コンカフェ嬢は挫けない
最悪だ、マジで今回ばかりは姉貴がウザすぎる。今日は名前さんが朝から入ってる日だったから、メイクも髪も服も、客への態度だって全部完璧にしてやる予定だったのに、そんな日に限って姉貴の自由奔放ぶりが炸裂しやがった。
オレの衣装のヘッドドレスを「カワイーよな、それ。オレも欲しいなー」とか言って見てた横顔に嫌な予感はしたけど、よりによって今日、取っていかれるなんて。おかげで着けるもんがなんも無い状態だ。
「電話出ねぇじゃんもぉ……姉ちゃんさぁ……」
目頭が熱くなって天を仰ぐ。準備してる時もビューラーを「コレ借りんなー」って持ってかれたせいで、まつ毛だけあげられなかったし、遅刻ギリギリになったから途中寄って買うのもできなかったし、ここの女共はビューラー貸してくれるような優しい奴じゃねぇし。この状態で名前さんに会うとかやだ、やだやだやだ。
「そこいんの誰ー?ドア閉めてねー」
奥から名前さんの声が聞こえて、飛び出そうになった心臓を飲んだ息で塞き止めた。ブスって思われたらどうしよう。今だって、ドアも閉めずに外で電話かけて、非常識って思われたかもしんねぇ。名前さん非常識な奴絶対嫌いじゃん。羽宮の真似じゃないけど、さすがに病んできたからもう出勤しなくてよくねーか。
「あれ、竜胆じゃん、どした」
「……はざす」
「おはよう、なんかあった?」
オレがバイトだから気にかけてくれてるだけなのに、そんな素振りを見せない彼女に鼓動が高鳴る。そのまま顔を覗いてくるもんだから、一瞬だけ視線を合わせてみたけど、心臓がキュンキュンうるさくってすぐ目を逸らした。
名前さんはため息が出るくらい綺麗な人で、今のオレと違ってまつ毛もガンガンに上がってて、この人の特別になれたらな、って切願しては、そうじゃない現実に落胆する。
「すんません……オレのヘッドドレスを姉貴が持ってったらしくて、今日他に衣装と合うのないからどうしようって……」
「蘭が?そっかぁ…………あ、ちょっと待って、いいのあるかも」
閃いたような表情をしたかと思うと、名前さんは「もう出勤のとこ押しといていいからー!」と遠ざかりながら告げて、控え室の方へと遠ざかって行ってしまった。
キャストと客がいる場所から、壁一枚隔てられた裏でタッチパネルを操作する。今日も結構人が入ってるみたいで、向こう側からは「しゅきしゅきビームー!」「きゃぁぁあ!春ちゃん!」なんて声が聞こえてきた。アイツ今日入ってんのかよ。
気を重くしながら出勤、という文字に指を滑らせると、ひと仕事終えてきた三途がオレに気づいて口を開いた。
「オマエギリギリに来んのやめてくんね?着替えてねぇしよ」
「うっせーな、名前さんが先に入っとけつったんだよ」
視界に入ったピンクフリルをこれでもかと睨む。表で出すロリ声が嘘みたいに、ドスのきいた声で咎めてくるこの三途を、ファンの奴らに見せびらかしてやりたい。
でもコイツもまつ毛バサバサなんだよな、ウッゼ〜。オレがジロジロ見まくってたからか珍しく怪訝な顔してるし。
鼻で笑ってから自分の行動を振り返ると、さっきからオレは、人のまつ毛ばっかり見てる気がする。客の前に出てもまつ毛にしか目がいかないかもしんねぇ。姉ちゃんマジで許せない。
怒りを再熱させている間も三途はいなくならず、人を小馬鹿にしたような笑みで何か言いたげにこっちを見ていて、ここに監視カメラがなければタイマンを張れたのにと可愛くねぇことを考えた。
「なに」
「いやァ?名前さんに呆れられたんだろうなってな。お疲れさん」
「は、うざ……マジでキモいオマエ」
「ショック受けんなよぉ、元々好かれてもねぇだろテメェは。姉よりいくらかマシにしてもなァ!ハハハ!」
口の傷跡を十字架にしてやろうかと構えたところで、愛しの彼女の声が聞こえて我に返った。名前さんは嫌いな奴をこんな優しい声で呼ばねーだろ、ざまぁ、なんて煽ろうとした時にはアイツは消えていて、すっかり負けた気分のオレは奥歯を噛み締めることしかできなかった。
気を取り直して控え室へと踵を返す。
踏み慣れた廊下は少しタバコくさくて口元が緩んだ。頬を撫でるミントの風が彼女の指先に思えてきて、深呼吸すらままならなかったさっきまでの自分が嘘のように、心穏やかな気持ちになる。名前さんのタバコは実は魔法の杖で、彼女はヒール能力を培った魔女なんじゃないかと思う。
「名前さーん、控え室?」
声をかけると中から「いいのあったから着替えてきておいでー」と返され、颯爽として更衣室へ駆けた。家を出た時とは打って変わって高揚した気分で、パニエの重なったスカートを履いていく。
全身鏡を見ながら、名前さんオレのこと可愛いって言ってくれっかなぁ、とメイド服のエプロンをパンパン叩くと、叩いた分だけ期待が膨らんでいった。
「おかえりー。……ほら見てよこれ」
「……うわ、すげぇ、こんなのあったんだ」
彼女がオレに差し出してきた手の上には、鈴のついた黒い猫耳のヘッドドレスがあった。クッソ可愛いんだけど何これ。この色なら今着てるのと色合うし、なにより掘り出しモン見つけてやったぜ、みたいな顔した名前さんが超絶カワイくて血が沸騰してきた。もう退勤して名前さんの横にピッタリくっついてようかな。
「髪はどうする?耳かける?」
「あー……えと、どっちの方がカワイイっすか……!」
そう聞いてから、勢い余って仕掛けちまった恥ずかしさに逃げ出したくなったけど、ガチで意識してるのがバレるのもダメだから、なんでもない顔でやり過ごすしかなくなった。
ロクに学校も行ってないくせ一丁前に恋愛を楽しんでるオレに、名前さんは気づいてるのか気づいてないのか、笑いながら悩み始めて、手を伸ばしてくる。
「あっ……」
「あ、ごめんね、どっちも見ようかなって」
無抵抗なオレの髪を片側だけ耳にかけたかと思うと、頭には猫耳まで。名前さんが真剣に吟味してくれている間も、オレは頬を掠った熱の正体に意識を囚われ、プールの中に飛び込みたい気持ちでいた。
その間も名前さんが容赦なく視線を浴びせてくるせいで前を向けない。目が合ったら好きが限界突破して、ヤバいことになるのを本能で理解し、必死にフリルのシワを数える。
「これも可愛いけど、んー、両方かけてみる?」
「はいっ」
汗でべちょべちょの手に目線を落としながら、裏返った声で返事をする。
てっきり全部名前さんがやってくれると思っていたオレは、ずっと肩を上げた状態で身構えていて、頭上から降ってくる笑い声で初めて、普通自分でやるだろ!と気づいて己をボコりたくなった。
「すっすいませ……っ」
「おもしろいからいーよ。……あー、これも可愛いなぁ。竜胆は輪郭キレイだから全部出しちゃってても全然いいんだよなぁ」
「はっ、へへ……」
独り言なのかオレに言ってるのかわからなくて、嬉しさと恥ずかしさに変な笑いが喉から出る。
こんな、遅刻寸前でまつ毛も上がってなくて、ヘアセットも全部やらせちゃうようなオレのこと、名前さんが可愛いって。キャストに自信を持たせる為かもだけど、オレは舞い上がって、もうこれ両想いじゃねなんてしょーもない妄想までして、ずっと夢見心地のまんまでいる。
「いやー、髪の毛かけてないのも王道可愛いだしなぁ、どうしよっか」
「……なら、名前さんがいちばん、すきなので……」
オレはどう足掻いたって衝動的に生きてしまう女のようで、こんなん聞いたら迷惑、ってことがわかってても、自分の気持ちを優先して口を動かしがちだ。 ごめんなさいなんて思うのも本当は建前で、心の奥底には、早く可愛いって言って、なんて欲望がぎゅうぎゅうに詰まっている。
「うーん、あ、お客さんに聞くのもいいんじゃない?それ着けずに持ってっても大丈夫だからさ」
「あ、え……や、やです」
願った答えを裏切って、名前さんはオレに死ねと同義の言葉を吐き捨てる。そりゃあ名前さんからしたら、親切心で言ってるのもわかるけど。胸が張り裂けそうって最初に言い表した奴は天才だと、これほど身をもって思ったことはない。涙腺が緩んでいくのだって止められないままで、猫耳を持ちながら俯いて、一言も喋らなくなったオレに、名前さんは何を思うんだろう。
「ごめん、やだったね」
「…………はい……っ」
「私に決めてほしかった?」
「……ぐすっ、そ、です……」
「全部似合うから決められなかったの、ごめんね。何したって可愛いんだもん、迷っちゃった」
客観的に見たら、ただ面倒くさいキャストを宥めてるだけの店長なのに。自分の体から引き摺り出て真上から見てみたって、ただの仕事でしかないなってわかるのに。オレを見つめる瞳が甘ったるくて、ドロドロに甘やかしてくれるかもって、期待が過剰に募って勘違いしそうだ。
「ごめんなさい……」
「泣かないで、ごめんね。今日は3時から出よっか?それまでここでお喋りしてよう。賄い作るよ」
提案された事にどれひとつ不満はないけど、1番欲しい言葉は貰える気配がない。いつもなら我慢できるものも、メンタルが不安定の今はブレーキが外れて意味を成さない。
「……うっ、はぁ……すいませ……っ」
「大丈夫だから、ほら、ここの席座って?」
お菓子を買ってもらえないガキみたいだ、こんなの。名前さんの困惑した顔も相まって、自分がどうしようもない子どものようだと感じる。だけど「気にしないで、一虎はいつもこうだから」なんていう地雷発言で理性は一気にぶち飛んで、指定された椅子を超え名前さんの膝の上に突撃した。
「なんであいつの……っ!」
「竜胆、ごめん、まって、ごめんね?」
「やだぁ……ッ、あいつ……はねみやも、あねきも、さんずもうぜ、し……っ!」
「そっか、そうだよね、辛かったね」
「なんもわかってねぇくせにぃ……!」
最早号泣。スカートがめくれるのも無視して生足を名前さんの腰に巻き付け、絶対離さないと首にも抱きつく。廊下より、控え室より、名前さんにくっついて嗅ぐこの匂いが1番濃いんだと知ってしまって、頭がふわふわなまま飛んでいきそうになった。
「しっとさせんなよっ……、かわいいも、もっといって……!」
「ごめんね、いつも可愛いと思ってるよ。お仕事もちゃんとしてくれてありがとう」
カチャカチャ喚くメガネを外されて、優しい手つきで涙を拭われる。こんなんになるなら、最初からまつ毛なんか上げなくて正解だったんだ。
「三途が、なまえさん、おれのこと呆れたんだって」
「言ったの?」
「ン……」
「そんなわけないでしょ、呆れてたらこの体勢もすぐ退かしてるって」
「……ねーちゃんが、なまえさんとチューしたって、じまんしてきたのも、うそ?」
一瞬固まったのを見逃さなかったオレは、その後続くはずだった「そんなわけないでしょ」を飲み込んで、涙とリップの味に邪魔されながら何度も名前さんの唇に噛み付いた。
「ん、んっ……うっ、すき……なまえさん好き……っ」
名前さんの諦めが早いのは、多分オレが暴走して何しでかすかわかったもんじゃないからだ。警戒されてるのは悲しいけど、キスし放題の状態はこれきりになりそうだし、何より都合がいい。名前さんの顎に付いたグロスは、今日オレがつけてきた暖色系のラメが入ってるやつで、この人は一時的にだとしたってオレのもんだと、満ちる独占欲にクラクラした。征服感に脳が痺れて、止まらなきゃ、なんて思う良心も、いつの間にかどこかへ消えてった。
「なまえさんっ♡はふ、んッ♡すきぃッ♡♡もっとしよ♡ん、んっ!」
「……こら、悪い子」
「あっ、あ……なんで、やだもっと……」
「これ以上は許してあげない」
「なんで、なんでぇ……っ」
蹂躙したつもりでいたオレを見上げる彼女の目が、調子に乗るなと冷たく諭していることに気がついて、オレはただ名前さんに許されていただけなんだと身の程を知った。今以上に溶け合いたいと捨て身で抱きつけば、尻を叩かれた。
「ダメでしょ?」
「ごっ、ごめ、ごめんなさいっ、きらい?きらいになった?」
「ならないけどね、他の子にバレたらどうするの?お仕事辞めてもらうようになっちゃうよ?」
「やだ、やだごめんなさい、オレっ、ごめんなさい……!いやですっ」
「……頑張りすぎて疲れちゃっただけだよね、気づいてあげられなくてごめんね」
視界に名前さん以外のものを捕え始めた頃には大分冷静になり、オレが一瞬の爆発で何をやってしまったかも明確に思い出せるようになって。これまで我慢してきた優等生としての立場も失い、ただこの後されるであろう処罰に血の気が引いていく。絶対嫌われた、解雇されるのもそう遠くないはず、もう二度と会えなくなるかもしれない。
吐き気すらする今後の対処に、どうにか回避しないと、と立ち上がって、頭を下げる。
「ほっ、ほんとうにっ」
「竜胆」
「……はい……っ」
「賄いなに食べたい?」
「えっ」
「もう、髪がボサボサ。お客さんの前に出るまでには直してね」
何が起きているのかさっぱりなまま、力のない返事をする。名前さんは、今さっきの出来事をなかったことにするつもりなのか、ブラウスから金と水色をサッと払って部屋を後にした。