誘惑
「何で?何で硝子がくるの!?」
「知らねーよ、学長からの命令だ」
私だって来たくて来たわけじゃねぇよ。といいたげに、足を組んでコーヒーを啜るのは学生時代の我が同期の1人。仕事帰りのついでに寄ったというその同期は、学生時代一番仲の良かった友人だ。
“今仙台駅の裏のカフェにいる。”
珍しく硝子からメッセージが届き、出張の合間に顔を見せにきてくれたのかと、嬉しくなって意気揚々とそのカフェに行くと、ガラスの向こうでニヤリと微笑む硝子が目に入った。
懐かしいその顔は、最後にあった時よりずっと大人びていて、時と流れを感じた。
「おまたせ」
「呼び立てて悪かったな」
硝子と同じものを注文し久しぶりの友人の姿に、つい口元が緩む。
「元気そうで何よりだよ」
「衣織もな。」
なんて久しぶりの再会を味わうのも束の間、どこか困ったような表情を浮かべた硝子は、コーヒーを一口飲むと、どこか気まずそうに話し出す。
「最近夜蛾学長と話したか?」
「…どうして?」
「その反応を見ると心当たりがあるんだな。」
その言葉を聞いた瞬間、変な冷や汗とここにきたことを後悔せずにはいられなかった。
そして、先日の職場での電話を思い出す。
まさかと思ったが、まさかあの野郎よりによって硝子を送り込んでくるとは!どういう神経してやがる。
あのサングラス、早速奥の手を使ってきやがった。
こちとら久しぶりの再会で、楽しい気分が台無しだ。
仙台駅の裏にあるお洒落なカフェのテラス席で、コーヒーを並べ、本当はもう少し楽しい会話をしたかった。
テーブルに肘をつきながら、目線だけをこちらに向けた硝子は、決心したようにフッと息を吐き出す。
「期限は1ヶ月。」
「は?」
「1ヶ月の猶予後、返事をしろ、だと。
ま、あの人は否が応でもお前を引っ張るつもりだよ。」
「え、マジ?何で!?」
「虎杖悠仁の件で、なんらかの変化があったんだろ。」
「じゃ何!?私が、余計なこと言ったってこと?」
「余計なことって…お前何を言った」
「…残穢が残ってた、とは言ったような気がする」
ボソボソとそういうと、はっと硝子は鼻で笑った。
「自業自得だな。」
「硝子ー、先生のこと説得してよ。あいつは来ないから諦めろって。」
「無理だ、めんどくせー。」
冷たすぎる同期の言葉に、またもやため息しか出なかった。
最悪だ、最悪の日だ。せっかく硝子がいるのに、楽しい気持ちにならない事があるなんて。
「そういや言伝を預かってきた。
いい返事をもらえなかったら、今度はもう1人の同期を投入する、だと。おそらくお前の行方が未だ分からないクソ野郎だろうな。」
「…もうそれ脅しだよ、これって詰んでるじゃん。
ねぇ、硝子。なんとかしてよ。」
「まっ、せいぜい悪あがきしろよ。」
そう言ってニヒルな笑みを浮かべた硝子は、「今日は悪かったね、騙すようなことして」「東京で会おう」なんて珍しく冗談に言うと颯爽と東京に帰って行った。