憎しみにほだされた心

「お世話になりました。」
「お気をつけて」

匿ってくれていた幾松に頭を下げて、私は一歩一歩夜道を歩き始めた。
禁門の変から約2週間。
未だに京はあの日の混乱を引きずっている。幕府軍がうろつき、新選組が我が物顔で闊歩する。


そう聞かされた。



手拭いで顔を隠し、巻いた蓆を腕に抱いて音もなく歩く。
出来るだけ人の居ない道を、かといって誰かがいようと不用意には引き返さない。自然であることが、重要だ。



そうしてようやく行き着いたのは、薩摩藩邸。


「何者だ。」

案の定門前で止められた私は、中にいるであろう大久保さんへの言付けを頼み、壁に寄りかかって返答を待っていると、門の左側のドアが開き薩摩藩邸に入ることができた。


そして、玄関で私を待っていた大久保さんを確認し、ゆっくりと頭を下げる。

「まるで物乞いだな。」

第一声がそれかよ。と思ったがあえて何も言わずに、頭をあげる。


「無事で何よりだ。」
「はい。」
「部屋に案内させる、付いて来い。」


大久保さんに言われるがまま、廊下を進みあり一室の前で足を止める。そして、大久保さんによって開かれた障子の向こうには、見慣れた顔がいくつもあり、私を気概そうに見つめている。


「常盤が戻った。」
「常盤、だと?」


その名に、中にいた坂本が目を丸くした。周りの男たちも、それは驚いたように、書物を読んでいたものは顔を上げ、談笑していたものは、話を止めた。

そしてしばらくして、常盤と名乗った男が部屋の前の廊下に座った。

「蓉駕時和ただいま戻りました。」
「ほんに常盤がか!」
「はい。」


そう言って、頭からかぶっていた手ぬぐいを外し、頭を上げた。



「常盤!」
「確かに、その格好ではおまえだとわからんのも頷ける。
町人とゆうより、物乞いのようだな。」
「物乞いはひどいですよ。
まぁ、先ほど大久保さんにも言われましたが。」

「無事で何より!」

坂本が歯を出して笑う。

頭にほっかむりをし、着物の左右の裾を端折って帯に挟んで、顔も腕もドロだらけとくれば、皆が気づかないはずだ。

「まずはその顔をなんとかして来い。」

武市に手拭を差し出され、それを受け取ると井戸で汚れを落とし、女中の用意した着物に着替えてから、改めて皆の前へと座った。
「お久しぶりです。」
「よく無事でいてくれた。」
「幽霊じゃないだろうのう」


 体中をぱんぱん叩いて行く坂本の手をひっしと掴む。


「傷が痛むんですから、叩かないでください」


うんうんと頷きながら、五体満足じゃと坂本は笑い声を上げた。


出されたお茶で喉を潤し一息つくと、膝を正しゆっくりとした口調で、一つ一つ今までのことを思い出す。

朝廷が嘆願書を受け取らず長州への追討を命じたことで、久坂達が軍議を経て挙兵の意を固め、三方から進軍し禁門の警護についていた藩と激突し、圧倒的な数の幕兵を前に大敗を記したこと。


久坂が向かった鷹司邸での経緯、禁門から敗退した長州軍のその後を語った。


長州の惨敗。その一言で片付けられる戦ではなかった。
多くの若い志士が逝き、京都は火事に見舞われ、多くの民がなくなった。


薩摩と長州の同盟が先に成っていたらと、坂本は悔しそうに歯を食いしばる。


「今言ったところで後の祭りだろう」

大久保さんの言葉に、そけはそうだがと肩を落とす。

「しかし、よく逃げ出せたな」

中岡が珍しく弾んだ声で問う。

「久坂の最期の頼みです。
それに、屋敷の戦に皆が気を取られていたお陰だよ」


入江の体を抱えたまま、幕兵に見つからない様、知り合い元へ逃げ込み、時間をかけて傷の治療もそこそこに、やって来たんだと笑みを浮かべた。



「して急をと、ここへやって来たのは、顛末を語るだけではあるまい?」


冷静な大久保さんの言葉に、太ももに置いた両手をぐっと握りしめる。



「御門での発砲に激怒した孝明天皇が、長州藩を逆賊とし追討の勅命を出しました。」

「なっ、逆賊じゃと!?」

それにより、桂と高杉も手配書に名を連ねる事になったと付け加えた。


「勅命を受けた幕府は、二十一藩に対し出兵命令を出したと、発つ前にある筋から聞かされました。」

「!」


理由はどうであれ、幕府にとって長州の挙兵は、尊攘派の討伐を断行するのにうってつけの事件となってしまったのだ。


「…久坂の頼みとはいえ、私だけ生き延びて…しまって…」

悔しさが、情けなさがとめどなく自身を襲ってくる。女だからか?私は、武士として死ぬことはできない。

幾松さんのところにいた時も、最期の久坂の顔が忘れられなかった。


彼女の言葉に、珍しく大久保さんが顔色を変え、坂本が声を荒げる。


「あほうをゆうがやない!
生きてこそ次があるろうが!」
「久坂くんが逃げろと言った意味を汲み取れ、馬鹿者が!」


膝の上で握り締めた手の甲に雫が落ちる。



「…明日、長州へたちます。
久坂の頼み果たしてくるつもりです。」
「おう!」


俯いていたままだったことが幸いか。自分の両腕を抱え込み、額を畳に付け嗚咽と共に震える声を上げた。





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