脱出


バタバタと複数の足音と共に、気配が近づいてくる。


まずい状況だと言う事は明白だ。
刀を抜いて、部屋から出て行く皆を確認し、そっと障子を開けると、次々と新選組がここ池田屋に入っていくところだった。

ざっと十数人か…。
くそが。




腰に差した鞘を握り締める手に力が篭る。死ぬ気はないが、ここは行くしかないか。


そう思案している最中、一瞬、国の牢に入っている友人の顔が浮かんだ。
ここで死んだら、きっと笑われるだろうな。酒の肴にでもされるかもしれない。あの男なら、やりかねない。


隣の襖を開ければ、見たことのある顔が2つ、眼下を見下ろしていた。



「人間の小競り合いに興味があったとは」

その声をかけるまでもなく、私に気づいていた彼らは、それはそれは不機嫌そうに、私を睨みつける。
その目はまさに私を殺しそうだ。


「ふん、戯言を。」
「おたくら鬼さんは、薩摩についたと聞いていたが?」
「不知火から聞いたのですね。」
「あー、どうだったかなー。」

ぽりぽりと頭をかきながら、天霧殿の問いに微笑みを返す。



「で、話はわかったのか?」

千景の向に腰を下ろすと、伏せてあった盃を拾い、手酌で満たした。


「結局、天皇拉致と京の付け火は話に出ぬか」
「まったく馬鹿げた話だよ。
が、それもありなのかもね。
主権を取り戻す為に、身を捨てて一事に賭ける。まぁ、失敗すれば後はないんだがな。」

「権力欲しさに、人間とは愚かな生き物だ」


吐き捨てるような千景の言い方に、手を止め千景を睨みつける。こちらから何かを仕掛けたわけではなくもないが、事の発端は外の力だというのに。


「他人事みたいに言ってるけど、お前の国でも、起こってることだろう。侵略されそうになってる側だってわかってるか?」
「始末をつければ人間などとは縁を切る」

「まっ、それもそうか。」


そう言って、盃を飲み干し重い腰をあげると、廊下に用とした時、襖の向こうに感じた気配に、ちらりと千景を見れば素知らぬ顔で盃を傾ける。


「人間にしては、勘が良いようだ。」

どうやら彼らも気づいていたようだが、気にするそぶりも見せずに、眼下を見下ろしている。

まったく、これだからこいらは。
と、まあ私もそこは余裕を持って、酒でも飲みたいところだが、ここで新選組に顔をバレるのは、かなりまずい。


ここは、さっさと退散しよう。
襖が開く寸前に、そっと部屋の隅に移動した私は、反対側の襖を開け部屋を出る。





すると、すぐ目の前には、刀を構えた望月が立っている。奥にも人影がいくつか見える。


「一体なんの理があって、我らに斬りかかる!」
「しらばっくれるんじゃねぇ。
おまえ達の企みなんざ、こっちはすべてお見通しなんだ。大人しく捕らえられるか、ここで斬られるか、好きなほうを選べ!」


やがて奥からも剣戟の音が聞こえてはじめた。

小さく舌打ちに、切り掛かってきたやつをなぎ倒すと、再び剣を交える彼らに視線を移す。



「望月殿、逃げろ!」


激しい打ち合いをしながら、望月殿が背中から土間へと姿を現す。
くそが。

歯を食いしばりながら、廊下を進むと再び人影が現れた。
あれは、

「宮部殿!
早くお逃げください!
裏口は、まだ手薄のはず。」
「蓉駕くんか。
私は逃げるわけにはいかないよ」
「しかし!」
「あれは、これからの未来に命をかけた。私もあれに恥じぬ生き方をせねば。
それよりも、少しでも多くの志士を逃がしてくれ。」

「…ご武運を。」



今生の別れとなるというのに、宮部殿の顔はどこか誇らしげに見えた。


それは、先生が江戸へ護送される聞き、吉田の家の塀の穴から、先生の横顔を思い出す。

家族に迷惑はかけられないと、松下村塾に行かなくなったのに、吉田の家で隠れて本を読みふけっていた。最後に見た先生の顔は、悲しさなどには包まれてはいなかった。




それから、宮部殿の言いつけ通り廊下で戦う志士に加勢しながら、一人一人裏口へ導く。


真っ赤に染まっていく廊下を駆け抜け、勝手口から裏の入り口の手前に出る。


集まった数人の志士とともに、新選組の目を避けながら、暗がりへと身を潜めた。

池田屋から出た志士数人と、巧みに路地を利用し、知り合いの邸へと急ぐ。その中で、会津藩から出て来た藩兵に見つかったが、それでもなんとか切り倒し先を急いだ。


結局助かったのは、私とともに逃げた数人のみで、池田屋に集まりし志士は、一人二人と逝った。
その中に、古くからの友人の名前もあった。


彼の遺体は、刀を握りしめたまま道に倒れていたという。長州藩邸は、すぐそこだというところで、会津藩士に見つかり斬り合いになったのだろうと聞いた。


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