桜の蕾が膨らみ始め、寒さも一段落ついた京。
長州と幕府がいくら揉めていようと、町人や商人が気にする世情に至っておらず、各地から花み目当てに入洛する者が増え、雰囲気に皆が浮かれていた。
そんな春の夜に、新選組は石垣に囲まれた寺の一角を見張っていた。
門周辺に隊を構えていた原田の顔がこちらを向き、頷いた土方は石垣の影から飛び出した。
「動くんじゃねぇぞ!」
その声に、二つの影が動いた。
「来い原田!」
しかし、その声を聞こうとも、二つの影は逃げもせず、腰に差した刀を抜くこともなく、その場に立ってままだった。
さすがにこれだけ近くなると、その影が誰なのか判別する事ができた。
ただし一人だけだが。
「えっ?」
一人は新選組の隊士、もう一人は女だ。
「こんな夜更けに逢引ったぁ、随分立派になったもんだな。久慈島」
彼が女の手を取り、庇うように前へ出て振り向いた。
「いやだな。せっかくの逢瀬を邪魔しないで下さいよ」
「何言いやがる。こそこそとおまえが嗅ぎ回ってるのを、知らないと思ってたのか?」
土方の睨みにも久慈島は至って平然としている。
「女!」
そして、彼の視線は久慈島の背後へと移る、土方は久慈島の後ろの影に叫んだ。
「ただの女じゃねぇよな」
土方の声に、くすっと女が笑った。
ぞくりと背中に走った感覚に、つい両肩を掴む。
羽織を頭からかけていて、顔ははっきりとは見えないが、月明かりの下でもわかる血のような真っ赤な唇を緩めた。
「何もんだ、てめぇ!」
「あらあら。
お酒を酌み交わしながら語らって、と言う訳にはいかないようですね。」
高くもなく低くもない中性的な声は、夜の空気を描くように穏やかさの中に、刀のような鋭さがあった。
「牢屋なら付き合ってやってもいいぜ。
女なら多少は加減してやるから、素直にお縄に付いたらどうだ?」
負けじと薄ら笑いを浮かべた土方さんは、腰から剣を抜き放った。
「それは遠慮したい。
残念ですが、貴方とはまた別の機会に」
そう言い終えた瞬間、久慈島の腰から脇差を抜き取った女は、土方さん目掛けて走り出した。
「邪魔だ」
土方さんの声に慌てて隊の中に紛れると、彼の後ろへと回り込んだ女は、私を隠すように立っていた赤松さんの右腕を斬ってから、土方の背後へと剣を振り下ろした。
「くっ!」
土方さんに袈裟斬りを交わされた女は、剣を戻しながら右薙ぎを払った。
「なっ!?」
体に届く寸前、土方さんは振られた剣を弾き返した。
「てめぇ!」
女は一気に間合いを後ろへ取り、そして再び微笑んだ。
「長引きそうですので、手合わせはまた、と言う事で」
そう笑う女に、土方さんは次の太刀が出なかった…いやを出せなかったのかもしれない。
立っているだけなのに、発せられる剣気に体が動かないばかりか、相手の体に打ち込む隙を見つけられなかった。
もし動けたとしても、殺られるのは自分なのだとも即座に解った。
そんな緊迫した中でもにっこり笑った女は、軸足で身体を反転させると久慈島と原田さんの方へと駆け出して行った。
「おい、おまえの相手は俺だろうが!」
視線が外れ、剣気の呪縛から快方された土方さんも、彼女を追って走り出す。
久慈島を相手にしていた原田さんは、女によって横から払われた剣を完全に避けきる事ができず、右腕を深く切り込まれてしまった。
「原田!」
そう叫んだ土方さんは、背を向けている女までは三歩もない。討って取ったと土方さんは思っただろう。
「なに!?」
だが、突き出した剣は横へと動いた体から出た剣に右へと弾かれ、その反動で体勢を崩した横腹に女の蹴りが入った。
「ぐっ!」
「土方さん!」
腹を抱えて片膝を付いた土方さんを見下ろす女は、刀先を土方さんに向け、相変わらずうっすらと笑みを浮かべている。
「これで失礼しますね、土方くん」
くるりと背を向け、走りだすと寺の白壁に刀突き刺すと、それを踏み台にして、塀を越えていく。
「くそ!」
急いで塀へと駆け寄ると、紐がつながった刀はすぐに抜かれ、一瞬にして彼らの姿は消えてしまった。
負傷した原田さんと赤松さんを連れて屯所へ引き返した私達は、松本先生の元へ運ぶと、土方さんは部屋を出て行ってしまった。きっと、すでにもう幹部の皆さんが、近藤さんの部屋に召集されているのだろう。
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