竜胆、危機一髪!

※竜胆猫設定


 猫が二時間ぶりに、枕替わりになっていた名前の靴下を視界に捕らえる。そして二つ揃ったそれにあたまを擦り付けると、恨めしそうな声で一鳴きし、むくりと起き上がった。
 扉を二枚隔てた向こう側にいる人間たちのせいで、眠気の名残りすら飛ばされたようだった。

「ほんっとかわいいでしょ〜!うちの子!」
「いや可愛いけどさ、親バカになった名前の姿の方が衝撃的だよ」

 彼女達はそんなことも露知らず、可愛い猫ちゃん談義に夢中で花を咲かせていた。
 そんな空間の中、起こされてしまった話題の猫、竜胆が部屋に入ると、彼女たちは瞳を輝かせてうっとりと、まるで高貴な王を見る国民──最早信者達のように視線を注ぐ。
 
 不機嫌な竜胆の顔はそりゃもうツンとしているが、そんな表情さえ飼い主からすれば極上らしく、かわいいかわいいと口を抑えて悶えては、竜胆こっちに来てくれないかなと神頼みして、そわそわ落ち着かない。

「にゃっ、にゃあ、にゃー」
「なんて言ってるのかな、名前わかる?」
「多分いらっしゃいって言ってるんだよ。よかったね」
「嬉しい!お邪魔してます」

 穏やかな会話に水を差すようだが、飼い主の予想は一ミリも当たっていない。

「にゃー……」
(うるっせえ雌の声がすっからなんだと思ったら、また名前の友達とかいうやつがきてんのかよ。よくもオレと名前のテリトリーにノコノコ入ってきやがって)

 案外腹の黒い竜胆は、小さな体で押した扉をあけっぱなしに、名前の近くまで歩いていく。しかし飼い主の元へ、と思いきやすんでのところで謎に方向転換をし、友人の膝の上へと乗っかってしまった。

「あ、竜胆……またそっち行っちゃうの……?はぁ、悲しい……」
「ふふ、よしよし、竜胆はわたしの方が好きなのかもねー?」
「ニャ!」

 人間から見ると完璧な肯定にも聞こえる「ニャ!」には、「ちげえよ!」という意味が込められている。違うのならわざわざ座らなければいい話なのだが、竜胆にはこんな面倒なことをしないといけない理由があった。

「竜胆……。うう、いいなぁ、いっつも竜胆に座ってもらえて……」
「にゃあ、にゃにゃっ」
(名前……かわいい……きゅんっ)

 この顔である。自分の飼い主名前のこの表情こそ、竜胆が中毒になってまで求める大好物な光景であった。
 ワガママな彼は並の愛情を受けるだけでは事足らず、名前のこの、竜胆が愛おしくて仕方ないのになんで友達にばっかり、と眉を顰める形相から透けて見えた嫉妬心に、毎回胸を高鳴らせているのだ。

「ふふ、いいでしょー。でも竜胆も名前のこと大事にしないとダメだよ?」
「みゃっ」
(わかってるし。てかなんで名前もうオレのこと触ろうとしてこねぇの?うざ、いつもならもっとしつこくだっこしようとすんのに)

「ミャー!にゃにゃっ!!」
「だってよ、名前」
「え、なに、わかんないよぉ……」


♡♡♡


 友人が訪問してくる頻度は週に二度ほど。大学で被った授業の課題を二人で進めるのに、インドアな名前と竜胆が好きな友人は、どちらから言うともなく名前の家を勉強会場にした。
 それは竜胆からすれば邪魔が二度入るということでもあるし、名前の甘い愛をめいっぱいに浴びれる日が七日間のうち二回、ということでもある。名前の友人に、竜胆はなんともいえない感情を抱いていた。

「竜胆〜……触っていい……?」
「ニャ!」
「いたっ、ごめん……」
「名前大丈夫?竜胆、ダメだよ」

 今日も今日とて他人の膝で体を丸める竜胆だが、たまに加減を間違えて、名前を傷つけてしまうことも少なくない。その度悲しそうに手を引っ込める名前に、竜胆は自分が上の立場になったような気がして、高揚した気持ちを乗せ尾を揺らした。きっとこの後もめげずに触ろうとしてくるであろう飼い主に、期待とトキメキでいっぱいだ。

「うう、ごめんね……。へへ、今日は諦めるね」
「ニ゛ャ゛ッ?」
(はっ?そんくらいで触んの諦めんの?なんで?触れよ、なぁ触れって……!ダメだこいつすげぇ避けてくる)

 そんなある日。竜胆がこっそりと扉に近づいて、二人の会話を聞いている時だった。
 最近の名前は元気がないのが丸わかりだったので、友人とかいう人間がこの家でなにか聞いてくれないだろうか、名前の悩みの種をどうにかして知れないだろうか、と息を潜めていれば、案の定その会話の流れになったのだ。

「やっぱり、竜胆も私といるより、ね?」
「いや……名前が知らないだけで、竜胆もわたしじゃダメだと思うよ、急に家が変わったらストレスもかかるだろうし」

 いつもと違って自分を褒め称えるような声は聞こえない。ただ低く、落ち着いた声で、なにかいけないことを話しているような予感がしたのだ。

「嫌いな飼い主と暮らす方がストレスだと思うよ」
「でも、だから、嫌いじゃないとおも」
「さすがにわかるよ、だって最後に触らせてくれたのなんて、家に来てくれたばっかりの時くらいだよ。私飼い主失格だよね」

 今度ははっきりと聞こえた彼女の声に、竜胆はふざけるなと憤り足を踏み入れる。
 これが人間の子どもだったのなら、言葉を理解してしまうからやめようと中断されただろうに、竜胆を猫だと侮った彼女たちは、竜胆を交えてもその会話を続けた。友人はいつも通り竜胆を抱える。

「よしよしおいで」
「竜胆……。やっぱり私じゃダメでしょ?」
「フシャーッ!」
「ぎゃーっ!」
「え!?竜胆やめな!?」

 あまりにも奇想天外な行動に友人も名前も置いてけぼりで、竜胆が名前の顔に張り付くのを二人はただ認識することしかできなかった。
 そのまま体重の関係でずるずると落ちていく竜胆は、逃げようとする名前を捕獲しようと急いで、肩に手を乗せ一生懸命抗議する。

「な゛ぁ゛ーーっ!!ニャッ!ニ゛ャァァァ!」
(ぜったいやだ!やだやだやだ!なまえじゃないとやだ!ふざけんな捨てんなよ責任放置すんな馬鹿飼い主!!)

 二人はおふざけで竜胆に声を当てることは何度もしたが、実際竜胆の言いたいことが合っていた試しなんてゼロで、突然怒り出した竜胆を慮ることもせず互いに視線を交わらせた。どうしたんだろうと。

「にゃぁああっ!ニャー!ンミ゛ーッ!」
(今そいつと見つめ合うの必要かよ!オレを見ろつってんの!捨てないって言って早く撫でて!はやくなでて!)

「どうしたの、ほんと、怒ってる?…………もしかして私と一緒にいたい?」
「なぁん……」
「えっ……み、みて……はじめて竜胆がほっぺ舐めてくれてるっ」

 竜胆のざらついた舌が何度も名前の頬を往復していると、その間に名前の香りに包まれていったプライドや意地がどんどん溶かされていくのを感じた。表面の粗を削られていったかと思うと、中核までデロデロになって思考に偏りが出始め、最後にはこれまでの日々が嘘のように、名前の膝の上にまるまって動かなくなった。
 それは友人が帰る時間になっても変わることなく、大丈夫だから、と笑う友人を名前はしぶしぶ床から見上げ見送る形となった。
 一人と一匹きりの空間ができあがると、竜胆は途端に聞いたこともないような甘えた声で名前に体を擦り付け、尾を小刻みに震わせ愉悦を表す。

「なぁ〜んっ」
(名前〜♡♡あいつ帰ったよ♡オレと二匹っきり♡)

「わ、どしたの?変なの食べちゃった?」
「み゛っ!?ンナァ゛〜〜ッ」

 これまでの行いが返ってきたようで、竜胆の気持ちは全く汲み取られず、名前は携帯片手に「猫 変」「猫 情緒」と検索しながら竜胆を宥める。しかし竜胆は、自分以外を優先されるのがこの世の何よりも嫌いであるため、携帯を素早く猫パンチしたかと思うと、名前の腹に向かってかなり本気で体当たり。

「いっ……!なに、なんなの竜胆!私がやなの?好きなの?一緒にいたい?いたくない?」
「にゃっ、ニャ!なぁん……っ、にゃあっ」
(好きだよぉ……っ、なんでわかんねぇの、なんで、お腹見せるかっ?どーしたら捨てないでいてくれんの……っ)

 子猫のようにうにゃうにゃ唸って、名前にピタッとくっつき、蕩けた頭で一生懸命考える竜胆。すると名前はそんな竜胆を抱き抱え、うにょーんと伸びる体をそのままに問答を始めた。

「わかった。『はい』はニャア、ね。『いいえ』の時は何も言わないで」

 竜胆は、オレ以外の猫だったらぜってえわかんねぇぞこれ、と名前のアホさに若干呆れつつ、顔をシャキッとさせニャア!と返答した。

「竜胆はこの家から出たい」

 無言である。

「竜胆はこの家が好き」
「にゃあ!」
「ほんとかなぁ」
「にゃあ!にゃあにゃあ!にゃーあ!!」
(好き!好き好き!変なとこで勘ぐんな!好きだから!)

「わっ、暴れないの。……えっと、竜胆はいつもお家にきてくれるあの子が好き」

 無言である。

「ええ……?これ理解してないのかな」

 自分の都合のいいようにしか解釈しない飼い主を睨みつける竜胆。

「私のこと、好き?」
「にゃあっ!」
「ほ、ほんと?」
「にゃあにゃあっ!」
「じゃあ、一緒にいたい?」

 竜胆は今日一番の大きな声で一鳴きし、若干瞳が潤んだ飼い主の胸元へ大きくジャンプし抱きついた。
 長年のすれ違い、というよりは竜胆が勝手に意地悪してはドキドキしていただけだが、それ故に生まれた勘違いにようやく気づいた名前は、竜胆の鼻先に自分のをくっつけ、大好き、と微笑んだ。

「にゃーあっ!」
(オレもだいすき!)

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