池田屋 1
「古高が新選組に捕まった。」


その知らせを聞いたのは、あの夜の鬼事から日も経たぬ夏の日のことだった。





京から追放の処分となって、在京の藩士達が長州へ下ることになってからも、長州藩士達は政権への復帰を目指しながら各藩の同志らと色々な活動を続けていた。


彼ら志士達の不穏な動きを受け、幕府から京の治安維持を任された松平容保は、新選組をつかい尊攘派志士や不逞浪士の取り締まりに当らせていたが、幕府から要注意人物として耳目を集める者はまだ数少なかった。

その中で新選組や見廻組が動向に注意を向けていたのは、朝敵となった長州藩士桂小五郎や、久坂玄瑞、吉田稔麿、肥後藩の宮部鼎蔵らくらい。
捕縛対象として手配書が付いているのは「人斬り」の異名を持つ、土佐藩脱藩士岡田以蔵くらいなものだった。


宮部さん達を含む尊王派志士らが、会合を行うその影で、桂さんもちらほらと動いていた。


しかし、宮部鼎蔵の下僕忠蔵が尾行され、新選組が桝屋へと踏み込んだのは、元治元年六月五日の事だった。



宮部さんは不在だったものの、桝屋の蔵からは大量の武器火薬の類や、長州藩との遣り取りを記した文書などを発見され、その場に居た桝屋主人古高俊太郎が、捕えられた。




古高は京の河原町にある諸藩御用達問屋枡屋を受け継ぎ、枡屋喜右衛門と名乗って攘夷志士達とともに日々活動を行なう傍ら、武器などの作成、調達を行ない、長州間者の大元締として情報活動と武器調達に当たっていたのだ。



最近は、ますます長州に対しての風当たりも強くなり、捕らえられたものも少なくはない。あれだけ注意しろと言ったのに、あいつは見誤ったのだ。






古高捕縛の報せを聞き、藩士達はどうやら池田屋に集まるらしい。



「常盤、お前どうする?」
「顔くらいは出すさ。」
「おいおい本当かよ。」
「平気だよ、鬼事は得意なんだ。」


そうニヤリと笑えば、呆れたようにため息をつかれた。だいぶ長い付き合いになるから、彼も諦めているのだろう。


「池田屋に向かう」

そう立ち上がった桂さんに、近くにいた吉田が、険しい顔をする。


「しかし、古高が捕まったとなれば、幕府方もますます警戒を強めるはず。
危険です。」
「それは分かっている。
しかし今こそ行かねばならぬのだ。」

「では、私がお伴します。」


恐らく止めても行くだろうと、最初からわかっていた。だから、私が折れるに他ない。それに、池田屋には、先生が慕った親友でもある宮部殿も行くという。そんな彼が行くならば、自分が行かないわけにはいかない。



急いで身支度を整え外に出ると、月夜の下で見知った顔に出会った。



「気をつけろよ」
「ああ、分かってる」


私の肩をぽんっと叩いたのは、同じ松下村塾門下で、夜な夜な論を交わした吉田稔麿だった。


自分より年下だが、塾に入ったのは、私と同時期で昔から共にいる時間が長かった一人だ。


そして、吉田とともに出てきたのは、高杉と久坂が結成した御楯組に加入し、品川御殿山の英国公使館の焼き討ちに参加したメンバーの一人である有吉熊次郎だ。


「池田屋で。」
「あぁ。」



有吉とは別の道を使い、池田屋に向かうこととなり、桂さんと共に長州藩邸から出ると、それぞれ道を違えて池田屋へと急いだ。


恐らく今朝のことがあって、桂さんが外出禁止令を出したこともあり、集まる志士はそう多くはないだろう。



本来今夜池田屋に集まるのは、全国の藩から選ばれ作られた勤王党親兵の同志と談義を行うためだったのだが、古高が捕縛されたとの報せを受け、急遽奪還策を講じなければならなくったのだ。





池田屋に到着すると、やはり今朝の桂さんに一言が効いているのだろう、未だに集まったのは、私と桂さんのみ。


座敷に通され、一言二言交わしているうちに、おもむろに桂さんが立ち上がり、刀を腰に刺す。

「少し出てくる。」
「…面倒ごとを押し付ける算段ではないでしょうね?」


そう言うと、なーに、すぐ戻ってくる。とにんまりと笑い、座敷を出て言行った。




「遅くなった」

遅れて池田屋へとやって来た松田重助を最後にし、日が暮れる頃には、長州や土佐、肥後などの志士二十数人が池田屋に集まり、二階の一室には宮部、望月亀弥太を始め一同が鎮座していた。
しかしそこには、案の定桂さんの姿はない。結局面倒ごとを私に押し付けたのだ。




「幕吏ならいざ知らず、新選組に捕縛されてはどんな拷問を受けるか」


悲痛の色を浮かべた望月の顔が歪む。新撰組が恐れられるのは、容赦なく人を斬るからでもあるが、捕縛後の拷問の酷さが最たる理由も大きかった。


それは役所で受ける拷問の比ではないらしい。責め苦を受けて自白した者は、その殆んどが即刻斬首となり河原に晒される。

どれ程の苦痛が与えられて斬首されたか、苦痛に酷く歪んだ顔を見れば語らずとも判る事だった。


「どうする、宮部殿」
「俺は我らで乗り込み、古高さんを助けるべきだと思う。」


有吉の言葉に数人の志士が頷いた。

その一言をかわきりに、古高の処遇をめぐって、口角泡を飛ばすような議論が座敷に熱気として篭る。
そんな激しい舌戦の中、会合の首脳とも言える宮部殿が、それらをまとめた。


「新撰組を襲撃し、古高さんを奪取した後、混乱を誘うため京に火を放つ。それでいいか?」

「それはいかがなものだろう。」


そう口を挟んだ私に、一気に視線が集まる。思わず出てしまった口に、呆れつつ小さく息を吐く。



「私は、今日に火を放つのはするべきではないと考える。
古高殿も、御覚悟あっての攘夷にあるはず。
いかな暴虐を受けようと志を違えることも、同志を売ることもないでしょう。
我らが再び御所の警護を賜ることが、叶いました時、古高殿を御救いすることは、実に容易になるでしょう。」
「要するに、古高殿を見捨てろということか!」

今にも聞いかかってきそうな勢いで、怒号が飛び交う。




飛び掛からんばかりに立ち上がりかけていた者たちを、じっと見つめる中で
一瞬の静寂。



その切り詰めた空気を裂くように、池田屋主人入江惣兵衛が一階から大声を張り上げた。



「各方、御用改めで御座る!」

 直後、一階にいた土佐藩士石川が部屋へと飛び込んで来た。


「新選組だ!」

その言葉に、部屋に集まっていた志士たちが、一斉に剣を帯びて立ち上がった。そして、池田屋は暗闇に包まれた。






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