最後の最後

「こらー、悠仁!また喧嘩しただろ!いい加減にしろ」
「げっ、衣織先生。」

私の姿を見るや否や、脱兎の如く廊下を駆け抜ける。
週に2、3度は繰り広げるであろう我がクラスの問題児虎杖悠仁との鬼ごっこは、彼がよく喧嘩をするようになってから、始まったものだ。

体格がよく筋肉質に見える彼のバネによって、毎回闘争を許すのだ。と言っても、本気で捕まえるかなんてさらさらないし、捕まるとも思っていない。

それは悠仁も分かっているようで、休み時間の呼び出しには必ず職員室に顔を出しに来る。


「全くまた怪我してるじゃないか」

右頬と腕のかすり傷、腰の打撲。腰に関しては、恐らく蹴りを入れられたのだろう。

いつものことじゃん、なんて言いたげな表情を浮かべる悠仁は、くるくる回る回転椅子に座りだまってこっちに顔を差し出している。

「少しは自重しなさい」
「はーい」

根明の彼が、どうしてそんなにも誰かの顰蹙を買いケンカまでに至るのか、どう調べても喧嘩の相手も誰のせいでこうなっているのかも、理由もなく全く出てこない。

「悠仁」
「はいっ!」

わざとらしくぴしっと背筋を伸ばした悠仁の頭にポンと手を乗せる。

「いいか、よく聞け。
あなたは喧嘩は強いだろうし、誰にも負けないだろう。でもね、怪我した時くらい手当てさせてくれ。
心配すんなって言いにこい。
分かった?」
「う、うん…いや、はい。」

少しだけ驚いた表情を浮かべた悠仁の頭をぐりぐりと撫で回す。

「ちょ、先生やめろって」

照れ臭そうに笑う悠仁に、ほっと胸を撫で下ろす。今日も大丈夫だと。

私は教師で、あなたの家族じゃないから、できることが、踏み入ることのできる区域が限られているから、なかなか君のことをうまく心配できないんだ。
だから、せめてここまできて心配すんなと言って欲しい、怪我をしたら手当てしてと、ここにきて欲しい。

残念ながらわたしには、それくらいしかできないから。

その後虎杖悠仁は、無事にここ西中を卒業した。
西中の虎、なんて他校生徒から恐れられた我がクラスの問題児は、ようやく義務教育を終えて晴れて高校生になる。

式の後、友人達の中心で、笑う彼に今までの3年間がフラッシュバックし、涙が出そうになる。
本当に、色々あった。それの一つ一つが、決して簡単な問題ではなかったけれど、彼は今日こうしてこの校舎をさっていく。


そんな光景を少し離れたところから見つめていると、ふとわたしに気づいた悠仁と目が合う。
ニコリと微笑むと、彼は友人に何かを伝えると、小走りでこちらに近づいてきた。


「衣織先生」
「卒業おめでとう」
どこか誇らしげに微笑む彼の姿を見ると、やはり涙が出そうになる。

「先生、3年間ありがとな!俺、先生がいたから学校来れたんだ。」
「君の役に立てていたようで、よかったよ。また、喧嘩したらここにおいで。私はここにいるから。」
「うん、ありがとう先生。」


最後の最後に、にっこりと微笑んだ悠仁は、再び友人達の輪の中に戻っていった。

いつのまにか成長したその姿に、子供の成長を喜ぶ親の気持ちが、少しだけ分かったような気がした。



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