年表

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新選組詳細年表

年号 日付 出来事 西暦 日付

元治元年 2月20日 ※改元 3月27日
6月 5日 早朝、武田観柳斎らが四条西木屋町真町の桝屋喜右衛門を捕縛
土方の拷問により尊攘派古高俊太郎と判明し、池田屋騒動勃発 7月 8日
7月18日 蛤御門の戦い勃発し、九条河原に出陣する 8月19日
21日 新選組、山崎天王山に進攻
真木和泉ら17人自決 22日
22日 安藤早太郎と新田革左衛門、池田屋騒動の傷により死没 23日
8月 4日 池田屋騒動の恩賞が幕府より下賜 9月 4日
9月 5日 近藤勇・永倉新八・尾形俊太郎・武田観柳斎が武家伝奏坊城俊克の
身辺警護として江戸へ向けて出発 10月5日
6日 葛山武八郎、切腹 6日
9日 近藤勇・永倉新八・尾形俊太郎・武田観柳斎が武家伝奏坊城俊克の
身辺警護として江戸へ到着
先着の藤堂平助が伊東甲子太郎を新選組へ勧誘
隊士を募って、篠原泰之進・大石鍬次郎・近藤芳助らの加盟を得る 9日
10月15日 近藤勇、伊東甲子太郎ら新入隊士を伴って江戸出立
藤堂平助は江戸に残留 11月14日
11月17日 蛤御門の戦功により幕府より賞を賜る 12月15日
元治2年 1月 8日 大阪駐屯の谷万太郎・谷三十郎・正木直太郎・高野十郎ら、石蔵屋
を襲撃 1865年 2月 3日
27日 大阪の堂島中二丁目天満屋半兵衛支配の借家を襲い23人捕縛 22日
2月23日 山南敬介、脱走の罪により切腹(沖田総司が介錯する) 3月20日
3月 4日 大谷良輔、切腹 30日
10日 新選組、壬生の前川邸から西本願寺へ屯所を移す 4月 5日
慶応元年 4月 7日 ※改元 5月 1日
4月27日 隊士募集のため江戸下りしていた土方歳三・伊東甲子太郎・斉藤一
藤堂平助ら新入隊士53人を従えて江戸を出立 21日
5月12日 藤井藍田、大阪万福寺の獄で死去 7月 4日
22日 将軍家茂の入洛にあたり、三条蹴上に新選組が出迎え、二条城まで
警護する 14日
25日 将軍家茂の下坂に伴い、伏見街道藤ノ森まで警護する 17日
8月 8日 武田観柳斎ら、金品強奪の薩摩浪士捕縛のため蹴上へ出動 9月27日
9月 1日 松原忠司、切腹 10月20日
11月 4日 長州訊問使永井主水正尚志に随行して、近藤勇・伊東甲子太郎・
武田観柳斎・山崎烝・吉村貫一郎ら広島へ出立 12月21日
16日 永井主水正・近藤勇ら広島到着 1866年 1月 2日
12月12日 桜井勇之進没す 28日
16日 広島出張中の永井主水正帰路につくも、近藤勇ら新選組の面々は残
留し岩国方面を視察 2月 1日
慶応2年 1月21日 薩長同盟成立 3月 7日
24日 小笠原壱岐守長行・永井主水正らの広島出張に随行して、近藤勇の
出張が命ぜられる 10日
28日 近藤勇・伊東甲子太郎・尾形俊太郎・篠原泰之進、小笠原壱岐守ら
に先立って出立
山崎烝と吉村貫一郎は探索方として出立 14日
2月 3日 近藤勇ら広島入り 19日
5日 大石鍬次郎、芸州浪人を斬殺
大石の実弟造酒造、祇園石段下にて隊士今井裕次郎に殺害される 21日
12日 勘定方河合耆三郎、会計の不足で斬罪 28日
15日 探索方佐藤安次郎、隠密裏に広島入り 31日
18日 小川信太郎、切腹 4月 3日
3月27日 広島出張中の伊東甲子太郎と篠原泰之進が帰京 5月11日
4月 1日 谷三十郎、祇園石段下で殺害される 15日
7月20日  十四代将軍家茂、逝去 8月29日
8月29日 土佐中井庄五郎ら三条の政札を鴨川に投げ込む 10月 7日
9月12日 新選組、政札投棄の警備配す
土佐藩士8人政札を手にかけて乱闘
土佐藤崎吉五郎を斬殺、宮川助五郎を捕縛 20日
13日 安藤鎌次は重症を負って自刃 21日
14日 見廻組大沢源次郎謀叛を図り、一橋家巨渋沢栄一に従い、土方歳三
らが捕縛に向かう 22日
15日 伊東甲子太郎・篠原泰之進、名古屋へ出張 23日
19日 伊東甲子太郎・篠原泰之進、名古屋に到着
土佐藩三条政札の一件の和解を乞い、近藤勇・土方歳三・吉村貫一
郎・鈴木三樹三郎を招いて手を打つ 27日
25日 伊東甲子太郎・篠原泰之進、名古屋から戻る 11月 2日
10月 7日 市橋鍋吉、没す 13日
12月 5日 一橋慶喜、十五代将軍となる 1867年 1月10日
15日 朝彦親王、中村左馬を遣いとして、新選組へ銀20枚下賜 20日
25日 孝明天皇崩御 30日
慶応3年 1月 1日 伊東甲子太郎・永倉新八・斉藤一ら島原の角屋で酒宴 2月 5日
4日 伊東甲子太郎・永倉新八・斉藤一ら帰営、謹慎を申し渡される 8日
7日 沖田総司・永倉新八・斉藤一ら、四条大橋で土佐の中井庄五郎・片
岡源馬らと斬り合い 11日
9日 明治天皇即位 13日
10日 田内知、士道不覚悟により切腹 14日
18日 伊東甲子太郎・新井忠雄、九州遊説の旅に出る 22日
2月 2日 伊東甲子太郎、太宰府で中岡慎太郎に会す 3月 7日
4日 伊東甲子太郎、真木外記に面談し新選組分離を語る 9日
3月10日 伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎・篠原泰之進ら山陵奉行戸田大和守忠
至に属して御陵衛士を拝命する 4月14日
12日 伊東甲子太郎・新井忠雄、九州から戻る 16日
20日 伊東・鈴木・篠原・加納・新井・毛内・阿部・藤堂・富山・橋本・内海・
中西・佐原・清原・江田・斉藤一の1十六士、新選組屯所を出て、三条
の城安寺に移る 24日
21日 伊東甲子太郎ら御陵衛士、城安寺を出て五条の善立寺へ宿舎を移す 25日
4月14日 田中寅三、脱走 5月17日
15日 田中寅三、寺町本満寺に潜伏中を発見されて捕らえられ、屯所にて
切腹 18日
29日 矢口健一郎、没 6月 1日
5月11日 新井忠雄、太宰府に至り真木外記に会し、新選組分離を報ずる 13日
25日 富山弥兵衛、曲瀬道策を殺害 27日
6月 8日 伊東ら御陵衛士、善立寺から東山月真院へ移る 7月 9日
10日 近藤勇・土方歳三ら新選組105名、幕府召し抱えとなる 11日
12日 茨木司・佐野七五三之助ら10人、局を脱して月真院に至り、伊東
甲子太郎ら御陵衛士への糾合を願うが拒絶される 13日
13日 茨木司ら、京都守護職へ新選組離隊の嘆願書を提出
近藤勇・土方歳三、守護屋敷へ赴き、説諭するも説を曲げず、離隊
を弁ず 14日
14日 近藤勇、前日につづいて説諭するが功を奏さず、茨木司・佐野七五
三之助・中村五郎・富川十郎の4人を殺害
他の6人を追放処分とする 15日
22日 新選組離隊の武田観柳斎、竹田街道道銭取橋で殺害される
この日、親藩会議に出席した近藤勇は、親藩の建白書を批評する 23日
24日 土方歳三・山崎烝・尾形俊太郎・吉村貫一郎の4人、柳原前光・正
親町三条実愛の両卿を訪ね、近藤勇の親藩批評の建白書を奉じ、
その支持を願うとともに、公武合体の陳情をする 25日
27日 武田観柳斎と同調の僧善応、醒ヶ井松原下ルで殺害される 28日
7月27日 伊東甲子太郎、柳馬場の中岡慎太郎を訪ねる 8月26日
8月 8日 伊東・斉藤・藤堂・鈴木の4人、老中板倉伊賀守勝静へ建白書を奉
じる
この日、伊東甲子太郎と新井忠雄は、再度九州遊説の旅に出る 9月 5日
8月14日 十五代将軍慶喜側近の原市之進忠成が、鈴木豊次郎・依田雄太郎
らに殺害される 11日
18日 陸援隊隊長横山勘蔵こと中岡慎太郎、東山の月真院を訪ねる
御陵衛士橋本皆助、陸援隊へ加盟し名を水野八郎と改める 15日
21日 伊東甲子太郎・新井忠雄、太宰府に入る 18日
9月13日 朝彦親王、会津藩秋月悌次郎を招き、十五代将軍慶喜の側近原市之
進の後任として、近藤勇の登用を提言する 10月10日
20日 近藤勇、永井主水正の紹介で土佐の後藤象二郎に会し、再見を約す 17日
10月 1日 後藤象二郎、近藤勇との再開を果たせず
大政奉還の建白で多忙との詫状が近藤勇に届く 27日
7日 白川の土佐陸援隊に潜入していた新選組の密偵村山謙吉が、
  『10月15日、二条城には薩摩兵、所司代に陸援隊と十津川郷士
   、新選組屯所には他の浪士達が襲撃』
という武力蜂起の諜報をもたらす
この一報を即座に、京都守護職へ報ず 11月 2日
9日 近藤勇、松平肥後守容保から板倉勝静と永井主水正の身辺警護の
厳命を受ける 4日
10日 坂本竜馬、永井主水正を訪ね、大政奉還建白書の採諾を論ずる 5日
13日 将軍慶喜、二条城に40藩の代表を招き、大政奉還の決意を告ぐ
この日、中山忠能・正親町三条実愛・中御門経之の名の下、薩摩に
倒幕の密勅が下賜される 8日
14日 将軍慶喜、武家伝奏を通して大政奉還を奏上
長州に倒幕の密勅が下賜される 9日
15日 朝廷、幕府の大政奉還を許可 10日
21日 土方歳三ら、池田七三郎・井上泰助ら新入隊士を引率して江戸出立 16日
11月 9日 後藤大介ら、伏見奉行与力横田内蔵允を殺害 12月4日
10日 御陵衛士斉藤一、月真院を脱し、山口二郎と名を改める 5日
15日 河原町通りの近江屋で、坂本竜馬・中岡慎太郎・竜馬の僕藤吉の3
人が暴漢に襲われる
坂本竜馬は即死、中岡慎太郎と藤吉は重傷 10日
16日 新選組の密偵村山謙吉、土佐藩に捕らわれる
重傷だった藤吉、没す 11日
17日 村山謙吉、土佐の在京参政神山左太衛や陸援隊水野八郎らの拷問の
後、処刑される
重傷だった中岡慎太郎、没す 12日
18日 山口二郎、紀州三浦休太郎の許から新選組に戻る
伊東甲子太郎、油小路木津屋橋で大石鍬二郎らに要撃され本光寺門
前で斬られる
その亡骸を引き取りに出向いた、伊東甲子太郎の実弟鈴木三樹三郎
ら、新選組の要撃を受け、藤堂平助・服部武雄・毛内有之進が斬殺さ
れる 13日
19日 会津藩より伊東甲子太郎ら、4人の葬料として20両下る 14日
22日 油小路の戦いで血路を開いた鈴木三樹三郎・篠原泰之進、薩摩の大
久保市蔵らに新選組の暴挙を語る
伊東・藤堂・服部・毛内の亡骸を四条大宮の光縁寺に埋葬
近藤勇、永井主水正に呼び出され、坂本竜馬・中岡慎太郎らの近江
屋事件について糾問される 17日
12月 7日 土佐海援隊の陸奥陽之助・岩村精一郎ら16人、油小路花屋町の天
満屋に投宿する紀州藩三浦休太郎を襲撃
三浦を警護する新選組と乱闘 1868年 1月 1日
9日 王政復古の大号令が発せられる
この日、京都守護職ならびに京都所司代廃止
新選組は新遊撃隊へ編入 3日
12日 新選組、二条城に詰めるが水戸藩本圀寺組と争いを起こす
新遊撃隊の名を返上、旧名通り『新選組』を称す 6日
13日 天満屋騒動で討死した宮川信吉に対し、紀州藩より弔慰金42両を
賜る 7日
14日 新選組、永井主水正に従って下坂
北野天満宮に着陣 8日
16日 新選組、伏見鎮撫として伏見奉行所へ転じ、小林啓之助を薩摩の間
者として殺害 10日
18日 御陵衛士阿部十郎・佐原太郎・内海二郎の3人、近藤勇の妾宅に沖
田総司を襲うも果たさず
夕刻、御陵衛士の篠原泰之進・阿部十郎、二条城から帰路につく近
藤勇を狙撃し、近藤勇は、馬上で右肩を撃たれる
同行していた井上新左衛門と馬丁芳介死す 12日
20日 会津藩、近藤に20両の見舞金を贈る 14日
29日 小幡三郎、薩摩藩邸に潜入 23日
慶応4年 1月 3日 鳥羽・伏見の戦い勃発 28日
5日 淀千両松の戦闘に敗れ、橋本へ撤退
井上源三郎、戦死 30日
6日 大阪天満の八軒家京屋忠兵衛方へ退陣 31日
10日 新選組、近藤芳助らの負傷者は富士山艦に搭乗
可動隊士は順動丸に搭乗 2月 3日
11日 兵庫沖を出帆し、その夜は紀州由良港へ停泊 4日
14日 横浜港に投錨 7日
15日 土方ら隊士39名、仮隊士24名下船し品川の釜谷へ投宿
近藤、沖田は神田和泉橋の医学所へ直行 8日
20日 新選組屯所として、鍛冶橋大名小路の元秋月右京亮種樹の屋敷を
与えられる 13日
2月12日 新選組、慶喜の警護を命じられる 3月 5日
15日 新選組、二班に分かれて交替で警備 8日
25日 慶喜の警護終了 18日
28日 甲州出陣手当支給
沖田に10両、宮川信吉の霊前に50両、近藤留守宅に300両等の
諸支払いを済ます 21日
3月 1日 甲陽鎮撫隊と称して甲州へ出立 24日
6日 甲州勝沼の柏尾で戦闘、敗走 29日
9日 近藤、杉並の玉野屋へ至る 4月 1日
10日 浅草今戸の慶養寺の屯集 2日
11日 永倉新八・原田左之助ら 『靖兵隊』 を組織し、近藤・土方らと決別 3日
13日 近藤ら48人、五兵衛新田の金子邸に入る 5日
4月 1日 五兵衛新田に集結した新選組総員227人、流山へ転ずる 23日
2日 流山着陣 24日
3日 西軍、流山を包囲
近藤は投降、土方は江戸へ奔る 25日
4日 土方歳三、勝海舟に謁見する
島田魁、江戸へ潜入して土方と合流
近藤、唐丸駕籠で板橋へ送られる 26日
11日 江戸城無血開城 5月 3日
19日 宇都宮城陥落 11日
23日 宇都宮攻防戦
土方負傷し、今市に下る 15日
24日 土方、島田魁・漢一郎・松沢乙造・中島登を従えて会津へ落ちる 16日
25日 近藤勇、板橋で斬首 17日
29日 土方一行、会津若松の七日町の清水屋へ入る 21日
閏4月5日 会津新選組隊長、山口二郎、白河出陣に際し、松平容保に拝謁 26日
6日 新選組、白河へ出立 27日
8日 近藤の首級、10日まで三条河原に晒される 29日
20日 新選組、白河城を攻略 6月10日
25日 白河攻防戦で菊地央五郎、戦死 15日
5月 6日 靖兵隊矢田賢之助、今市の戦いで戦死 25日
15日 上野戦争勃発
原田左之助、彰義隊に加わり負傷 7月 4日
17日 原田左之助、本所の神保山城守屋敷で没す 6日
30日 沖田総司、病没 19日
6月15日 土方、会津若松で覚王院義観と面談 8月 3日
8月17日 松本喜次郎、三代の正福寺で戦傷死 10月 2日
19日 新選組、猪苗代から母成峠へ転ずる
品川沖の榎本艦隊脱走 4日
21日 母成峠の戦い
漢一郎・加藤定吉・木下厳・小堀誠一郎・鈴木練三郎・千田兵衛戦死 6日
22日 新選組、東山天寧寺に宿陣 7日
23日 戸ノ口原の戦闘 8日
9月 3日 土方、仙台において榎本武揚の軍議に出席 18日
4日 高久村の戦いに出陣 19日
明治元年 9月 8日 ※改元 23日
9日 新選組、仙台へ向かう 24日
12日 土方、榎本と共に仙台城に登り、恭順派と面談するが決裂 27日
22日 会津藩降伏 11月 6日
10月 5日 林信太郎、水戸街道で斬殺 18日
12日 新選組、大江艦に搭乗し折ノ浜を出帆 25日
13日 南部宮古湾の鍬ヶ崎の投錨 26日
18日 蝦夷へ向けて出帆 12月 1日
20日 蝦夷鷲ノ木に上陸 3日
22日 新選組、大鳥圭介傘下で峠下から函館へ
土方は額兵隊・陸軍隊を率いて川汲から函館へ進軍 5日
24日 土方軍、川汲で戦闘 7日
26日 五稜郭無血入城 9日
28日 土方軍、松前へ進撃 11日
30日 新選組、市中取り締まりを命ぜられる 13日
11月 5日 土方軍、松前城攻略 18日
11日 土方軍、江差へ出陣 24日
15日 土方先鋒軍、江差へ侵入
榎本艦隊旗艦開陽丸が座礁 28日
25日 土方、五稜郭へ凱旋 1869年 1月 7日
12月15日 入札により、総裁榎本武揚、陸軍奉行並に土方歳三選出 27日
明治2年 3月20日 土方回天艦に搭乗し、蟠龍・高雄2艦と共に甲鉄艦奪取のため南部
宮古湾を目指して出帆 5月 1日
25日 回天、単独で甲鉄艦奪取作戦を敢行するも失敗し、函館へ撤退 6日
4月11日 土方、衝鋒隊・伝習隊を率いて二股口へ向かう 22日
13日 二股口攻防戦
翌朝まで16時間の激戦決せず 24日
23日 二股口攻防戦、再開 6月 3日
29日 土方軍、挟撃により五稜郭へ撤退 9日
5月 1日 土方、榎本らと五稜郭にて対談
大鳥指揮下の新選組は有川へ出陣 10日
11日 官軍、函館山頂より奇襲攻撃
土方、弁天台場の新選組同志を救わんとして出陣するも、
一本木・異国橋間の戦闘中に被弾戦没 20日
15日 弁天台場の新選組、降伏 24日
18日 五稜郭、軍門に下り戊辰戦争終結
弁天台場の新選組、称名寺に収容される
島田魁、最後の勇士名簿を綴る 27日

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