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ガッシャーン。
「うおお、やっちまった・・・」
木っ端みじんになってしまった陶器の花瓶を、和泉守は真っ青になって見つめる。
おそるおそる破片を拾い上げるも、手の中でさらさらと崩れてゆく姿は、誰が見ても修復不可能にちがいながった。
ちょうどその頃、内番を終えて自室に戻ろうとしていた堀川は、ふいに聞き慣れた声が自分を読んでいるのを知って立ち止まる。
「国広!こっちだ、こっち!」
「兼さん?」
どうしたのそんな小声で、そう言いながら駆け寄った彼に、和泉守はばつの悪そうな表情で告げた。
「すこし相談があるんだが・・・」
「相談?」

***

話の中身を目の当たりにして、堀川はつい感想を口にする。
「うわー・・・これは派手にやったね」
「分かってんだよ、んなことは」
そっぽを向きかけた和泉守だったが、頼み事をしていることを思い出して態度をあらためる。
「それでよ、その・・・どうだ」
「いや、どうって言われても・・・無理でしょ、これはさすがに」
あっさり断られ、だよなあ、と彼は肩を落とした。
「いさぎよく謝るしかねえか」
「それが一番かもね」
そうしてふたりでなまえの部屋の前で待っていると、やがて戻ってきた彼女は不思議そうに尋ねる。
「どうしたの、並んで」
「主、すまん」
「え?」
「花瓶、割っちまった」
和泉守が後ろ手に持っていたそれを見せると、なまえは目を見開く。
「えっ、割・・・えー!」
「すまねえ!完全に俺の不注意だ。もちろん弁償しても、」
するとなまえは困り果てた様子で「弁償はちょっと・・・難しいかなあ」と口にする。
「そんなに高価な品なんですか、」
堀川に焦ったように尋ねられ、なまえは答えた。
「いや、値段は分からないんだけどね。これ、歌仙がくれたんだよね・・・」
「の、之定・・・」
高いに決まってる、と和泉守は頭を抱える。
「しかも、歌仙さんって目利きだから相当良い物だと思うよ・・・」
彼らのやりとりに悩んだなまえは、しばらくして「分かった」とうなずく。
「私から歌仙に穏便に済むように言っておくから」
「良いのか、」
「だって、どうしようもないし。ここまで粉々だとくっつけるわけにもいかないしねえ」
「兼さん。その間に、同じ物は無理でも似たようなのを手に入れれば良いんじゃない?」
「なるほど!そうだな」
一旦それをなまえに預け、ふたりは万屋へ向かって駆け出した。

***

「ふうん、割った・・・ねえ」
「そうなの、ちょっとぶつけちゃったみたいで」
活ける花を探しに行っていた歌仙は、帰ってみれば無残な姿になっていた花瓶を見て絶句する。
なまえはあえて、”誰が”割った、とは言わなかった。
「君にしては、ずいぶん不注意な話だね」
「すいません・・・」
歌仙は、「で、本当は誰が?」と尋ねる。
「え?」
「当ててみせようか。和泉守だろう」
言葉に詰まるなまえに、彼はため息をついた。
「甘やかすのは、お互いのためにとって良くないと思うけどね」
「はい、すみません・・・」
「反省したかい?」
彼女がうなずくのを見て、歌仙は笑顔を浮かべた。
「では、これで終わりだ。・・・君に対してはね」
歌仙の表情がとたんに殺気立ったものへと変化したため、なまえは喉の奥が小さく鳴った気がした。

***

「これなら、間違いなく文句はねえよな!?」
「うん、そっくりだよ!きっと大丈夫だね」
そんな会話を何度もくり返した後、納得のいく花瓶を手にした和泉守がなまえの部屋へと戻る途中だった。
廊下に面した部屋の戸がすらりと開き、無表情の歌仙が顔を出す。
「・・・和泉守。少し良いかい」
「お、おう。・・・なにか用か、之定」
来たまえ、そう言って歌仙は歩き出した。
無言のまま足を進める彼の背中を見つめながら、和泉守は花瓶の存在を手の中で持てあます。
やがて庭までやって来ると、ふり向いた歌仙は口を開いた。
「・・・あまりがっかりさせないでくれ、和泉守」
「あ、もしかして花瓶割ったこと、もう主から聞いたか・・・?」
それならほら!と、彼は新しい花瓶を見せる。
「もちろん之定のやつには遠く及ばねえが、俺のもそんなに悪くはないんじゃねえか?まあここんとことか、けっこう違う感じではあるがよ」
「・・・」
「主にもきっちり詫びて許してもらった。あとは、之定に謝らねえとって思っていたんだよ・・・本当に、悪か」
「和泉守。これ以上、失望させるんじゃない」
「之定、」
「僕が言いたいのは、近侍であるはずの君がどうして、主にここまで気を遣わせるのかということだ」
それは、と和泉守が呟く。
「君の失敗をなぜ、主がかばうんだい?僕はもっと、和泉守のことを頼りになる男だと思っていたんだが」
どうやら見当違いだったようだ、と歌仙は肩をすくめてみせる。
「っそんなことは、」
「そうかい?なぜそう言える?」
和泉守は、きつく拳を握りしめる。
「俺は・・・近侍としては、未熟だ。あんたみたいに、なにもかも完璧にやるには足りねえ。でも、この仕事はきっちり務め上げるって決めたんだ」
「ふうん。それで?」
「今回のことは、俺の考えが間違っていた。それだけだ。主はなにも悪くねえ。もちろん之定も」
その言葉を聞いて、歌仙は思わずふき出す。
「・・・なんだよ!?」
「いや、すまない、つい。君がまっすぐなのはじゅうぶん伝わったよ」
顔を赤くする和泉守の前で、彼は紫陽花に手を伸ばして言った。
「僕はこの花を、主のために贈ろうと思っていたんだ。でも、君の選んだ花瓶も、悪くはないかもしれないね」
「っ、おう!だろ!」
調子に乗るんじゃない、と歌仙はたしなめる。
「・・・その、俺が割った花瓶ってのは、やっぱ・・・高い品だったのか?」
「いいや。そんなに高価ではないよ。けれど、彼女のために選んだものだからね。主が大切にしてくれているのを知っていたから、僕も嬉しかったんだ」
和泉守はそれを聞いて、唇を噛む。
一度壊れてしまった物は、決して元には戻らない。
特別なのは、自分たちに与えられたこの体だけなのだ。
「本当に、悪いことをした。すまなかった」
「良いんだよ。分かってくれたのならそれで」
本当は彼女がとても悲しんでいることを、歌仙は気づいていた。
「和泉守。主のために、強い刀になりなさい」
そう言って、歌仙は手の中の紫陽花の枝を丁寧に手折る。
「それから、これは僕から。雅に活けてくれよ、頼むから」

***

「ねえ、」
「なんだ?」
「あの花瓶、けっこうこの部屋に似合ってるかもね」
「まあなあ。・・・前のやつも良かったんだけどな」
しょうがないよ、となまえは答える。
「和泉守がくれた花瓶と、歌仙がくれた花・・・か。なんだか嬉しいな」
窓枠で切り取られた青空を背景に、紫陽花が涼しげに咲いていた。


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