腐った街をいやに綺麗な女が歩く。周りの虫同然の住民たちは、下劣な単語を並べて気を引こうとするが、彼女には目的地となるあのホテル以外、なにも見えていなかった。
「名前!久しぶりっ、今日は泊まってくのっ?」
名前 の今日初めての会話相手は、大きな扉を開け出てきた地獄のお姫さま。
「久しぶり、相変わらずかわいいね。今日はエンジェルの迎えに来たんだけど」
チャーリーが身をズラして名前を歓迎すると、彼女も一歩、屋敷へ足を踏み入れる。本日の信頼関係を築くイベントとやらの内容を、左から右へ流しながら視線を潜らせるが、そこいるのはニフティとハスクくらいだった。すると途端に体に緊張感が走る。
「エンジェルに相談したいことがあって、それが時間までに終わるかわかんないの。参加できたら行くけど、いなかったら先にやっといてもらってていい?」
「え、ええ。大丈夫なの?なにか私に手伝えることがあれば……」
「じゃあー、後でよしよしして」
「わかったわ!」
このホテルで悪魔たちのあしらいが上手いのも、本来の問題を隠し通すのも、名前は別格にうまかった。言わせれば朝飯前。彼女はエンジェルが周りからどう思われたいかを熟知しているからこそ、敢えて自分に問題があるかのような振る舞いで、そそくさと彼の部屋へ向かう。その深刻そうな表情は、ハスクでさえ、紛い物だと疑念すら抱けなかった。
「えらく急いでたな」
「泣いちゃいそうな顔してた!」
「おいニフ追いかけるんじゃねぇ」
実際、彼女が急いでいることだけは演技ではない。なぜならひとつ、嫌な考えが彼女の頭をよぎったからである。そもそも今夜はエンジェルが名前の家に泊まりに行くという約束をしていたのが、時間通りに来ない、連絡もない、ホテルでも出迎えないの三拍子ときた。アレを吸って消耗しきっていると、言い切ったって良い。
「エンジェル、エンジェル」
当然反応がない扉の向こう。耳を当てると微かに呻き声がするのでやはり名前の予感は的中した。部屋に入ると心配そうにファットナゲッツが走ってくるのでそれを抱え、大丈夫だよと腹を撫でる。そのまま胎児みたく丸まった彼の傍に横たわり、名前を何度も呼んだ。
「あ、あ……うっ、やだぁ、さわるなッ」
「名前だよ、名前、わたし」
「う"っ、うっ、ぁ……なまえ、なまえ?なまえ、きたのっ?」
「きたよ、名前だけだよ。わたしとエンジェルだけ。こっちおいで」
「うっ、うんっ、なまえっ、くるし、おれ」
「大丈夫だよ、全部だいじょうぶ。ほら、お水飲めるかな」
グラスに辛うじて残る水をよこすと、震えた手で口に運ぼうとするエンジェル。しかし頭が混乱して、体を動かすことすら辛いのか、名前の胸の上でグラスは止まってしまう。
「おくちあけて」
「ん、ん、はあ……」
飲み干した水の少しが顎を伝うも彼はお構いなし。名前の胸に頭を押し付けて精一杯の深呼吸をする。
「なまえ、おれ、なまえきてくれて、よかった。でもこわい、まだっ……ふ、う……なまえのにおいする、わすれさせて、ぜんぶわすれたいからっ」
ふわふわの髪を撫でながら、名前はエンジェルを抱え直し額にキスをする。エンジェルの長い足はどれも彼女の体に絡まり、泣き腫らした顔は谷間で温もりに包まれている。この地獄では、どう考えても何かが始まりそうでしかないこの構図が、エンジェルダストにとってなによりの鎮静剤であった。お互いに性的な感情は1ミリもなく、名前は友人がバッドから抜け切る手伝いに、エンジェルは全てを忘れて名前に溺れることにただ専念する。
「ふーっ、はっ、はぁ……」
「よしよし、あっ、ちょっとおしりに爪突き刺さって痛いかも」
「ふふふ、はは」
「コラ!乳もげる!」
じゃれるくらいには効果が抜けてきた頃、エンジェルは名前のにおいを肺いっぱいに吸い込み、恥じらいながらも口を開いた。
「ありがと」
「いつでもどうぞ」
「……あー、まあ、毎回これだと申し訳ないけど……ほんとに、名前がいると、まだやれるって思えるんだ」
「うーん、頑張らないでほしいんだけどね。そーいえばプロジェクター持ってきたんだけど、今日はここで観ない?」
二人の穏やかな空気を心地よく感じたのか、ファットナゲッツが間に入る。3人でベッドの上で集まって横になるその空間に、誰もが心を軽くした。この愛の形を家族と呼ぶのか、友と呼ぶのか、それともまた別のなにかなのかはわからない。エンジェルはそんなのどうだっていい、と身を委ねながら、狂気的にグロテスクな映画をクリックした。