数学準備室

昼休み、お弁当を開くよりも先に、午前中最後の授業を終えると、私は人でごった返す購買を抜け、渡り廊下を渡って数学科準備室に来ていた。
もちろん、居眠りの代償を払うために。


コンコンと木の扉をノックし、「はい」と、先生がいることを確認すると、ガラッと扉を開けた。

「2年の町田です。」
「おー、早かったな。」
「いえ、ゆっくり休みたかったので。」
「嫌なことは片付けるってことか?」


おっと、これは失言だったかな。ニヤリと笑う。机に置かれた本の奥で雑誌から顔を上げ、目を細めた真田先生は、顎をくいっと動かし少し前のことテーブルを差した。

そこには、青いファイルの山。


「うわ、多っ。
こんなにあるんですか。」
「寝ていたんだから、これくらいいいだろう。」
「…そうですね。」


クラス全員分の青のファイルの塔を前にげんなりする。しかも数学の課題ファイルはサイズがA4で、指定されているから他のノートよりも大きい。

嘘でしょ。


「そう言えば町田は数学が得意か?」
「いえ、得意って程じゃありません。
しかし、嫌いってわけでもありません」
「そうか。しかし、この間の課題テストは点数がよかったはずだが?」
「あれは、基礎ですよね…」
「ふーん、誰だってできるってか?嫌味な奴だなぁ。」
「違っ!」

思わぬ言葉が返ってきて、思わず先生を睨めば、先生はにこやかに微笑んでいた。

「最初の中間テスト、楽しみにしてろぞ。」
「えー。」


うわ、嫌だ。この先生なんかムカつく。
思いっきり隠しもせずに、嫌な顔をすれば、意外にも鬼の真田に盛大に笑われる。


「嫌そうだな。」
「嫌ですよ。」

喜ぶ人いるのだろうか?

「なんだ?緊張するのか?」
「先生のご期待に沿えるとは思わないので。」
「ほう…俺はそうは思わんが。
ところで町田は、科目選択どちらにするつもりなんだ?」
「今のところまだなんとも。」
「そうか、俺としては理系を進めるぞ。」
「それは、先生が理系だからですか?」
「まぁ、そんなところだ。」
「考えておきます。」


…って、なんでこんな雑談になってるんだろうと思いつつ、鬼だ鬼だと言われる先生も、なにやら意外と話しやすいではないかと、つい思わずその場にある椅子に腰を下ろす。



先生の部屋は、問題集や参考書が壁の本棚を埋め尽くし、きちんと学年別に整理整頓されていた。

通称赤本なんて呼ばれる大学入試の問題集も、各有名私立大学から国公立までラインナップは様々だ。

さすが、教師。


ぼんやりと足を伸ばして、壁の本棚を眺めていると、先生がふと立ち上がり、せんべいを用意してくれた。


「あ、これ利久の…」
「なんだ、町田も知ってたのか。」
「母が好きでよく買ってくるんです。」


そう言って、先生に「ありがとうございます、いただきます。」とお礼を言い、せんべいの袋を開けて、口に放り込む。

「じゃ、ちょっと待っててくれ。
プリントコピーしてくるから。」

そう言って部屋を出て行った先生を見送り、ボリボリと食べていればコンコンと部屋の扉を叩き失礼しますと誰かが入ってきた。


誰だろう、まさか同じ境遇のやつかなとせんべいを加えたまま後ろを見れば、そこには午前中に赤葦くんから辞書を借りていった人がいた。


「あれ、さっきの…赤葦の同じクラスのやつ?つか、ノリさんは?」


…ノリさん?

「ノリさんとは?」
「あ、知らねーの?
真田センセのことだよ。覚えとけー」
「あぁ、プリントをコピーしに行きましたけど。」
「え!マジかよ!タイミングわりーなぁ。」


そう言って、銀髪さんはガシガシと頭をかいたかと思うと、近くにあった椅子にドカッと腰を下ろした。
そして、いつの間にかその視線は私に向いていて、なぜかキラキラした目で見られた。


「つか、何食ってんの?」
「お煎餅ですけど。」
「マジ!あ!
しかもちょーうまい煎餅じゃん。」
「…あー…食べます?」
「え?いいの!
やった、ラッキー。
ありがとな、えーと…」
「あー、…町田です。」
「ありがとな、町田!」

そうにっこり笑った彼は、豪快に袋を破り、煎餅を口に運んだ。
ボリボリと小気味良い音が聞こえてくる。

「ここへは、何しに?」
「いや、今日の数学でわかんねーとこあってさ、聞きに来たんだよ。」


そう言っていつの間にか、ばくばく煎餅をつまんでいる彼から、ノートを見せてもらった。


これは、微分関数の応用で、…あ、この人先輩なんだ。数学の勉強する範囲を見てようやく気付いた。そういえば、赤葦くんもあの時丁寧語だったな。


「微分関数ですか。」
「え、わかんの?」
「あー…、教科書見せてもらってもいいですか?」
「お、いいぞ。」


先輩から教科書を受け取り、ちらっと見た表紙は、案の定数Vで、昔やったなぁ、なんと懐かしみながら、基礎の公式を見て時からの筋道を立てる。


「多分ですけど…。」

教科書を開き、先輩から借りたノートにうっすらと数字を書き足す。
教科書の公式を使い、そこに当てはめれば、自ずと答えは導き出される。


ふむふむと時折質問を受けながら、一通り式を書き出し、最後に
「で、c …」

おそらくあっているはずだ。


「おぉ!おんまえ天才か!
スッゲーな!」

にっこりと笑う先輩には悪いのだが、いかんせん解答がないから、それがあっているのか間違っているのか判断ができない。


「いや、でもあっているかどうか…」
分からない、という私の声を遮るようにして、「正解。」と背後から聞こえた声に、ビクッと肩を揺らす。


「あ、ノリさん!
さがしたんすよ!」


ニコニコ笑う先輩を尻目に、バクバクとびっくりして止まるかと思った心臓を、なんとか納め背後にいた先生を見上げる。

「木兎、真田先生呼べ。」

「先生いつから、いたんですか。」
「よって、aの整数部分bはb=1ってところからか?」
「…はじめっからじゃないですか…」

そんな最初からいたのなら、先生が教えるべきだったんじゃないか!
もう、私の労力を返せ!

むすっとして、せんべいの袋を破れば、「すまん、すまん」と先生は笑って、椅子に腰を下ろす。


「それで、木兎分かったのか?」
「おす。」

なんとなくココにいていいのだろうか、と立ち上がろうとすれば、いいよと手で制され、もう片方の空いてる方で椅子を持ってきて座る。


「意外といえば珍しいっスね。
2年がココに居座るなんて。」
「この子、授業中寝てたんだよ。
まぁ思わず寝てしまったって感じだったけどね。」
「すみません……」


ボリボリとせんべいを食べていれば、先生がさらにお菓子を取り出り先輩に渡すせば、慣れた手つきで簡単に礼を言いながら、その場で食べだす。


「お前、勇者か!」

すげーな!ガッハッハっと笑う先輩にペシンと背中を叩かれ、不本意に一歩踏み出す。

「痛いです。」

そう睨んでも、気にする素振りなんてこれつぽっちも見せずに、笑っているこの人は本当にどんなメンタルをしているのだろうか。


「町田は、もう内容がわかってるようだったからな。聞いても多分つまらなかったと思うよ。」

って、おいおいなんて嫌味だ。
ひやっとしてしまい思わず固まれば、思いっきり笑われた。

「気になる所があれば、いつでも質問に来なさい。」
「……気が向いたら遊びには来ます。」
「まぁそれでもいいさ。」


じゃあ、はい。と反射的に手を出せば、コピーしたてであろうプリントが置かれる。
「え、これ何ですか?」
「特別課題。
提出はいつでもいいから、まぁ、解いてみ。」
「はぁ…。」


うわー、なんて顔をしても仕方ないのでクラス分のファイルを持ち上げ、席を立つ。

隣で、何やら面白そうに見ていた先輩も、俺ももーどろ。と立ち上がった。


「おせんべい、ごちそうさまでした。失礼しました。」
「したー。」


ペコリと礼をすれば先輩が自然に、扉を開けて待ってくれたため、何も問題なく部屋から出ることが出来た。


「ありがとうございます。」
「おう!」


大丈夫だという私に対して、「女子が重そうに持ってるのに、のうのうと隣を歩くなんてかっこ悪いだろ。」と言って聞かない先輩に半分以上ごっそり持って行かれ2人で教室へ向かう。


「あ、そうだ、俺木兎光太郎。
バレー部3年。」
「あ、町田衣織です。」
「おう、さっき聞いたな!」

にっと笑う木兎先輩は、教室の前まで来て私にファイルを渡すと、ぽんぽんと頭を撫でた。

「じゃ、居眠りすんなよ。」
「先輩の方が頻度が高そうですけど。」
「何!?」

ムキになる先輩にニッコリと笑い、ファイルを抱え直すと、「ありがとうございました。」頭だけ一礼してから教室に戻った。



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