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抱えている書類で前が見えない。
誰かにぶつかってしまうのではないかと冷や冷やしながら慎重に歩いていると、後ろから「大将」と声がかかる。
「ずいぶんと大荷物だな」
「そうなの。ちょっと必要になっちゃって」
手伝う、そう言って、薬研は体勢を低くするよう促した。
そうしてごっそりと受け取っていったため、なまえは「大丈夫?」と尋ねる。
「おう。ぎりぎり前も見えるしな」
部屋か?と聞いてきた彼に、なまえはうなずいた。
「しかし、大将も大変だな。こんな机仕事が毎日だろ?」
「まあねえ・・・でも、近侍がいろいろ頑張ってくれるから助かってるよ」
「近侍って、歌仙だったか?」
「ううん。今は和泉守にお願いしてる」
ああ、と答えて、薬研は納得したようだった。
「そうか、和泉守か・・・」
彼は今、遠征に行っているためここにはいない。
午後には帰ってくるはずだったが、それまでは久しぶりに静かな部屋で仕事をすることになる。
すると、「なあ」と薬研は言った。
「近侍殿が戻るまで、俺が手伝おうか」
「えっ、良いの?」
「ああ」
「嬉しいけど、予定とか大丈夫?」
「いや?そもそも今日は非番だしな。暇してたとこだ」
なんでもやるぜ、そう言われてしまっては、甘えてしまおうかという気になる。
「じゃ・・・お願いしてもいい?」
「おう。任せとけ」

***

にぎやかな声が聞こえてきたのをきっかけに、なまえは時計を見上げた。
「あ、もうこんな時間」
早いな、と薬研は呟く。
「・・・あっという間だった」
「そうだね。お出迎えしなくちゃ」
立ちあがったなまえに後ろを、薬研は追いかける。
「今日はありがとう。薬研のおかげで助かっちゃった」
「あれくらいならいつでも言ってくれ」
そんな会話をしながらやって来たふたりに気がついて、乱が手を大きく振る。
「あっ、主さーん!」
おかえり乱、と笑顔を見せたなまえに、彼はさっそく遠征先の出来事を話し始める。
「あのね、すっごく可愛い髪紐売ってるお店があったんだよ。だけど時間がなくて寄れなかったの」
「そっか、それは残念だったね」
「ね、今度一緒に万屋に行こうよ。見立てあいっこしよ」
それからそれから、と忙しい言葉をさえぎるように、和泉守の手がぽんと彼の上に置かれた。
「八つ時までに帰らなきゃーって急かしてたのは誰だ?」
「!そうだった、」
はっとしたように乱は叫ぶ。
「おやつ、主さん今日のはなに?」
「そういえばさっき、ホットケーキの匂いがしてたよ」
「ホットケーキ・・・!」
遠征帰りの短刀たちは、やった、と口々に喜びの声を上げる。
「食べに行ってくるね!」
「おつかれさま、行ってらっしゃい。そんなにあわてなくてもホットケーキは逃げないよ」
駆け出す彼らの後ろ姿を眺めていたなまえはようやく、「おかえり、和泉守」と彼を見上げた。
「おう。これ、少ないが資材の足しにしてくれ」
「ありがとう、助かるなあ」
それらを倉庫にしまいに行こうとした彼は、そばにいた薬研を見て不思議そうに言った。
「兄弟たちの出迎えか?」
「ああ。まあ・・・そうだな」
「和泉守がいない間、薬研が手伝ってくれたの」
「そうなのか?悪いな」
いや、と彼は首を振ってみせる。
「なかなか良い勉強になった。それじゃ大将、またな」
そう言い残して歩き去る背中に、和泉守は呟いた。
「勉強、なあ・・・」

***

夕食の席で、隣に座ったふたりの会話は盛り上がっている。
「だけど大将、まさか2桁も数字を増やしてるとはな」
「あれは電卓を押しまちがえたの。先月とそんなに変わらないはずなのに、なんでいきなり経費が増えるのってびっくりしちゃった」
さすがに度肝を抜かれたぜ、と薬研が軽くなまえを小突く。
彼らが楽しそうな会話を交えながら食事をしている様子を、堀川は気にしていた。
そしてちらりと、隣の和泉守に目を向ける。
「ん?」
なんだよ国広、と彼は首を傾げた。
「兼さん。あのふたり、なんだかとっても仲が良さそうだね」
「ああ、そうみたいだな」
たいして気にも留めていないのか、和泉守は遠くにある皿を指さして言った。
「おい、そこのおかず取ってくれ」
「・・・はいはい」

***

食事を終え、和泉守は午前中の任務の報告をたずさえてなまえの部屋を訪れた。
「はーい、あ・・・」
「よう。仕事しに来たぜ」
「疲れてるのに、ありがとう。でも、今日の分はもう終わったから大丈夫」
「終わった?いつもあんなに量あるのにか?」
和泉守は、思わず目を丸くして聞き返す。
薬研藤四郎という刀は、ずいぶん優秀であるらしい。
「それじゃ、今日のところは暇を出されたってわけだ」
ならあいつらと酒でもくみ交わすか、と彼が考えていた矢先、なまえは思いもよらない言葉を口にした。
「あの・・・近侍、この先もやりたい?」
「はあ?」
どういう意味だ、と和泉守は眉間にしわを寄せる。
「俺の働きが不満か?たしかに、あんたを危ない目に合わせちまったし花瓶も割ったが、・・・」
気まずそうな表情になる彼に対し、なまえはあわてて「ちがうの」と否定した。
「ごめん、私の言い方が悪かったよね」
「・・・なんかあったのか?」
「実は・・・薬研が、自分も近侍をやりたいって言ってくれて」
「あいつが?なんでまた」
「さあ、そこまでは聞かなかったけど」
和泉守は顔をしかめる。
「主」
「っはい、」
「あんたがそうしたいのなら・・・不満は残るが、そうすりゃ良い。けど、俺は自分からやめるつもりはねえよ」
力強いまなざしに射抜かれ、なまえは瞬きを忘れる。
「俺は、あんたのために力を尽くすって決めたんだ。中途半端な考えでこの仕事を引き受けたわけじゃねえ」
「・・・そうだよね。ごめん」
まっすぐな彼が簡単にうんと言わないことなど、初めから分かっていたのに。
けれどあらためて言葉にされると、どこか気恥かしさを感じる。
なまえがなにを考えているかなど知りもせず、和泉守は呟く。
「薬研が、ねえ」
「さっきは勉強になったって言ってたし、午前中やってみて、けっこう性にあったのかも」
そういうもんか、と彼は肩をすくめた。
「俺はまあ、こういう机にかじりつくような仕事は割り切ってるところがあるけどよ。性に合うって言うにはちっとばかし退屈な気もするがな」
わざとらしくため息をついてみせた彼に、なまえは笑顔を見せる。
「でも、いつも助かってるよ」
「・・・おう。まあな」
和泉守は、「それじゃ、今日のところは戻るとすっか」と言って立ち上がった。
「本当に、残ってる仕事はねえんだな?」
「うん、大丈夫」
「なら、あんたも休みな。いつもいろいろ気ぃ張ってるんだからよ」
じゃあな、と言い残して扉の向こうに消えた後ろ姿に、なまえは「・・・和泉守こそ」と小さく答えた。

***

「あ、」
和泉守は、探していた相手を見つけて声をかける。
「薬研」
「和泉守か。なにか用か?」
「ああ。お前に、聞きたいことがある」
ひとつ息を吸うと、和泉守は尋ねた。
「お前、どうしていきなり近侍をやりたいなんて願い出た?」
「なんだ、耳が早いな」
薬研は余裕の相好をくずさなかったが、なぜだかそれが和泉守を苛立たせる。
「好きな相手のそばにいたいと思っちゃいけないか?」
「は、」
予想もしない答えに、和泉守は戸惑う。
「好きって、・・・お前まさか」
「さあなあ」
ぱくぱくと声にならない声を発している相手に向かって、薬研は言った。
「旦那。それだけなら、俺はもう行くぜ」
悠然と歩き去る背を黙ったまま見つめる。

”好きな相手のそばにいたいと思っちゃいけないか?”

「なんだよ、それ・・・」
呆然と立ち尽くしている和泉守の中で、その言葉だけが何度もくり返されていた。


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