でない。混乱しているのかもしれない。小さく息を吐き出せば、女は可哀想なほどびくりと肩を揺らす。上気して赤く染まった頬、目には微かに涙が溜まっているように見えた。
「で?」
「え」
「続きはしないのか?」
 ベッドの横に立ち、見下ろすようにそう問いかける。その言葉に女は相澤に固定されていた視線を落とし唇を噛み締める。柔らかそうな赤い唇に女の小さな歯で痕がつきそうだとそう思った。
「んンっ」
 女の唇に噛み付くように口付けた。噛み締めた歯から奪うように下唇に吸い付いて、微かに開いた口に舌を差し入れた。歯列をなぞり、上顎を刺激し、舌を合わせれば女の目からはらりと涙が伝った。
 抵抗はなかった。いつ振りかわからないその熱を味わって、ツ―と伝う唾液を見下ろしながら口を離した。肩で息をする女は頬を真っ赤に染めている。
「俺がいない間、いつも一人でやってるのか」
 ぷつりと伝っていた糸が途切れ、頬に汁が垂れた。それを舐めとれば女は小さく息を飲んだ。
「まあ、いい。今日は付き合え」
 女の手を取って体液で濡れたその指を舐める。手を引き抜こうと抵抗するが、現役ヒーローの力に一般人のましてや女が叶うわけもなく女はされるがままに、顔を真っ赤に染めていた。
「消太、さん」
「なんだ」
「…怒らないんですか」
「まあ、合理的じゃないな」
 その言葉に女は言葉をつまらせながら目をそらす。だが結婚なんてそんなもの、合理性がないことなんてそんなこと今に始まったことじゃないだろうと相澤は思う。子孫繁栄を抱くならば、一夫一妻制は合理性のかけらもない。出産適齢期の女を複数抱くのが最も合理的なのだろう。だがそんなこと、するつもりもなければしたいとも思わない。
「もう少しお前はわがままを言えばいい」
「…」
「好かれたいと、抱かれたいと言えばいい。一人でしているより夫婦としてはよっぽど合理的だ」
 休日においても相澤の世話に従事し、連日の疲れを取るようにと決して欲を見せぬ女を組み敷いて相澤は告げる。
 回数は少ないこの行為の際に必ずスキンは使用していた。結婚を視野に入れているとはいえ、順序はある。最低限のマナーは守っていた。だが、もういいだろう。お遊びのような同居はこのくらいで。
「子供を作って、結婚しようか。お前が何を恐れて俺に嫌われまいとしているのかは知らんが、籍を入れれば逃げられんだろ」
 ムードもへったくれもないプロポーズだったが、確かにそれは相澤の本音だった。目を丸くして、先ほどまでの生理的な涙とは違いボロボロと頬を濡らして女は相澤を見ている。
「…いやか?」
「…違います。嬉しいの」
「そうか」
 頬を伝う涙を口付けて拭えば、ぎゅっと女は相澤の首に腕を回して抱きついた。
「好き。ずっと好きでした。消太さん」
「…俺もだよ。名前」
「消太さんのお嫁さんにして下さい」
 額と額をくっつけて、間近で目を見ながら女はそういった。相澤はその返事の代わりに口付ける。目を閉じて受け入れる女が酷く愛おしかった。



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