愛のコマンド
その日家主の早川アキは用を済ますべく家を出ていたので、いつものようにパワーを叱ることも被害者に謝ることもできず、当事者の名前は一人で、下着泥棒兼魔人に立ち向かっていた。
「ねー怒るよ。パワーちゃんかえして」
「うるさい、これはワシが買ったんじゃ。ワシ最近おっぱいおっきくなったから、このブラじゃないと入らん」
「なにやってんだよパワー。また名前さんのもん盗ったのかよ」
「盗っとらん!名前が盗人なんじゃあ!反省しろ!」
同居人のデンジがうんざりした顔でパワーを見て、視線をそのまま「家に上がっていいかな」と聞いてきた名前の方へとスライドする。濁った赤色に女が溶けた。
デンジは困り顔の彼女に胸をきゅんと高鳴らせて、「いらっしゃいませ……」と少し遅めの歓迎をした。
「ごめんねお邪魔するね、それもらったらすぐ帰るから」
「パワー」
「やじゃ!ほれ見ろ、ワシのでしかないじゃろこのサイズ」
パワーは女のややセクシーめな下着をブンブン振り回して、デンジに向かって自分がそのブラを当てるところを見せてやる。しかし悲しいかな、パワーの胸に当たったそれは、生地との間に多くの空間を孕んだ。
デンジはゴクッと生唾を飲んで意を決したように、被害者の胸を見る。明らか名前さんのだろ、揉みたい。と即座に判断した後、嫉妬したパワーに叩かれるまでずっと、バディのよりも大きな胸を凝視していた。
「む……!見るなデンジ!これはワシのおっぱいじゃっ!」
「うわ、うわあ!なに名前さんのおっぱいに顔埋めてんだよ!ずる……ひ、ヒジョーシキだろ!離れろ!」
「ちょ、パワーちゃん、角ささりそうやめて」
「ん〜むふふ、他にも盗まれとらんかのチェックじゃ。あ、ウヌ今つけてるブラも盗んだな?ワシのじゃ、返せ」
パワーが名前の背に手を回すと、そのまま手探りでブラの凹凸を探る。その間デンジは「コラ!やめなさい!」と口では言うものの、ガッツポーズは隠さないわ、本気でパワーを止めないわで、ラッキースケベに期待しているのが丸わかりだった。
しかし名前もそこらの一般人とは違い、パワーくらいの魔人なら朝飯前の立派なデビルハンターである。おまけに自分が気に入られていることも知ってるからか、対処法があるようで焦りのあの字もない。
「パワーちゃん、聞いて」
「ん、なんじゃ。くそ、あともーちょっと……んむっ!?」
名前がパワーをぎゅむっと抱きしめると、たわわな胸が顔を覆って、四方八方から出口をなくす。
パワーはわきわき動かしていた手をピタリととめ顔を真っ赤に染めると、珍しく素直に名前に抱きついた。デンジは羨ましそうにその光景を目に焼き付けていた。
しかし残酷な言葉はいつだって最高潮な時に降ってくる。
「次やったら嫌いになるから」
そう言われるや否や、大袈裟なまでに肩を揺らすパワー。それを"反省した"ととった名前がわかった?と彼女を解放しても、パワーは抱擁をやめないし、言葉も何も発さない。
突然のおかしな振る舞いにデンジも名前も首を傾げてパワーに呼びかけるが、肝心の彼女は身体を震わせるだけだった。
「は?オイ、パワ子〜、次俺の番〜」
「あれ、なにこれ。パワー?パワーちゃん」
パワーは頭をぐりぐり押し付けて、名前の胸、というよりは温もりに縋っているようだった。彼女を前にすると途端にハイテンションになるあのパワーが、なぜこれだけ静かになってしまったのだろうか。
数分待てども状況が変わらないため、不思議に思った名前によって強引に頭をあげさせられると、光を浴びた顔から涙がポロポロ滑り落ちていった。
「えっ」
「ア……?」
「う、やだ……やじゃ嫌じゃあ……きらいになったらワシ、ワシ死ぬかも……いまも死にそうなんじゃ、悪魔に攻撃されとるっ!ここがいた゛い゛ぃ」
「悪魔はいないよ、大丈夫。胸が痛いの?」
「いたい……名前たすけて、はやくなおしてぇ……」
この家に来る度付き合わされる急速な展開の繰り返しに、名前は疲れるなぁとため息を吐きながらデンジを見る。どうにかしろと念を込めて。しかし彼は、パワーの頭が動く度に連動する名前のおっぱいに夢中で、全く彼女の意図を読み取ろうとしなかった。否、する頭がなかった。
そうなると今度は名前がうんざりする番だった。
「やだ、なおさない。もう帰ります」
毎度毎度私物を奪ってきては家に来させるパワーに呆れたようで、一度本気で怒らねばという考えに至った彼女は既に瀕死のパワーをかなぐり捨てる。するとパワーは絶対に離すものか、とジャンプし名前の腕に強引に収まった。
いわゆる抱っこの状態で、名前の名前をひたすら呼ぶパワーは赤子のようだ。
「やだやだやだおねがいおねがいおねがいじゃ!」
名前がパワーをそのままに靴を履き、ドアへ手を伸ばしたところでようやく家主が帰ってくる。仕込まれていたと思いたいくらい良いタイミングであった。
「アキくん、おかえり。お邪魔しました」
「あ、え、はい。……え、大丈夫ですか?」
「うーん、この子取ってもらえる?もう毎回変なもの盗んでくから嫌になってきちゃって」
「ほんとに、ほんとにワシのこときらい……?」
「なに言ってんだ、迷惑かけるな」
アキはここ最近のパワーの窃盗頻度を考えると、上司の呆れ顔にそれもそうだと納得して、パワーにおりろと命令する。まあそれを聞き入れる女ではないからこうなっているのだが。
「もぉ、どうしたら盗むのやめてくれる?家も近くないし仕事忙しいし、私疲れちゃうの。パワーちゃん、ねえ」
「ウン……でも、そしたら名前は来てくれないじゃろ……」
「用がないからね」
「うっ、それが嫌なんじゃあぁぁあ!」
「おい騒ぐな!」
暴れるパワーを宥めるのに一番有効なのは、マキマの命令。次いで名前の命令がくるのはこの数ヶ月でみな体感済みだった。
半開きのドアを強く閉めるとアキは、申し訳なさそうな視線で名前の言葉に賭ける。
「パワーちゃん、静かに」
「だってやなんじゃもんん……!」
「……飲み物くらいしか出せないですけど、あがってください。今日で終わりにしないと名前さんの休む時間がもっとなくなりますよ」
「……そうだよね、ありがとう。おじゃまします」
「やったぁ!」
紆余曲折を経て二度目のリビングに邪魔することとなった名前は、デンジのアホくさい"考察"とやらを聞いて、パワーの行動原理を解明しようとするが、元凶の彼女は名前の膝枕を堪能するのに忙しく何も聞いていないため、帰りたいなと思い始めていた。
「な?そーだろパワ子」
「んぁ?なんじゃ」
「違うみたいだな」
三人の家族のような関係の中に自分がポツンと居るのも申し訳ない気がして、その思いは余計に強まっていく。
「パワーちゃん、もうやめてほしいの」
「名前が諦めればいいだけじゃもん!」
「話にならないな……。名前さんすみません」
「ふんっ」
膨れっ面のパワーに、デンジはなにか既視感を感じて記憶を辿る。うーんうーん、と唸って上を見るデンジを誰も当てにしていなかったが、大好きなマキマに"待て"をされた時の自分や、レゼに揶揄されムッとした時の自分に似ていると、直感が彼を答えに導いた。
「わぁかった!パワー!おまえさぁ、名前さんのこと大好きだろ!毎日会いてぇから盗んじまうんだろ〜!?俺も目ェ瞑ったらマキマさんが出てきて」
「う、う、うるさい!黙れ!」
「え」
「……本当っぽいな。悪魔って恋するのか?」
「魔人になっちゃってるから多少はあるのかもね、困ったなぁ」
名前の腿に預けていた頭を素早くあげて、デンジの口を塞ぐパワー。しかし時すでに遅し、この部屋にいる全員がパワーの恋心を知ってしまった。
アキもデンジもそれぞれ思うところはあったが、想い人である名前からすれば、パワーのそれは思ったより単純な理由だったため、手早く盗まれたブラを取り返すとパワーの頬を撫で始める。
「パワーちゃん、私も大好きだよ」
「へっ」
「え゛ーッ!?」
「はあ?」
早い話、手懐けてしまえばいいということなのだが、この家でパワーと暮らしている二人からすれば、嘘でもパワーを恋愛的に見ているとは言えないため、本人を含めた三人であんぐり口を開けて衝撃を受けている。
それを見て名前は今日初めて心から笑った。
「カワイイ……」
「デンジ!ウヌは見るな!アキも見るな!ワシの彼女じゃ!」
「いやまだ……」
「プロポーズされた〜!結婚するんじゃ〜!魔人と人間の結婚は史上初じゃのぉ!ほれニャーコ!結婚指輪を取ってこい!」
これまでの照れ隠しをやめ全面的に名前への想いを吐露するパワーだが、「嘘だ嘘だ」と絶望するデンジと共に一頻り大騒ぎすると、ジィっと見てくる名前の視線に気がついて途端にしおらしくなった。
「パワーちゃんおいで。ほら、膝の上」
「う、ウン……」
「よしよし、いい子。いい子のパワーちゃんは私のお願い聞けるかなぁ」
「聞けるぞ!ワシに叶えられぬ願いはない!」
犬であれば大きく揺れる尻尾が見えていたことだろう。名前の手を気持ちよさそうに受け入れながら、首元に擦り寄るパワー。
男二人は居心地が悪そうにしていたが、名前は気にせずパワーの耳元で囁いた。
「私の物、勝手に取っちゃダメだよ」
「……でも、そしたらワシと会ってくれないんじゃろ……」
「会いたかったらデートすればいいでしょ?ね、お願い聞いてくれたらちゅうしてあげるよ」
「ちゅう……ちゅう……?あ、あ……」
角と同じ色に頬を染めると、パワーの瞳は名前の唇に夢中になって、外野の声をも遮断してしまう。
「どう?約束守れる?」
「ちゅう、まもる、ちゅうのやくそく……」
「違う。チューしてあげるから、私の物は絶対取っちゃダメ。約束破ったら二度と会わない」
名前に抱きついてコクコクと首を振ると、目を瞑って唇に落ちるであろう感触をじっと待った。
「ん……ん♡んんぅ?んぁ、ふ♡」
「ええぇぇえ!?エロい!」
「はっ……!?」
誰もが予想していなかった舌の絡まるキスに、反応は三者三様だ。名前だけが涼し気な顔をしてパワーの口内をいじめている。
「ん、んっ……は、なんじゃあこれぇ……」
「ちゅう気持ちかったね?いい子にできたらまたしてあげるからね」
「はあい……」
「それじゃ、お邪魔しました」
アキは上司の手段の問わなさに感服し、放心している馬鹿二人より早めに現実に戻ってくると、唯一名前の挨拶に声を返すことができた。二人は未だに何もない場所を見て固まっている。
アキが玄関前まで送ると、彼女が持つ剥き出しの下着が目について、適当な紙袋を渡してやった。
「いい子だね」
「は、はい……いや……」
次の悪魔討伐で仕事が被った時には、今日の光景が頭を過ぎった三人が若干弱体化するため、名前はまた新しく解決策を考える羽目になる。