嫌いじゃない



 三番シアターから出ると、竜胆が私の出したゴミを率先して回収し、館内のスタッフさんへと渡してくれた。その姿だけでもうなんだか、変なとこで彼氏気取りしやがって、と腹がムカムカしたし、映画だっていいものじゃなかったから、娯楽終わりの気分とは程遠いだるさを覚えた。

「おもろかったな……!なまえはっ?名前はあーいうの好き?」
「うーん」
「あ、あんまりだった?でもポップコーンは美味そうに食ってたよな、うまかった?」

 映画館を出てからも、灰谷竜胆はずっとこの調子だった。質問、一拍置いて質問、不安そうに質問、私の機嫌を窺いながら質問。
 たしかに人との会話を盛り上げるにはクエスチョンマークが必要になるが、竜胆のはさすがに、オマエはアキネーターかよとうんざりするほどだった。おまけに手だって繋ぐことになって、不本意ながら頭も体もコイツでいっぱいいっぱいだ。

「うんー、うんー」
「そっか、名前のこと知れてうれしい」

 セリフだけなら余裕のある言葉回しも、汗ばんだ手や逸らされた目で台無し。そんなになるなら手を離せばいいのに。いや、むしろ私が離せたら良かったのに。けどとある事情──というか、灰谷・デビル・蘭のせいで私からは絶対に手が離せなかった。
 夢だったらな、と思って携帯を開くと、そこにはやっぱり灰谷・デビル・蘭からのメールがあって、『竜胆からオマエと手繋ぎたいのにできない〜(><)ってメールきてっけど、まさか竜胆の行動待ちしてんじゃねえだろうな』という内容は、何度目をこすっても変わらない。相変わらず"殺すぞ"という意思が透けて見えて、私の手まで汗ばんできそうだ。

 その間もしつこく私の好みを掘りげてくる竜胆を一瞥すると、繋いでいる手越しに体が跳ねたのを感じた。いつも以上に落ち着きがなくて、ちょっと勘弁願いたい。

「近くで飯も食べてく……?あ、あと、プリ撮りてぇなーって。いやまぁ、名前が良ければだし、全然断ってくれて大丈夫だから。撮るなら金はオレ出すし……」
「あー」

 本当にコイツ私のこと好きなんだ、めんどくさいな。そう思う私は薄情なのか。どうせさっき観た恋愛映画も、主人公を自分に重ねて見ちゃったりしたんでしょって思っちゃう。
 私は今"うわ、あのJKの組み合わせ何?""顔の大きさが全然違う""スタイル良い人の隣ってしんどいよなぁ"なんて風に見てくる奴らに端から睨みを効かせてて忙しいってのに。

「名前?つかれちゃった?」

 こっちを覗き込んだ竜胆の髪がさらりと揺れる。間近で見てもニキビひとつない肌はゆで卵みたいにつやつやで、私は無意識の内に自分のコンプレックスと比較していた。
 大丈夫かよ、と更に心配そうにかかってきた声にハッとして思考をとめると、ここに居るのが苦痛で窮屈で仕方なくなって、トイレに寄ってもらうことにした。竜胆は外で待ってるようだ。

 もう帰りたいな、辛いな。トイレの鏡で深く息を吐くと一緒に涙が出てきてしまう。きっと生理前だから、余計に辛いんだ。それがわかっていても辛いもんは辛いんだからどうしようもなくて、竜胆を待たせてることも気にせずアイラインを引き直した。リップも塗って、ハイライトも鼻先に。完成した私の顔は、いつもなら悪くないと思えたはずなのに、直近まで竜胆を見ていたせいかすごくブサイクに見えた。
 とぼとぼとやる気のない足取りで外まで歩くと、角から出切る前に竜胆の声が聞こえてきた。

「ねえちゃん、もう帰るかも。うん、名前も飯って感じじゃなさそうだったし……いや、名前が悪いんじゃねえよ。オレが全然楽しませてあげられなかったから」

 まさかの話題に動揺して、竜胆から貰ったプレゼントの紙袋を壁に擦る。するとその音に気がついたのか、彼女が慌てて「わり、きるわ」と言ってこっちに走ってきた。

「名前っ、大丈夫だった?」
「うん、ごめん」
「謝んなよ、迷惑じゃねえから。……それより体調悪そうだな、今日はもう帰った方がいいか」

 そうする、と口にする寸前で私の携帯が鳴った。絶対灰谷蘭じゃん。痛む頭をそのままに開くと、『飯食わねえで帰るデートとかあるか?(笑)金後で渡すから良いとこで食ってけよ』という文と共にいくつかのお店がピックアップされていた。
 あまりにも疲れて竜胆の顔を見ると、彼女はムッと頬を膨らませて私の携帯を睨みつけている。もちろん中身は見せてないけど。

「……なに?」
「……や、なんか、名前ってずっとメールする相手がいるんだなって」
「嫉妬?」
「………………ウン」

 客観的に、あくまで世間の目として見て、伏せ目がちに頷いた竜胆はめちゃくちゃに可愛い。一方私は、なんて考えると今度は胃も痛くなってきたけど。
 でもそんな間も控えめに手を当ててくる竜胆は、私が察して手を繋いだら満足そうに笑うから、なんか全部どうでも良くなってきた。

「送る、家まで」
「あーでも、ごはん食べて帰らないと」

 じゃないと帰宅後、灰谷蘭からのメールと電話が鳴り止まない気がして怖い。大丈夫なら竜胆なんて置いてバスで帰ってたのにな。

「……また今度食おーぜ、な?」
「うーん、あー」

 普段の"甘やかされた妹ちゃん"って感じとは違って、竜胆は歩きながら定期的に私を気にかけてくる。でも今はそれが逆にしんどくて。いわゆる、病んでる時に人の優しさに触れると、余計自己嫌悪で落ち込むというアレ。
 誰も悪くない──まあ強いて言えば、灰谷蘭の報復の怖さと、竜胆の顔の強さに泣きそうになってはいるが、竜胆はそれにすらすかさず気がついたようで、私がなにもかも最悪だと泣き出しそうな時にはなぜか二人で公園にいた。

「ほらここ座って」
「うん……」
「言わねえ方がいいかもだけどさ、学校でオレに言ってた、死にたいとか顔がどーとかのやつで悩んでる?」

 ドキッとした。きっと竜胆が私に感じるドキッではないけど、鼓動の早まり方は同じだったりするかもしれない。仮死状態ならぬ仮恋状態だ。
 そしておそらく初めて、竜胆に対して偏見や嫌悪が払拭された状態で、会話ができそうだった。

「だって、考えないようにしてたけど」
「うん」
「まず、もう竜胆が隣にいる時点で、自分のブスさが毎秒染みるし、映画の女優さんも、観にきてる女の子たちも可愛かったし、映画館出て歩いてたら、周りの人達が視線でブスって言ってきたし」
「すれ違った奴ら?アイツら『かわいい〜』つってたけど」
「……それはっ!それは竜胆のことじゃん……ッ!」

 無自覚な奴ほど心を抉る。全部ぜんぶ、竜胆が褒められてたんだよ。わっと泣きだした私をオロオロと慰める竜胆に、仕返しができたようで少し笑えた。
 私の手を握ってくる綺麗な指にはKENZOのゴッツイ指輪たち。私の指には500円くらいの、そこらにあるようなデザインのばっか。心の余裕だって、きっとお金から成り立ってるから、私と竜胆は違うんだ。

「いや、あいつら『二人ともかわいい』つってたから!もー、自分がどんだけ可愛いか早く気づいてよ。オレ心配なんだけど?こんだけ自己評価と周りからの評価がちげえ奴」
「えっ……」
「なぁこっち向いて。名前、あっ、おい、なあって。…………うーわ、また携帯鳴ってんじゃんうっせーな。さっきから誰だよ、貸して」

 私の制止も聞かずに携帯を取ると、竜胆は相手も見ずにこう言い捨てた。

「……もしもし、誰だか知らねーけどオマエしつこい。名前はもう彼女いっから、二度と連絡してくんじゃねーぞ。チャンスとかねーし。次連絡してきたらボコす」
「あっそぉ、よかったなぁ付き合えて。オレにまで威嚇するくらいの独占欲だもんなぁ、呆れられないよーに気ぃつけろよ〜」

 竜胆の体がビシッと固まって、大きく見開かれた目が私の方を向く。その様子はさながら、オイルの足りていないロボットのようだ。

「えっ、は、あ、あ〜〜……あねき……」
「わりぃわりぃ、カップルの邪魔しちゃダメだよな。さすがにオレもボコされたくねえしなぁ」
「や、ちがう、ごめん。名前が変な男に取られるって思って……。あ、あとまだカップルにはなってねぇんだけど、言葉のあやというか、まあ……」
「これからなんの?」
「や、いやぁ〜……」

 焦りと恐怖に汗がとまらない竜胆は、更に照れくささまで感じ始めて視線を泳がす。私の方を見ては、目が合うと逸らして。下唇を噛んだり貧乏揺すりをしたり。反対に、待つのが嫌いな灰谷蘭は、こっちにまで聞こえるほど大きな音で舌打ちをしていた。

「名前、どうすんだよ」
「へっ!?まって姉ちゃん、なんでなまえにっ、やだ、やだ聞きたくない……!」

 聞きたくないなら電話を切ればいいというだけの話。竜胆がそれをしないのは姉が鬼より怖いからなのか、テンパってその考えすら浮かんでいないのか。
 感情起伏の激しい彼女を見ていたら冷静になれて、私は蘭に正直に気持ちを伝えた。

「竜胆次第です」

 そう言ってポチッ、と『切』ボタンを押す。蘭もなんだかんだ言って、可愛い妹の竜胆には悲しい思いをしてほしくないんだろう。気持ちはわかる。それでもこれは竜胆の恋だから。

「え……き、きったの!?やべ、やべえって勝手に切ったら……!またかかってくるって……!」
「…………かかってこないね」
「嘘だろ、信じらんねぇ……すげえ……」

 ベンチの背もたれにぐでんぐでんになって体重を預けた竜胆は、そのまま天を仰いで、私の言葉を反芻している。「竜胆次第か。竜胆次第って、オレのやり方次第ってことか……チャンスあるってことか……」なんて、当たり前のことを言っては何度もそれを繰り返し、未だに飲み込めていないようすだった。

「……え、えっ!?まって、なあなまえ!おかしいって!」
「なにが」
「だってそれじゃ、名前がオレと付き合ってくれるみてぇじゃん……!」
「そう言ったけど」
「はぁ?……はぁッ!?」

 ぼぼぼっ、とまるで火がついたように顔を真っ赤に染めて、にやけた顔を隠しもしない彼女は、綺麗とも可愛いとも似つかず、マヌケ顔だ。

「名前も、えと、オレのこと……すぅ、す、すーっ……す……」
「好きかどうか?」

 今度はコクコク頷いて、手で止めるまでとまらない首振り人形みたい。

「まだわかんない。でも、うん。試しに私の好きなとこ言ってみて」
「う、うん……。えっとぉ、まずまあ、なんつーの…………かっ、かわいい……じゃん」

 彼女の恋心を踏み潰す真似はナシの方向でいこう、向き合ってみよう、とインタビューをしてみたら、最初からわけのわからないワードが出てきて顔が熱くなった。

「はあ?どこが。嫌味?」
「んなわけねーだろ!くっそ可愛いわ。なんでわかんねぇの。オレほんと、それだけは理解できねえもん。マジで可愛いよ、ずっと見てたい。だから席隣になってからオレずっと学校行ってんだろ?可愛い顔1ミリたりとも見逃したくねぇの。名前はなんかオレの顔が〜、スタイルが〜とか言ってたけど、オレからしたらオマエが世界一なんだってわかってよ」

 すごい勢いで褒められてしまって、今の私はきっと竜胆と同じくらい顔を真っ赤にしてるんだろう。はずかしい。こんなに褒められたの、初めてな気がする。

「ありがと……」
「かっわい……なに、照れてんの?やめてマジで!なぁ、ほらかわいい!こっち向いて?あー、逃げんなよ……くっそかわいいな」
「わかったから、ほかに」
「睨むなって……。他はー、やっぱ優しいとことか。話しかけたら同じ分返してくれただろ、最初の方とか特に。一聞いて十返してくる奴はうっさくて嫌いだし、ビビって『すみません!』しか言ってこねー奴も嫌いだけど、名前ってそういうのがちょうど良くて、そこで気になったんだよな」

 まさかのしっかりした理由に驚きつつ、最近は竜胆が十話しかけてきて、私が一の半分くらいしか返してなかったな、と不憫に思った。
 これ以上は本気で照れてしまうしいいか、と口を開くも、それより早く竜胆が喋り始め、彼女のターンが延々と続く。

「スタイルだってすげえ綺麗。かわいい。たまに二の腕摩ってる時あるけど、このぷにぷにがたまんねえんじゃん。なのに太くないし。足だって長いよな、スカート巻くの上手いから余計にそう見える。腹もどこがデブなんだよって感じ。……あと、むね、も」
「……私が着替えてる時、『早く服着ろ!』みたいなこと言ってたじゃん。醜いんじゃないの?」
「んなわけ!!……ただ、ちょっと刺激が強かったんだよ……好きな女が、え、えろい体してるからっ」

 何気なく自分の胸に手を当てると、竜胆の視線がそこに釘付けになっていた。私が「変態」と言うと、今度は生唾を飲んでこっちを見てくるから、ちょっとキモいなと思った。

「見たい?」
「はっ!えっ……う、見たい……」
「嘘だよ」
「……だっ、だよなぁ!?はは……」

 からかうのはこのくらいにして、知らんぷりをしていた温かさに、真っ向から触れてみることにする。竜胆にもらった嬉しい言葉たちは、心の傷を完治、とまではいかずとも、涙が溢れそうな程に嬉しくて心地よくて、本当に好きなんだと疑う余地もないほど身に染みた。
 彼女とずっといたら、いつか、こんなネガティブな自分も消えていくのかな。消えなくたって、そんな部分まで愛してくれそうな気がしちゃう。

「私のこと本当に好き?」

 あたふたしていた竜胆に、切り込むようにそう聞いた。するとさっきまでの情けない表情を一気に変えて、彼女は釣った眉をもっとキリッとさせた。

「大好き。誰よりも名前が好き。ずっと一緒にいたいって、高校卒業した後どうすれば一緒にいれんだろって、毎日考えて泣きそうになってた。そんぐらい好き」
「なら、一ヶ月で竜胆のこと大好きにさせて。できる?」
「名前からのお願いならなんでもできる。……あー、すっげえうれしい。…………あ、あと、ちゃんと言わせて。……好きです、付き合ってください」

 私の出した答えは、一ヶ月後とまったく同じものだった。

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