「そこのお嬢さん!ああなんて美しいんだっ、全ての男を魅了する天使のような笑顔におれはっ……あッ」
「あっ」
お互いになんだか変な対応をとってしまった。と自責の念はすぐにやってきた。女性にナンパをしているのはいつものことだから、サンジだ、と思っただけなのに。あっちが悲壮な声を出すものだから釣られたじゃないか。
「あ、なまえ、ちゃん……」
そのまま足は止めずにチラッと目を寄せ、合った
冒険といっても、いつも島に着くとまず一人でぶらついてどんな島かを見るという、本当にちゃっちいものだけど、それでその町の特徴から何が栄えてるのかを当てるのが、趣味にするほど楽しくて、熱い血が指先まで達して沸騰しそうな程の興奮に、サンジの顔は脳からすっかりフェードアウトしていた。
「安いよー安いよー!隣の店より美味くてやすいオレンジだよー!」
「んだとテメェ!じゃあこっちは更に50ベリー安くするぜェ!?嬢ちゃん達オレん店寄ってきな!」
カフェがどこもフルーツのデザートを推していれば、その島の特産品は猿でもわかる。やたら靴磨きや花売りをする子どもを見かければ、貧困層への体制が整っておらず、海軍もあまりいない島だと推測がつく。海に鎮座する海賊船を見る人々の反応で、どれほど海賊が立ち寄ってきた島なのかが窺える。そんな風に目で見て聞いて、食べて歩いて。自分で体験することが大好きだった。
その"どこまでも追い求める欲深さ"は三大欲求にだって影響している。例えばサニー号での寝心地の良さに、ゾロも呆れるほど眠りこける日がある。例えばサンジの飯のうまさに、ルフィが張り合ってくるほど暴食する日がある。例えば──
「うちの船員って性欲あるのかな……」
もう一つはなんとも、誰と比べればいいのやらといった話だが、性欲だって人よりあるはず。生理前なんかは特にムラつくし、女も男もそれ以外も、全部全部抱きたくなる日がくる。ちょうど今日みたいに。
「おねえさん、落としましたよ」
「あら、ありがとう。……あなた綺麗ね、ここの人じゃないでしょう」
「うーん、今日初めて遊びに来たんだけど、ここのこと教えてくれません?」
スムーズに進む会話に、落とされたハンカチが罠だったと悟る。今晩は彼女の乱れる姿に目が離せなくなるだろうな、と誘ってくる唇に未来を見た。予め、ナミに泊まってくると言っておいてよかった。
どうせ忘れる名前を聞いて、呼んで、腰に手を回す。私の目を見て口を見て、キスの挑発をする彼女に思考が絡め取られていた時だった。
「名前ちゃんっ!名前ちゃん待って……!」
情けないほど一生懸命、人の波に抗ってやってくる金髪に、隣の子が「ボーイフレンド?」と睨む。まさか。そう返して腰から手を離すと、それじゃあ夜にそこのバーで。そう囁
いて消えていってしまった。
しかし追いかける必要性は、取り付けられた約束によって価値をなさない。私は目の前で悲痛な顔を見せるサンジの相手をすることにした。
「大丈夫?汗すごいよ。サンジの体力でこれって……どんだけ走ったの?」
「いや、疲れの汗じゃないんだ……。はぁ、焦ったァ……!なぁ名前ちゃん、さっきのレディとは、なに話してたんだ……?あっあと、おれはさっきの子とは、なんもねェから、その、誤解しないでほしくて」
「誤解?サンジとあの子になにかあったら、私に不都合があるの?」
「え、あっ…………ないか……そうだよな……」
本当はなんとなく、サンジの気持ちに想像がつく。だけどこんなことにさえ一喜一憂する彼の心を、私は真新しいおもちゃで遊ぶようにして掻き乱すのがたまらないから、知らないフリで傷つけたり喜ばせたり、欲望の赴くままにした。
「あるかもね?」
「へェッ!?あ、あるかもしんねェの……っ?それって……」
「ホテルで鉢合わせしちゃうかもじゃん、それは避けたいよね」
「あ、あ……えっと……」
途端に俯いたサンジの旋毛をつつく。手櫛で梳いてもサラサラだなぁ、さっきの女の人と良い勝負。手に取った毛だって、光を纏っていて本当に天使の輪っかみたい。
そのままどれだけ撫でても石のまんまのサンジに動こうかと提案したのは、ふくよかなおば様からいただいた咳払いで我に返ってからだった。他所でやんな、というありがたいお言葉までもらってしまった。 確かにそうだ。
目先にある良さそうな雰囲気の喫茶店に、逃げるようにして入店した。
「お腹すいてる?勢いで入っちゃったけど。コーヒー飲む?」
「……名前ちゃんはさ」
「……え?ごめん聞こえない」
またしても俯いて、自分の膝の話しかけるみたいに喋るサンジに文句をつける。向かい側から横に移動して腰を下ろしたら、隣の肩がびっくりするほど跳ねた。
ここは街の割には落ち着いているカフェらしく、一つ一つのテーブルが半個室のような形になっているから、私とサンジがぴったり横にくっついていても誰の視界にも入らない。私はちょっかいかけ放題だし、サンジも泣き放題できる。そこらのバイキングレストランより質が高いようだ。
「おれ、ごめん……。ちょっとトイレに」
「漏れる?」
「いや、あ、目になんか入っちゃってね」
「えー痛そう、見せてみて」
強引に目を合わせれば、涙の膜が張られてうるっとした瞳がかち合う。視線が猫から逃げるネズミのように、私を避けて、飛んで走って回ってまわって。こっちも負けずに、おちゃらけたうちの船長みたいに顔を動かして目を捕まえようとしたけど、それもなかなか功を奏さず。
奥の手として頬に触れたら、どうやら正解だったらしい。驚いたようにこっちを向いてくれた。親指の付け根が髭にあたってチクッとする。さっきの女の子にはない硬い髭だ。足だって絡めたら、弱い針山に刺さったみたいにチクチク。
「サンジかわいい」
「かわいかねぇよ、なまえちゃんみたいにでもなけりゃ……あの、あの…………いや、おれはなんて情けねぇ男なんだ、忘れてくれ」
「だめだよ、言って」
必殺、ガン見。有無を言わせない目、というのをナミから学んだ私は強いよサンジ。それも金銭が絡んだ時のナミの真似だ、二度言わなくなって簡単に相手が諦めてしまう猛獣の瞳。対してサンジなんかは今、チャーミングポイントのぐる眉をきゅっと下げて、目尻を濡らして、食べられるのを待ってる羊みたい。
私たちのこの場面が絵画として切り取られたら、『捕食者と被食者』『ハンターと獲物』なんてタイトルがつきそうだ。是非ともセンスは問わないでほしい。
「あの、君がさっき話してたレディみたいな、かわいさもねぇし、だから……名前ちゃんが惚れ込むようなかわいさなんて、おれァ持ってねェっていうか、男だから当たり前だけど」
軸のぶれた呼吸と共に吐き出された弱音を、サンジの頼んだコーヒーが真正面から受け止める。喉渇いていたんだ、なんて野暮なことは言えない。恥じらう顔が全てだった。
「サンジは可愛いよ」
「だからっ、それは!……やめてくれ名前ちゃん、君を見てると苦しくて仕方ねェんだ。期待しちまう」
「惚れ薬を盛るとかは考えなかったの?」
「安心して食えないような飯を提供するくらいならおれは死ぬ。信頼を踏みにじるようなことはしねェさ。料理人としても、仲間としても」
「……本当は?」
真面目に語った顔は、ややあって崩れていく。
「…………こ、ここあに……混ぜようとしました……」
ついこの間のことだ。サンジから夜にココアをもらった時、部屋に戻った私を見てニヤニヤするナミがいたのだ。ロビンも「これはどっちかしら」なんて言っていたのだが、今なら完全に理解できる。サンジは惚れ薬を入れることができたのか否か、その"どっちかしら"だったんだと。
そこまでして(結局は入れてないけど)私と想い合いたいサンジは、どう考えたって昼の女性より可愛らしい。言ったところで全否定されるだろうけど。
「混ぜれてたら今頃、キスできてたね」
「あ、あ、ん……」
親指で唇を撫でたら、髭の当たる部分が広がった。ジョリジョリってした。ワイルドなそれに反して艶かしい吐息を出すものだから、私も少し、熱に当てられてしまう。
「サンジがここで全部、素直になるんなら、夜は船にいるよ」
「ほんとうかい……?だって、あの、そしたらあのレディは……」
「サンジさぁ、人の心配ばっかするから取られちゃうんだよ?」
私より背が高いはずのサンジ。強いはずのサンジ。自分の定めた信念に則った男であろうとするサンジ。
それが今は私の機嫌を窺って、蓋をしていた気持ちをすんでのとこまで吐きかけて、今すぐにでも蕩けたいのを苦しそうな顔で誤魔化して、って。
「かわいいなぁ」
「おっ、れの、セリフだから……」
「私かわいいの?」
「そっりゃもう!怖いくらいに!綺麗も、かっこいいも、可愛いも全部、こう、ぐちゃっと混ざって……!」
「え、ぐちゃっと?ルフィとかゾロみたいな褒め方するね」
「いや、あの、だめだ……!おれそうなんだ、他のレディたちには言えるんだけど……いやこれは言い訳だよな……なんて言えばいいんだ、言葉が追いついてこねェ……!」
忙しなく顔を変えて、コーヒーに映る自分を睨んでいるらしい。こんな簡単なことも口にできないんだと呆れた笑いが零れた。天使やら女神やらは思いつくのに、たった二文字が出てこないなんて。いつもの私ならもっともっとと遊んでしまうけど、今日はサンジの涙も見れたことだし、サービスしてあげようと思う。
「好きって言うんだよ」
「えっ……あ、そっ、か……」
「好きすぎて苦しいんでしょ?」
「……うん、それだ」
しっくりきた、と落ち着いた様子で微笑む横顔に、意地悪で「嬉しいなぁ」と言うと、一気に自分が何を言ったのかを自覚したようで、顔を一瞬で真っ赤に染め──いや、最早燃やしていた。業火が燃え上がる勢いと言ってもいいくらいのあかい照れ顔。頬にキスをしても、ついたリップの色は完敗してる。
「おいで」
「あ、う……なまえちゃんは、レディなのに……こんな……」
あとちょっとだ。彼の理性をつなぎとめている糸が切れるまで。こうしている間にも糸はどんどん細くなり弱まっていく。
頭を抱いて背中を撫でて、耳にちゅっちゅとキスして遊んでいたら、切れるのはあっという間だった。プツン。
「なまえちゃん……っ、好き、好きだ、ごめん……!好きになって、ごめん……!言葉にしたらとまんなくなっちまった……!本気で愛してるんだ、だからおれ、恋人でもなんでもない君に、嫉妬してばっかりで……!」
「うんうん、いいんだよ」
「おれ、おれはっ……名前ちゃんと同じ気持ちだったらって……いつもそうやって考えてて、でもどこの島でも、君は綺麗なレディたちをエスコートしていて、おれじゃ無理だって思ってたから……」
サンジは泣く時に口をキュッと結ぶくせがあるみたいで、うるさいどころか、くぐもった声が時おり聞こえてくるくらいだから、やはり店内で私たちを気にする客はいない。私も心置きなく涙を拭ってやろう、と何度か目尻を撫でたはいいものの、なかなか涙は止まらないようで、暫くサンジを泣かせることにした。
どうやら私を根っからの同性愛者だと思っていたようだ。なるほど。それならここまで拗れたのも、ここまで彼が泣いているのも納得がいく。
「よしよし、目が腫れちゃうから泣き止んで。……あ、そーだ。ほら、泣くのやめられたらお願い聞いてあげるよ?なんでもひとつ。だから落ちついて」
この先もなる予定はない母親のごとく、サンジを甘やかしてみる。サンジの母はどんな女性だったのだろう。ふと気になった。彼の垂れ下がった眉は、私越しに母親を思い出したからなのだろうか。口で緩く弧を描きながら背をさすっていると、ようやく思いついたらしい願いを聞かせてくれた。
「ずっとおれのこと、いちばんにして」
おやまあ、なんて、キャラでもない言葉が飛び出そうな。まさか「付き合って」的な類のことを言われないとは。予想外の展開に手が止まる。
「きっと、名前ちゃんはひとりの人間に束縛されるのが苦手だろ?だからおれは名前ちゃんを縛らねェことにする。ただ、好きでいさせてほしい。……恋人には、そりゃなりたいけど……」
「私のことなんでも知ってるんだね」
「まァ……伊達に片思い続けてねェからな、はは。……おれは君が誰を愛しても、傷つけてもも、ソイツの作った飯を美味そうに食ってても文句は言わねェ。ただおれが一番、そいつらの誰よりも愛されて傷つけられて、誰の飯よりおれの飯を美味いって言って食ってもらいたいんだ。そういう意味での一番なんだけど、どうかな。ならせてくれる?」
清々しい表情でそう格好つけたサンジに、また同じことを聞いた。そんな聖人がいるわけがないのだから。オールブルーを夢に見る男が、こんなに欲の浅いことを言うわけがないから。
「……本当は?」
「…………クッッッッソ嫉妬します!でっ、でも!名前ちゃんの嫌なことだけは絶対しねェ……っ!」
「じゃあ今日あの子を抱いてきても文句は言わないね?」
ぽかんとした顔は一瞬でしわくちゃに歪み、サンジは奥歯を噛んで動かなくなった。葛藤しているんだろう。難儀なことだと思う。
「言って」
「やだ……嫌です……。ごめん、ワガママでごめん……!おれ以外が、名前ちゃんに一夜でも……一秒でも愛されてるの、イヤだ……!」
「かわいい。……でも私、性欲つよいよ。サンジが無理なら違う子を抱きに行くかも」
「なっ、えっ、あ……」
指を絡めて手を繋いで、シモの話をしてみたら。その無駄な交わりや熱が相俟って、私たちの夜を想像してしまったらしい。
ただなんでか彼は今日一番の覚悟の決まった顔をしていて、先程のように恥じらいを見せないので、私は次にサンジから飛び出す言葉が、予想の範疇を超えていることだけを予想し次に備えた。唾を飲み込んだサンジが震えた声を何度か出して、咳払いでついに意を決する。
「おっ、おれがいちばんッ、名前ちゃんを前にしたおれは、一番っ、一味、いや世界中の誰よりも性欲が強い男だッ!!」
瞬間、人が噎せる音がそこら中から聞こえてきて、私もそっち側だったらどんなに良かっただろうと思った。
なんて声をかければサンジを傷つけず、しかし早急にこの場から逃げられるのかの計算が上手くできないまま、「一番か、負けた」とわけのわからないことを口にして、サンジを引っ張り退店した。