玩具vsペット



 ラボには今日も、男のご機嫌な笑い声が木霊する。

「シュロロロロロ!どうだ見たか名前!凄いだろ!……なァ!?…………オイッ!こっちだバカめ!ほら、どうだ?おれ様だけが為せる技だぞ!崇めろ!……だからこっち見ろつってんだろオイッ!!」

 それの相手役はいつも決まって名前でいて、彼女は見て呉れこそ人間に近いがこの世の生物の何より知能が高く、脳内を基準として比較をするなら、魚人よりミンク族より、なにより"人外"という言葉が当てはまる種族であった。

「……ん?ますたー、うれしいね」
「そうかァ、嬉しいかァ!よ〜しよしよし良い子だおまえは!シュロロロ!」
「ますたー、も、いいこ」
「うっ、ばかよせッ!ぐふっ、うえっ、つぶれっ、ちゅぶれりゅッ……ぶはっ!このデカ女ァ!」

 抱き合う姿は至って普通。恋人というよりかは親子の抱擁だが、とても異種族には見えない名前。
 しかし悲しいかな、彼女の体の内部的なつくりは明らかに人間と異なっていた。そのため発声器官ももちろん違い、世界中のヒトが話すこの言語を音にしがたいのだ。普通に会話をすれば、かなり脳の足りないヒトだと思われそうな。
 そしてシーザーもそれに騙されてしまったそのうちの一人で、名前のことを馬鹿で懐きやすく、その代わりに身体能力がずば抜けて高い、変な生命体なんだろうと高を括っていた。おまけにちょっとデカい。自分より五十センチくらい。
 それを猫可愛がりしていれば愛着が湧いてしまい、気づけば懐くという表現が似合うのはシーザーの方になっていた。本人にその自覚はない。
 そんなある日のこと。

「おい名前!おめェなんでローばっか構いやがる。気に入ったのか?居候だぞそいつァ。自立してねェダメな男だ」
「ますたー、しせつ、おかね、もらってる」
「アァ゛!?何が言いてェ!!」
「ふ……名前から言わせれば、お前も自立してないダメな男らしい」

 口角をあげておちょくるローに、シーザーは唇をかみしめる。ペットに噛みつかれたことが余程ショックだったらしく、試験管を落としかけていた。
 しかし名前は、下等生物の感情なんて手に取るようにわかるくせに、この肌に突き刺さるような空気を和ませることも、シーザーにフォローをいれることも敢えてしない。この場で最も権力を持つはずの男、たった一人だけが心に傷を負う結果となる。

「イイ性格してんな、名前」
「ありがと、かっこいい、ろー」
「ああ」
「仲良くすんなァ!」

 この種は屈強な肉体と高い知能指数を誇ることから、恋愛感情を持たないため、愛想、駆け引き、執着、依存等の全てが排除されたクリーンな脳内で、必要なことだけに時間を費やす。
 だからシーザーの気持ちを汲み取ろうともしないのも、仕方ないといえば仕方のないことなのかもしれない。彼が抱いているのは不必要な感情だ。
 そのことだって露ほども知らないシーザーからすれば、犬にお座りを教えるように、名前に"好き"を教えてやる、と前向きに考えてしまえるので、言語の壁というのはかなり大きいだろう。

「いいか名前。おれァな、そりゃもう世界中が大金はたいてでも欲しがる頭脳の持ち主、大!天才!科学者様!なんだぞ?かけられてる金以上の働きをしてるし、これはそもそも経費だ。仕事なんだよ、わかるか?」

 必死に周りの男との違いをアピールするも相手が相手。馬の耳に念仏。さしずめロー辺りは名前の実態に勘づいていそうだが、恋は盲目だ。シーザーにはわかりやしない。呆れたローが退出したのだって気づいていないのだから。

「……聞いてンのかァ?」
「がーるず、しっぷ」
「ギクゥ!!てめっ、どこで知ったんだソレェ!!」

 名前はヒトの性欲だの承認欲求だのを、弱者が持つどうしようもないものとして認識しているため、シーザーが異性に囲まれ浮かれ、情けない顔を晒して金を散らしていたことも無様だなと見ていたのだ。そこに嫉妬は1ミリも存在しない。
 シーザーの方は自身の恋の芽生えに意識がなく、彼女を所有物とカテゴライズしておきながら、名前、つまりは好きな相手に失態を知られていた事実に目を忙しなく動かす。だが尤もらしい言い訳もできず、「あ」だの「う」だのと小さい動揺を零している。

「ますたー、かっこわるい」
「は、はァ!?まてまて、もう行ってねェよ!最近はずっとここに籠ってんだろ!?なァっ、おれはかっこいいんだぞ名前、名前っ?おい!こっち見ろ!」
「かっこいい、ちがう。なまえ、かっこいい、おぼえた。ろー、かっこいい」
「…………ちっくしょ〜〜〜!!あんのガキ!!ふざけんなおれの名前粧しやがって!ぶっ殺してくれる!!」

 それからのこと。シーザーは研究の度名前を呼んでは成功するとしきりに名を呼び、「これが"かっこいい"だ!」と胸を張って刷り込んではみているが、知能の高い名前からしたらこれほどくだらないことはない。相変わらずな様子で知らんぷりしていた。
 それにはシーザーも頭を抱えて唸る。なにしろ相手には、数式も実験も効かないのだから。

「ううう〜……どうすりゃいい……なんでだ、なんであんなローなんかに……!」
「……あ!もね!もねきた、けはい、する!ますたー、なまえ、もねのとこ、いく」
「ふざけんな!!お前はおれから離れるな!!」

 勢いだけを見れば罵りだろうが、中身は熱烈なプロポーズに聞こえなくもない。それに違和感を抱いた彼女は、至高の知能を惜しげもなく使い数式を立てた。これは恋と呼ばれているそれに違いない、と。
 名前はヒトの恋愛感情を実際に見ることが初めてだったので、珍しく興味を抱き、モネモネ言っていた口を閉じた。

「ん、なんだァ?」
「ますたー、なまえ、すき?」
「ばっ、はァ!?すっ、きじゃねェよ!!だれがおまえなんか好きになるか!バカ!」
「じゃあ、なまえも、ますたー、きらい」
「…………嫌いとは言ってねェぞ!」

 名前は知能が高いから機械のよう、という訳でもなく、同じ言語で話せるヒトがいないだけで、冗談だって大いに通じる。笑いのレベルが高すぎるきらいはあるが、ヒトをからかうのだって好きな部類なのだ。それ故にシーザーを揶揄する遊びを思いつくと、無知そうな声で己の飼い主を馬鹿にする。

「じゃあなまえも、どーでもいい」
「どーでもいいってなんだ!!おれはお前を飼ってやってんだぞ!!」
「なまえ、ひとり、へーき。ばいばい?」
「はぁ?はァ!?なんだバイバイって!!ふざけんな行かせるわけねェだろ!そもそもな、お前こっから出られんのか!?おれ様に勝てもしない雑魚は一生ここにいろ!!」

 ヒトがアリ相手に本気で戦わないのと同じように、名前もシーザー相手には熱くなれない。圧倒的な強者ゆえに、弱者はそれに気が付けなかった。だからこうして名前の体を全身ガスで拘束してしまう。
 しかし名前はこんな日もいつかは来るだろう、と今日のようなパターンの回避方法も計算済みであった。
 能力者の弱点を学び、密かに作っていた海楼石の指輪が飾られた指をシーザーの首に当てると、3mもの巨体はふにゃりと床につく。

「ふあ……?……あ?おい、なんだ、なんのまねだ……?ちからが……」
「ますたー、よわい、かわいそう」
「なまえ……?おめェがやったのか」
「なまえ、これで、ばいばい、できる」

 名前にとってもここは案外心地の良い家なので、本気でお暇するつもりはなく、ここでも揶揄目的でそう話すと、信じ込んだシーザーはタラりと冷や汗を垂らした。
 研究者に有るまじき慌てぶりで、思考が散らばり答えを出せない。ERROR!DANGER!WARNING!彼の頭中に広がる言葉は名前を危険だと看做すものばかり。だけどここで電源を切ってしまえば彼女は二度と帰ってこないだろう。
 シーザーは確実な負け試合に挑みに行くようなタマではないのに、なぜか震える声で女を引き止めた。

「あ……、くそっ、こんな……なんでおれが……!オイなまえ!」
「なに、もと、ますたー」
「ふざけんな!……えっと、そのぉ、あのよぉ……」
「おわかれの、あいさつ?」

 瞳があっちこっちにぐるぐる動いて、口なんかも窄めては、名前にまた面白いと思わせてしまうだけなのに、シーザーはそんな余裕もなく叫んだ。

「す、すすっ、すぅ……スキだッ!………………あ、ちが、……とでも言うと思ったかァ!このバカめェ!……シュッ、シュロロロロ!シュロ……」
「へたれ」
「う、うっせェ!戻って来い!!」
「うん、ますたー」

 名前の頭を持ってしても予測ができなかったこと。それは後にも先にも、シーザーがこの受け答えを婚姻と見なしたことだけだろう。

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