※捏造過多
しとしとと雨が降る22時。この時間帯に女の家を尋ねるのは初めてになるが、もし彼女が既に帰宅していれば、パッチリとした目を見開きながら出迎えてくれるだろうと頬が緩んだ。
アパートの屋根が目に入れば、自然と早歩きになって。
カラコンかと疑うくらい人工的な色の、しかし自然を──薔薇や宝石や宇宙を超越した美しさを持つ瞳がめいっぱいに開かれて、掠れた声で私の名前を呼ぶんだ。瞼の裏で微笑む彼女にほうっと息が漏れる。現実に劣る想像の中でさえ、春千夜さんは美しい。
「おじゃまします……」
一応、と小声でおうちに挨拶をすると、返ってきたのは外で走る救急車の音。靴はあるのに、ただそれだけ。神様が地球から人間を消してしまったみたいに、今夜はどこか不穏気で寂しく、なにか足りないような虚しさを覚えた。
春千夜さん、またぐでっとだらしなく寝ているんじゃないか、とほぼ確信づいた仮説を立てて鍵を閉め、抜き足差し足忍び足、廊下を通っていつものソファへ向かえば、クレオパトラにさえ匹敵するであろう美貌を放つ彼女は体の全てを惜しげも無く晒して、口なんかもパカッと開け、容姿に相応しくない寝相でグースカグースカと寝ていた。
「春千夜さーん、おーきーてー。風邪引いちゃいますよぉ」
細っこい肩を揺らすと、整った眉が中央に皺を作った。それを見た心の中の悪魔が「こんな時にしかさわれまい」と私を唆すものだから、どれだけの高級化粧水たちが染み込んでるか、恐ろしくて考えたくもないくらいにきめ細やかな肌をスリスリ撫でて、目覚めに備えてみる。
「ん、んぁ……?ふぁ……なまえ……?」
「はーい、名前ちゃんですよ。おはようございます」
「ん、ハハッ!なんでいんだよぉ〜」
「え?……あれ?」
あれ、なんかおかしい。てっきり「こんな時間に来んなや」くらいは言われると覚悟していたのに。
ふにゃふにゃ笑って手を伸ばしてくる春千夜さんは、お酒を飲みすぎたみたいなテンションで私を見るけど、ここにはお酒の缶の残骸やアルコール臭が漂っていない。ミステリーだ。
顔だって寝惚けてると言うにはかなり目がとろんとしていて、笑顔も最早アホくさい感じがする。失礼かな、ごめんなさい。
「なんでいんだ〜?あ、あ、今日オレがはやく帰れたからだな?帰り早いの知ってたんだろ!ハハハ!」
抱っこをせがんでケラケラ笑う彼女に、一体何が起きたのか。精神が崩壊したとか、誰かに脅されてるとか、そうでもない限り説明がつかないような。普段の気怠さやアンニュイさを詰め込んだ権化のような人が、一体どうして。
「春千夜さん?」
「なんだよぉ」
「パジャマ着ましょう、寒いでしょ」
緩く掴まれていた指先を優しく振り払い、行き慣れた部屋からシルク生地のそれを持ってくる。勿論下着も。すると春千夜さんは「や!」とはたいてふくれっ面で、私を睨みつけた。普段ぶりっ子のぶの字もない彼女がする上目遣いに、心が高鳴るまでは1秒もいらなかった。
「もぉ、今日は甘えんぼなんですか?」
「んーん……きょーヤベェの飲んだぁ」
「やべーの?度数いくらくらいです?」
キスを目論んでいるのか、春千夜さんは首に腕を回して顔を近づけてくる。でも私たちはそういう関係じゃないし、そもそも彼女が女性を好きになる人かも知らない。
浮いた話は全く聞かないどころか、全人類、老若男女への愚痴を須らく零すような人だから、これまでもずっと核心には触れられず今日まで来てしまって、この先も知ることはないのだと思っていた。
「んふふ、やべーの。オレがいつも飲んでるヤツのせーぶんが入っててぇ、アッチじゃ合法なやつとか混ざったぁ、ンハハッ!見た目はグミみてぇなの!オマエみたいでカワイーやつ」
恍惚とした視線に心を撃ち抜かれる。
春千夜さん、明らかにやばいことになってるのにこんな時でも可愛いなんて。私も私で、合法とか聞こえたし焦った方がいいのになぁ。
寒いからかはたまた別の理由からなのか、外気に晒されている乳首がいつの間にか勃起している上、あまり見ないようにと心がけていた下半身も心做しか濡れているようで。絵面が衝撃的すぎるあまり、視線を逸らしても頭に焼き付いている春千夜さんのアソコ。
いや、これは足を広げて座っている春千夜さんが悪い。私がありえないほどスケベな女だからとかではない、と思いたい。冷静になれないのを、いっそ春千夜さんのせいにしちゃおうか、負けた気がするし。毛の全くない真っ白な性器に"美しい"なんて思う自分も認めたくないし。
「ふくきせろォ。……ア〜腹へったァ、名前〜」
「えー、自分で食べてね」
「やだァ〜、いつもみたいに食わせろよ」
「裸の人には食べさせませーん」
鼻先に指をコツンと当てると彼女は押し黙り、数秒なにか思考したのち小さく返事をした。「はぁい」なんて間延びた声を、この人は出せたのか。いつものキリッと、というかトゲトゲしい物言いをする彼女は、服と共に脱ぎ捨てられてしまったのだろうか。そうなら以前から裸を見せていたくせ、私に強く当たっていたのが説明つかない。やっぱり合法がどうとかいってたナニカのせいなんだ。
「今日のめしなにー?なまえちゃーん」
「ハイハイ静かに。適当に肉と野菜とチーズぶち込んで丼にしますね?結局これが1番おいしいみたいなとこありますから」
最早女児と呼んだ方がしっくりくる春千夜さんに、同じく男児、否男子高校生が作る豪快飯みたいな料理の具材を見せてやる。すると春千夜さんは私をからかうような笑みを見せてこう言った。
「ちがうー、オレはなまえ食べんのー。あうあう」
「いたいっ!ちょっと!噛まないで!」
綺麗に並んだ歯によって手首をガジガジ噛まれ、突然のことに驚いた私は単語だけをポンポン発射する。今日はもう帰った方がいいのかも、と脳裏に"逃げ"がチラつく程、危険な気がヒシヒシ伝わってきた。
なのに、こんな時でも私を包むように香る彼女のかおりが素敵だ。ベールに優しくくるまれたみたいで気持ちが和らいでいく。
「やっぱ飯もはやくくいたいー。あ!酒のもーぜぇ」
「だーめ、ですよ」
「やだ。めっ」
「こっちが『めっ』ですよ。ほら向こう行っててください」
「名前がつめたいぃ……」
ひょっとすると彼女は春千夜さんの双子の妹さんとかで、妹さんはちょ〜甘えん坊な方だとか?血縁さえもを疑わずにはいられないこの変貌ぶりに、私は警察へ電話したくなった。が、多分したら春千夜さんは捕まる。最悪極まりないないことに、私はなんとなく彼女の素性を悟っていた。それでいて傍にいるのだ。
「おいしかったですか?3口でお終いみたいですけど」
よそった時から時間が進んでないみたいに減らないごちゃ混ぜ丼は、春千夜さん曰く綺麗に食べ終わったらしい。どこ見てんの。あんだけ食う食う言っといて、変なのを飲んだから気持ち悪くて無理だとか。これがダメ旦那に腹立つ妻の気持ちなんだろうか、食べれないなら最初に言えよと少しピキった。
それからある意味彼女の熱に当てられた私は、下はTバックだけの春千夜さんを膝の上に倒して、うつ伏せのおしりが丁度右膝に来るように操作する。干された布団みたいにダランと垂れた春千夜さんは、いくら動かしても文句を言わずにケタケタ笑っていて不気味。
「春千夜さん、ご飯食べれなくてごめんなさいって言えるなら許してあげますよ」
「食べたもーん」
「食べてない!悪い子」
「悪い子じゃない!名前の子!」
飛んでる人と会話しようなんて与太話はハナから無駄だったみたいだ。
それどころか私の赤ちゃんだとあんまりうるさくジタバタするもんだから、Tバックのパンツをペチンっと引っ張ったら、途端に女の声を出し始めた。
「私の子どもなんだったらご飯はちゃんと食べないとなんですー」
「やだぁ知らねえ!食べたもん」
「はいオシオキ」
「オシオキやだぁ、殺さないで、まだ名前と会ってないからッ」
「いやいやお仕置で子どもを殺す親がいますか。てか私名前ですけど?」
「オマエちがうぅ……ホンモノじゃない。ニセモノ、ニセモノなまえ。オレの頭ン中の名前だろ!バーカ!トぶ度にでてきやがって!ほんもの出せ!」
「はぁ……?酔いすぎですよ、もう」
「酔ってねぇ、パキってるだけー」
薬物中毒者の専門用語が出てきて口を塞ぐも一歩遅く。春千夜さんを"そういう"人と認識するだけならとにかく、私まで"そっち"方面に詳しくなるのは御免だ。ふとした時にパキるという単語が出てきて、それをすんなり会話の内に理解してしまう自分なんて嫌じゃんか。疑いがかかってしまう。
「あ、ははっ」
思考の渦に飲み込まれていた私を取り戻したのは怪奇的な笑い声。すると彼女は閃いたようにして、「いーか?聞けよ」と続けた。
「したらさぁ、オマエが頭ンなかのなまえちゃんならぁ、なにしたってイーってことだよな」
「え、いやいや。痛いこととかはお断りですよ」
咄嗟に譲れない部分だけでも、と伝えると、春千夜さんは起き上がってそのまま私を食べるようにキスし始めた。丼を食べたあとだと言うのに、彼女とのキスはなにも気持ち悪くなくて、寧ろひっついてせがんでくる姿が心にくるほどだった。
「んむっ……はうっ……はむ、ん、んぅ……♡んはは、かぁわい♡」
「……はっ、え、ちょっと、ほんとどうしました?キスはだめですよ」
「ん〜♡かわいいな〜オマエ♡マジで死ぬほど惚れてんだけどどうしてくれんだよぉ♡オレの給料じゃこんなフェイクもフェイクのきったねーぶたごや、すむわけねーし、オマエがきてくれっから、かえれる日はまいっにちここかえってきてやってんのに、ぜーんぜん好きなのきづいてくんねーし♡」
「え、フェイク?豚小屋って……ここだってアパートにしては綺麗だし高そうな……」
「しごとでいっしゅん使っただけの家なァ。オマエがオレに『あまりにもおきれいで声かけちゃいましたぁ♡』とかいうから、しっかりけいやくしてこの家すんでんの♡ほんとはしろかねだいにこのアパートの100ばいの家あるぜぇ?他にもあっけどぉ」
重苦しい恋心と衝撃の事実を吐露され困惑していると、彼女はまた指をガジガジ噛み始める。薬指が重点的に噛まれて、歯型の指輪が出来上がってしまった。
いやいや、それよりも。
「ほ、ほんとにっ?嘘だ、そんなお金持ちなのに、私がナンパしただけでここに……?」
「そ♡最初はおとりにつかおーと思ったけどな、めし作りにくるわふろ入れてくるわ、なんばーつーのオレをしんぱいしてくるわで気に入っちまった♡すき♡」
ナニカでクラクラしてるくせに喋りすぎたせいか、再びぐでんっと私の膝に転がった春千夜さんは「一生はなれんなよ、はなれたらテメーのまわりぜーいんころしてさいごはふたりで心中コースな♡」と、天使みたいにふんわり笑って銃を突きつけてきた。
ソレはソファの下に転がっていたようで、そのまま膝をなぞられる。
「えっ、や、うそ、偽物でしょっ……?」
「んー、ふふ、このままぶっぱなしたらオマエの膝、穴空いちゃうなー」
「やめてよ、ねぇ」
「じゃー逃げんなよォ?これからも家きてオレのことかわいがって♡」
生唾を飲み込んで、痛む頭をなんとかしようと目を瞑る。膝上にいる女はきっと、私の想像以上にヤバい女だ。知らぬ間に人生の終着点まで決められていたし、路線変更はした時点で終点を意味する。
綺麗な薔薇には棘があるというが、私は茨まみれの中に1輪咲く、もはや棘の1本1本すらも剣でできた、恐ろしい薔薇を折ってしまったようだ。