A級 玉狛第1


 ボーダーにおける派閥の一つ、玉狛支部。近界民に対して友好的な立場を示している彼らのその立ち位置はボーダーに置いて異端であるが、それでも巨大派閥に潰されず、存在しているのは彼らの戦闘力が単純に高いことと旧ボーダーと呼ばれる頃からボーダーに所属する者が多いからだろうか。
 県外にスカウトに出ていたという玉狛支部の古株、オペレーターの林藤ゆりと技術者ミハエル=クローニン、そして戦闘員の苗字名前が帰ってきて数日。不在の間に新たに支部に所属することになった玉狛第2の面々との自己紹介が終わってから、会話の少ない名前に小南が話しかける。
「遊真の訓練、名前も手伝わない?」
「嫌」
 窓際でマニキュアを塗っている名前は小南に目を向けることもなく一言で拒否して、ふうと指先に息を吹きかける。小南と同じ高校の一つ上の学年に属する彼女は自由登校が決まった後すぐにスカウトに同行しており、現在は私服である。あとは卒業式くらいしか出番のない制服は、既にクローゼットの奥に位置している。
 伏せられた長いまつげから微かに覗く済んだ青い瞳とは正反対の真っ赤な口紅と真っ赤なマニキュア。トリオン体でも身に着けているその色が彼女の戦闘着だと、長い付き合いの小南は知っている。

「え?苗字さん?」
 鳥丸との訓練の後、オペレーション室にいる宇佐美の元で三雲は数日前に会って以降一度も見かけていない先輩について問いかける。自己紹介をしたときからどこかよそよそしい態度が気になった。自分たちが何かしてしまったのかと、実際玉狛支部に所属して以降何度か起こした問題が頭を過ぎっていた。
「はい。あの、僕たち何かしちゃったのかと思って」
「うーん、気にしなくていいと思うよ」
 どこか困ったような表情で宇佐美はそう言う。
「ぶっちゃけアタシのことも、とりまるのこともあんまり好きじゃないんだと思うんだよね。ねえ?」
「まあ、あの人から見ると俺たちは余所者なんだろうし」
 実際、彼らが玉狛に所属してまだ一年ほど。ましてや相手は旧ボーダー時代から所属してる古株隊員であるので、烏丸はその扱いに特に思うこともない。淡々と事実を告げる様子に宇佐美は同意を示す。
「うん、あの人の仲間は旧ボーダーの人だけなんだと思うの」
「…そんな」
 前日に林藤ゆりによって旧ボーダー時代の隊員の多くが亡くなっている事実を知っている三雲は痛ましさに声を漏らす。
「でも、あの人の戦闘は学ぶことが多い。身体の扱い方一つ見てもずば抜けてる」
「うんうん。そうだ!見せてあげようか。ログ残ってるし、遊真くんにも参考になると思う」
 悲痛な面持ちの三雲に、それでも誰がどう見ても玉狛第1の中でも特に戦闘能力に長けている彼女を知っている二人は告げる。彼女との訓練が叶えば空閑にとっても一番良いのかもしれないがそれは叶わないだろうから、せめて。その苛烈な赤に彼も魅せられてしまうのだろうと過去の自分を襲ったその感情に確信を抱きながら、宇佐美と烏丸は三雲と共に画面を覗き込んだ。

 こうなることがわかっていたからこそ、何も話さず県外スカウトへ名前を送り出した。それでも実際それが現実となってみれば、迅は小南達から聞いた帰宅直後の態度に息を吐き出した。
 何かがあって迅が風刃を手放すということは随分前からわかっていたし、実際そうなってみれば空閑をボーダー隊員とするために必要なことだった。後悔はない。だが彼女にとって空閑遊真が優先順位に入らないことも迅は知っていた。だから内密に行った。それがボーダーのためでもあったから。
「名前」
 深夜の玉狛支部、空閑以外が眠ってしまった建物内でぼんやりと窓の外を眺めている名前の背中に迅は名前を呼ぶ。
「何」
「悪かった。勝手に最上さんを渡して」
 押し黙ってしまう名前に迅は続ける。未来は既に確定していた。
「遊真は有吾さんの子供で、ボーダーの未来には必要なことだったんだ。名前が反対するってわかっててやった。許さなくていい」
「悠一はいつもそうだね」
 寂しそうに、彼女はそういった。確かに背中を預けていた彼女との間にいつの間にかできてしまっていた溝は深まる一方で、未だに埋まる気配を見せない。昔は”見る”必要すらないほどに彼女の一挙一動が分かっていたはずなのに。
 彼女の瞳の色をまとう迅とは正反対の鮮やかな赤で、今とは違う満面の笑顔で側にいた女の子。背を向けて自分の部屋へ戻っていく彼女の今の表情が迅には見えない。

 名前が迅との数か月振りの再開を果たした翌日。「ごめん、レイジさん。名前のことよろしくね」と言って、朝早くに出掛けてしまった迅はどうせ名前と話すためだけに帰ってきていたのだろう。木崎はここ数年ずっとすれ違っている二人にため息が出そうになる。
「なあに、レイジさん。ゆりさんは洗面所だよ」
「それは言わなくていい。お前いい加減それ、なんとかならないのか」
 下に降りてきた時には既に化粧も終え、綺麗に整えられていた髪を荒らす木崎の手に反抗する力はしなかった。呆れたような言葉にも関わらずどこまでも優しい声色に、彼の手に頭を預けて名前はずっとずっと思っていることを口に出す。木崎以外には言えないこと。もしも迅に伝えようとすれば、未来を見てしまう迅は困った顔になってしまうことを知っている。
「…最上さんも悠一も、皆そう。私には何も言ってくれないのよ。きっと悠一もそうやって私に何も言わず黙って死んじゃうの」
「迅はそんな簡単に死ぬほど弱くない」
「うん。それでも、死ぬべき時に死ねる人だよ。最上さんと一緒だね」
 いつからかアイラインは辛くても歪まなくなってしまった。枯れてしまった涙はもう流れない。大切な人をいっぱい失くした。死に際を見ることだってできなかった。
 いっそ涙を流した方がマシな表情でそういうものだから、木崎には何も言えない。
「私は悠一みたいに諦められない。一度持ったものを捨てられないし、忘れられない。忘れたくない。だから大切なものなんて増やさない」
 年々赤色を身に着けることが多くなっていく名前は自分の心を守ることに必死なのだと木崎は知っている。そして、ボーダーをやめたいといいつつも、決してやめないであろうことも木崎は知っていた。故人との最後の繋がりを、残された仲間を、守るための力を名前は捨てられない。風刃に名前が選ばれなかったのはきっとボーダーを望んだ最上の意志であり、そしてそんな名前を知る最上の親心だったのだろうとそう思う。戦うたびに泣いていた頃を知っていて、戦場など似合わないと彼は度々口に出していた。名前が自分の為に戦場に残ることがないようにとそんな気持ちであったのだろう。
 朝食をとりにやってきた林藤ゆりと陽太郎にさっきまでの表情を消して、笑って挨拶をする名前に、今度こそ木崎はため息をついた。



執筆/公開 2018.10.28


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