集結
新在家御門では、到着した勢いのまま会津桑名藩を押し上げ門内部へ突入した長州だったが、後から後から沸いて来る敵に対してなす術を失い、後退を強いられた。
下立売御門でも、門内で双方入り乱れる乱戦となり、敵味方の区別がつかない状況になると、会津幕府間で同士討ちが出て混乱を極め、状況は長州側の優勢となった。
各門での攻防が繰り広げられている中、前太政大臣鷹司政通の屋敷を占拠した久坂と真木達は、門という門に兵を配置させると鷹司の前に膝を折った。
「どうか、我々の御所参内にご助力をお願い致します」
参内前の鷹司に自分達が上洛した理由を語ったが、鷹司は背を伸ばし首を横に振った。
「公武合体派の公卿らが政局の中心となっては、孝明天皇と言えど尊攘の意志を貫き通すのは至極難題である。
しかも武装し兵を挙げの上洛と、二度に渡る退京命令に背いたそち達の嘆願は届かぬ。
雪冤のためと嘆願しに来るのであれば、兵を上げる必要はなかったのではあるまいか」
「我らとて好んで兵を挙げたのではありませぬ。元を正せば会津薩摩藩が政権を己が物と、朝廷に働きかけた事にございます。穏便に済ませられるのであれば、兵を立ててまで上洛など考えましょうか!」
京での二代政権だった薩摩と長州。
それが今や長州は京を追われる身なり、薩摩は大手を振って政権に参加している事態になっている。
「できぬものはできぬ。大人しく降伏する事を提言致す」
久坂は無念の形相で俯いた。
一橋率いる会津兵も鷹司邸に到着し、屋敷の周囲を取り囲むと突入の機会を伺っていた。
外が徐々に騒がしくなり、時和はそっと障子を開いて様子を伺った。
視界に入る門から、幕兵と長州兵が斬り合う姿が見える。
「久坂」
時和の横から顔を出して見た久坂は、後ろにやって来た寺島忠三郎に目を伏せ頷いた。
周防国に生まれた寺島は藩校である明倫館に通い、松下村塾で吉田松陰と出会うと門弟に下った。久坂とは、文久二年に結成された御楯組に入った時に知り会い、未遂に終って居るが、公武一和を唱える長井の暗殺計画にも参加していた。
時和の手を取った寺島は、部屋の隅に立つ入江九一の許へと引っ張って行く。
「二人に頼みがある」
寺島の言葉に、二人は顔を見合わせる。
「この場を生き延び、事の顛末を長州へ報告してもらいたい」
ここから逃げ出せと言われたのだ。
「俺だけ逃げるなんてできるわけがない!」
入江は猛反発した。
「俺も共に戦う!」
久坂も二人の前に立ち、ここを脱出するのも大事の一つ、死ぬばかりが戦ではない、と諌めた。
「蓉駕も、どうか入江の脱出に助力して頂きたい」
「しかし!」
「討論している時間はない!
我ら長州の無念をおまえ達に託す!」
「久坂!」
時和の声に、久坂は小さく口角を上げた。
それは、昔と変わらぬあいつの覚悟だった。
外では斬り合いが始まったらしく、刀のぶつかり合う金属音や怒声が絶え間なく聞こえてきている。その声が次第に家屋へと近づいてくる。
「なに、俺たちだって無駄死にする気はない」
そう寺島が笑顔を見せ、「とっとと行け」と叫んだ。
直後、障子が勢いよく開け放たれ、幕兵が近くに立っていた寺島へと斬りかかった。
久坂も時和達の側から飛び出し、刀を抜いて後から出で来た幕兵へ振り下ろす。
時和と入江は、ただ呆然とその光景を見詰めている。
「なにをぼやっとしている!
さっさと行け!」
部屋へ入ろうとする幕兵を、一人また一人と斬り捨てながら久坂が怒鳴った。
「俺たちの想いを無駄にするな!
常盤、行け!」
注意を逸らした瞬間、肩から胸へと太刀が走り、寺島の体がその場に蹲る。
「寺島!」
走り出した時和は、さらに斬り掛かろうとする幕兵の腕を切り落とした。
「ここで死ぬ事はおれたちがが許さねぇ!
生き延びるのもまた戦と心得よ!」
「生きて志を継いでくれ!」
庭へ降り立ち、刀を振るい続ける久坂が声を限りに叫ぶ。
「久坂っ…!」
視界が緩むのを堪えた時和は入江の所へ駆け寄り、鞘から抜き放った刀を対峙していた幕兵の背中へ刀をと振り下ろす。
そして、入江の手を掴んで一気に部屋から駆け出した。
「追え!」
「そうはさせん!」
久坂は追わすまいと幕兵の前に進み出る。
「貴様らはの相手は我らだ!」
痛みを耐えつつ、傷口を押さえて立ち上がった寺島は、久坂に背を向け幕兵に対峙した。
どこもかしこも修羅場だった。
久坂隊の総勢は千余り。
対する幕兵はその倍以上は居ると見えた。優勢劣勢は数を確認するまでもなく明らかだ。
時和と入江は、襲い来る幕兵を切り倒しながら、戦の間を縫うように近くの門へと走って行く。
斬っても斬っても、向かってくる兵の数は変わらない。
時和の目の端々に、倒れていく長州兵の姿が映る。
泣きたいのを我慢し、唇を噛みしめた時和は、戦闘の薄い場所を選びながら家屋の裏手にある小さな門へと急いだ。
先を進んで行く時和の後を追う入江も無言で、門へと走っていく。
漸くの事で門の両壁に背をつけた二人は、荒くなった息を整える。
「常盤、やはり僕は久坂を置いては行けない」
「入江…」
足を止めて悔しそうに歯をくいしばる入江の気持ちは十二分に解った。
久坂と寺島の頼みでなければ、敵に背を向けて逃げ出しはしなかった。
「まだあいつらが負けると決まったけじゃない」
虚勢でしかない。
現状を目の前にして、時和も勝ち戦になる可能性は限りなく低いと判断できている。
それでも、こう言わざるを得なかった。ここで、肯定して仕舞えば、何か大事なものが折れてしまうような気がしたからだ。
「それに、私一人の言葉じゃ信用性に欠ける。入江が伝える言葉の方が必要なんだ。」
「常盤…」
扉の閂を静かに抜いた時和は、扉を少し開けてから外の様子を伺い観る。
門の両脇に二人、道の真ん中にも二人、後の一人は門の反対側で辺りの様子を伺っている。
入江の手が扉に掛けられた。
「ここを突破すればいいんだろう?」
「ええ、生きてね」
顔を見合わせた後、二人は勢いよく門を飛び出した。
「!」
事だと二人を見た幕兵が、長州兵だと慌てて剣を抜いた。
「邪魔をするなら斬る!」
背を合わせ、幕兵との距離を保ちつつ壁から離れて行く。
「ぐずぐずしてる暇はない」
間合いへ入って来た幕兵へと入江が踏み出し、剣を振り下ろした。
二対五では相手に背を向ける事も出来ず、時和も入江もお互いの背中を確かめながら幕兵と剣を交える。
膠着する時間が長引けば、いずれ剣戟を聞きつけ幕兵が加勢に出て来る。そうなれば逃れるのは無理に等しい状況になるだろう。
急を急いだ入江が幕兵との間合いを詰めた。
横薙ぎに払った刀が相手に届くより早く、銀色の光りが入江の胸元に深々と刺さった。
「入江!」
眉間を寄せちらりと視線を下げた入江が、嗚咽と共に血を吐き出すのが見えた。
「どけ!」
時和と相対していた兵士がその気迫に圧され腕を止めたが、別の兵士が代わって来る。
防戦のみで入江の側まで近寄り、肩越しに胸を見やった。
これでは…
「案ずるな…まだ、大丈夫…」
刺さった刀を引き抜かせまいと、刃を握り締めた入江の手から血が滴り落ちる。
「無茶だ!」
入江は脇差しを抜き、刀を抜こうともがく兵士の喉へそれを突き刺した。
「まだだ…まだ終るわけには、いかない…」
刀を引き抜き、崩れる兵士の後ろに立っていたもう一人に刃を這わせた所で入江の足が落ちた。
「くそっ!」
身体を回した時和の背後に刀が走った。
「じゃま…するな!」
左手で抜いた脇差を後ろの幕兵に突き出し、その剣を引き抜きざま、入江が斬った男の右手を薙ぎ払った。
腕がぼとりと地面に落ちる。
「あとはおまえらだけだ!」
残る二人に向かって時和は足を踏み出した。
右の男の懐へ脇差を突き刺し、引き抜いて切り上げると、身体を回して左の男へ薙ぎを払う。
「くっ…そっ…」
兵士が倒れたのを確認し、膝を付いている入江の許へ急ぐ。
「ここから離れるぞ」
入江の体を支え、屋敷を取り巻く壁を見上げる。
屋敷の中では乱戦が繰り広げられているだろう。久坂や寺島がどれだけ持ちこたえるのか、今の私には想像もできない。
どうか無事で。
背後に気を配りながら、息も荒く血を滴らせる入江と共に門を離れ、近くの路地に向かう。
肩に掛かる入江の重みを感じながら、さらに路地を奥へと進んで行く。
鷹司邸にかけつけた幕兵は、そのほとんどが邸内に入ってしまっているのだろう。民家が立ち並ぶ薄暗い路地に入ってくる者は居ない。
「俺はもう・・・だめだ」
「なに弱気なこと言ってる。私達はここを生き延びるんだ。
気をしっかり持て!」
気休めでしかない言葉だと、分かっていながらも、どうしても諦められない。少しずつ弱っていく同志の姿に歯を食い縛る。
角に来ては曲がり、また角を曲がって進んで行く。
力が抜けた入江の体を支える腕が次第に痺れていくのが判る。怪我人を抱えては、それほどの距離は進めない。
薩摩藩邸まで逃げ込めれば後はなんとかなる。
その一念で、腕から力が抜けそうになるのを耐え、少しでも鷹司邸から遠ざかろうと足を前へと運ぶが、徐々に入江の足が時和の足に追いつかなくなる。
いつもは数歩前を歩いていたのに、今は歩くことさえままならない。
「下ろして…くれ…常盤。」
半ば引き摺られる様に歩いていた入江が、歩くのを止めた。
「もう…いい」
肩に回されていた腕から力が抜け、入江はその場に崩れ落ちた。
「宛がある、もう少しだから!
頑張れ。」
「わかって…いるだろう?」
入江がにやりと笑い、胸を押さえていた手を時和に突き出す。
言葉を失い、込み上げてくる嗚咽を喉の奥へと飲み込む。
泣き出したいのを堪え、血の気がなくなった入江の顔を覗き込む。
「久坂は…無事だろう…か」
追っ手が来てないこと確かめ、火消し用に置かれている石桶の陰に入江の体を引き摺って行く。
「大丈夫だ、あいつなら。
寺島もいる、心配するな」
入江の息遣いはすでに虫の息に近い。胸の膨萎も見て取れない。
着物をはだき見ると、心蔵の近くにある傷口から脈うつように血が流れ出でいる。
時和は歯を食いしばった。
「…久坂…た…ちと…死にたかった…なぁ」
言葉が終った瞬間、がくりと入江の首が前に落ちた。
「い…りえ?」
時和は動かなくなった友人の身体を抱き、声を殺して泣き崩れた。
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