絶体絶命

二重三重に張り巡らされた罠に、一つずつ着実にはまっていくうちに、抜け出すことのできない迷宮に迷い込んだ私は、1ヶ月の悪あがきの末、東京へ引っ越す事が決定した。

大学受験をして、せっかく頑張って教員免許取ったのに。採用試験も頑張ったのに、なんでこんなことに。


電車とバスを乗り継ぎ、東京とは思えない僻地にようやく着いた。母校を見てやっぱりため息が出る。もう一生関わらないと決めていたのに、こんなに早くこの光景を拝むことになろうとは思はなんだ。

貴重品の入ったバックを肩にかけ、ダラダラと果てしない山を登っていく。
昔と変わらない光景に、時間が経つ遅さを実感した。

山のちょうど中腹にある建物。瓦屋根の一見してお寺の本堂にも見えるその場所は、呪術界を離れる前に夜蛾先生と話をした場所だった。

また、ここに戻ってきてしまった。

「よくきたな、衣織」
「お久しぶりですね、先生」

相変わらず可愛らしい人形に囲まれ、今もまさに毛玉を突いている我が恩師。この光景に驚くこともとうの昔にやめた。

「よくもやってくれましたね。」
「さぁ、何のことだ」

この野郎…。

「お前には、以前話した通りまずは、補助監督として任務についてもらう。その後、学生の補助で任務をこなし、独り立ちだ。」
「ええ、分かっています。」
「仕事内容に関しては、伊地知に話してある奴の指示を仰げ。」
「わかりました。」

ツンツンツンツンと、毛玉に針をぶっ刺捨てを止めない先生は、相変わらずと言っていいのか。

「今日はゆっくりしろ。明日から本格的に仕事をこなしてもらう。」
せいぜい挨拶回りでもしておけ。

その言葉に返事をしないまま、先生に小さく頭を下げ、そのまま以前送られてきた書類に入っていた地図を見ながら宿舎を目指す。
学生の時とは別の場所らしい。職員専用のものなのだろうか。


他の荷物たちは、既に寮内に運び込まれているはずだ。
高専内に出入りできる業者に限りがあるため、荷上げは高専側にお願いして立ち会ってもらった。
おそらく広くもない部屋に、段ボールが積み重なっていることだろう。

はぁ。

なんて、ため息をつきながら、トボトボ歩いていると、突然スマホが鳴った。
画面には硝子の文字。

「もしもし?」
『衣織、医務室集合』
「は?」
『とりあえず来い、荷解きは手伝ってやる。』

たった二言でブツリと消えた通話に、ぽかんとしたままスマホをポケットにしまうと、おそらく同じ場所にあるであろう、硝子の仕事場を目指し歩き出した。



「しょーこー、来たよー。」

変わらない古臭い廊下を抜け、接触の悪い扉を開けると、プカプカとタバコをふかした硝子は、無表情でヒラヒラと手を振っている。

「よー、衣織、あの日ぶりだな。」


机に灰皿には吸い殻の山、室内は煙が充満し吐きそうになる。久しぶりの友人を無視し、そのまま窓に直行すると、デスクの前に広がる窓を全て全開にした。


「タバコ臭。
やめろとは言わないけど、せめて窓くらい開けなよ」

そう言いながら、皮のソファに腰を下ろした。

「硝子喉乾いた。」
「冷蔵庫のもの勝手に飲め。」
「ありがとー」

部屋の端にあった小さい冷蔵庫の中からお茶を取り出し、適当なコップに注ぐとシンクに寄りかかって一気飲みした。
たくさん歩いた割に、一切水分を取っていなかった。どおりで喉が乾くわけだ。

もう一杯飲もうとグラスにお茶を注ぎ、口をつけた瞬間、えらい速さでドアが開いた。
ガシャンと窓が、いや扉が枠から外れるんじゃないかってくらいの勢いで、思わずビクッとして口からグラスを離した。

シンと静まる室内に姿を表したのは、目隠しをした少し猫背のもう一人の同期だった。

「早かったな、悟。」
「お前があんな連絡よこすからでしょうよ。」

どこか機嫌が悪そうに話す男と終始楽しそうに笑う女、そしてそれを眺めながら密かにお茶を飲む私。


何か任務上問題が起こったのだろうか。
どこか緊迫した空気を醸し出す2人を眺めながら、そーっと結界を解いた。

今にも言い争うがはじまりそうな光景を、ぼんやりと眺めていると、なぜか硝子がこちらに目配せをしたのが分かった。
そして、イラついたようにその目配せに応え、こちらを見た同期が固まったのが分かった。
そして、グラスを持ったまま私も固まることにした。


衣織。口ががそう動いたような気がした。声は聞こえなかったけど、そんな気がした。

「よっ」

この空気を打破すべく、勇気を持ってあえて明るい声で、ニコリと笑顔を浮かべて、頑張って手をヒラヒラ振ったのに、「あ?」と思ってもみない低い声で返事が返ってきた。

え、待って。
怒ってない?この人、ものすごく怒ってるよね。
え、何で。ちょ硝子助けて。

なんて今まで硝子が座っていた椅子を、ちらりと見るとそこはすでにもぬけの殻で、ゆっくりと椅子が揺れていた。


どうやら私は、いつの間にかこいつと共にこの部屋に取り残されていたようだ。

え、まって。
これって絶体絶命のピンチ??

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