5



荒々しい音と声が、道場に響き渡る。
「・・・次!」
もう一本!と、陸奥守は叫んだ。
「ああ?てめえはたった今負けただろ!」
「ええじゃろ、なんべんやっても」
はあ、とわざとらしくため息をついた和泉守は、壁ぎわにいる相手に声をかける。
「長曽祢さん。良いか?」
ああ、とうなずいて彼は立ち上がった。
入れ替わるように座りこんだ陸奥守を横目に、清光は安定に話しかける。
「荒れてんね、あいつ」
「そうかも。なんかあったのかな」
どうせ八つ当たりじゃ、と陸奥守は口を挟んだ。
「八つ当たり?なんの?」
「そこまでは知らん。けんど、今日のあいつの剣は荒い」
ふたりは対峙している彼らに目を向ける。
気迫では和泉守のほうが勝ってはいるものの、長曽祢のまなざしは冷静だった。
和泉守の目の奥がきらりと光った瞬間、上段に構えた木刀が一気に振り下ろされる。
それを体をひねってかわした長曽祢は、鋭い突きを浴びせた。
「・・・っ!」
そこまで!と、堀川の声が終わりを告げる。
「うわっ、痛そー・・・」
清光は顔を引きつらせた。
「でも、いつもなら避けたはずなのにね」
安定は首をかしげる。
激しく咳きこむ和泉守に、長曽祢は手を差し伸べる。
「立てるか?」
「っああ、」
今度こそ、そう言いかけた彼に対し、長曽祢は首を振った。
「今日はもう止めておいたほうが良い」
すると、ふてくされた表情をしてはいるものの、意外にも素直に「分かった」とうなずく。
「兼さん、」
心配そうに声をかける堀川に、和泉守はそっけない返事をした。
「悪りぃが、ひとりにしてくれ」
「・・・うん、分かった」
道場を出て行く背中を見つめていた彼に、清光は尋ねる。
「ねえ。和泉守、どしたの」
「さあ、僕にもよく分からなくて」
本当はなんとなく予想はしていた。
しかし、彼はわざと言葉を濁す。
「ふーん・・・あいつにも悩みはあるんだ」
「ちょっと清光、今のは聞き捨てならないな」
「じゃ、勝負する?」
唐突な誘いを、しかし彼は了承した。
「良いよ。受けて立つ」
「そうこなくちゃ」

***

意識が1カ所に定まらない。
普段は地面についているはずのものが、今は宙に浮いているような感覚だった。
男女のことについて、なにも知らないわけではない。
新撰組にいた頃、彼は何人かの隊士が連れ立って馴染みの女がいる店へ通っているのを知っていたし、妾宅を構える者、なかには本気の相手と契りを交わす者もいた。
けれど、それらはどれも、人間同士の間で交わされる情のやりとりだった。
それをまさか、自分と同じ存在が抱くなど、和泉守にとっては青天の霹靂だ。
答えの出ない迷路のような考え事をしながら廊下を歩いていると、曲がり角で誰かとぶつかりそうになる。
「っと、すまねえ。・・・之定」
和泉守か、と彼は口にする。
「ずいぶん難しそうな顔をしているね」
「いや。それほど大したもんじゃねえよ」
歌仙は腑に落ちないような表情をしていたものの、やがてこう言った。
「もしもなにかに行き詰っているなら、俳句でも詠んでみるのはどうだい」
俳句、と和泉守はくり返す。
「ああ。君の前の主もたしなんでいたというじゃないか」
何も聞かず、そのような提案をしてみせたのは、もしかしたら彼なりの優しさなのかもしれない。
部屋へ戻ると、和泉守は引きだしの奥にしまっていたすずりと筆を取り出す。
試しに一句詠んでみようかと思い机に向かうものの、なかなかこれという言葉が浮かんでこない。
うーん、と思わず唸った。
「・・・やめた!」
結局、一文字も書かずに畳に寝転ぶと、彼は天井を瞳に映した。

***

誰かが、自分の名を呼んでいる。
無意識に薄目を開けた彼は、あのまま眠ってしまっていたことを知って体を起こした。
「へいへい、・・・なんだ、あんたか」
「あ、いたんだね。別の場所にいるのかと思った」
「悪いな、寝てた。急ぎの用か?」
すると彼女は、「急ぎっていうのでもないけど」と口ごもる。
「?じゃあ、」
「もらった花瓶に挿していた花が枯れちゃって、見繕ってほしいと思ったの。和泉守が選んでくれたものだから」
やや早口なその頼みを聞いた和泉守は、不器用にうなずいて答える。
「や、別に・・・良いけどよ」
「良かった」
そう言った彼女のほっとした笑顔。
和泉守のどこかが、音を立てた気がした。
何も言わずに歩き出した彼の後をなまえは追いかける。
長い廊下に面していた窓の向こうには、いくつもの花が生き生きと咲いていた。
「あんた、どんなのが好きなんだ?」
和泉守の問いに、なまえは思案する。
「花瓶がシンプルだから・・・でも、あんまり派手じゃないほうがいいな」
その言葉を受けて、あれも違う、これも、と彼は候補から外していく。
そして、
「これなんかどうだ?」
と示したのは、夏椿だった。
一輪でもはっきりとした存在感のあるそれを見て、なまえは「素敵」と口にする。
「なんだか、和泉守みたいだね」
「はあ?似てるのは主だろ。この花みたいにあんたは、」
言いかけて、はっとした和泉守は気まずそうに視線をそらした。
「今のは、・・・忘れてくれ」
背けられた彼の横顔に浮かぶ表情を目にしたなまえも、黙ったままなにも答えないでいる。
和泉守は優しい手つきでそれを手折ると、あー、と呟いた。
「活けるんだろ。あんたの部屋にこの花」
「あ、うん」
「その・・・良いと思うぜ。似合う」
ぶっきらぼうな口調で押しつけるようにそれだけ言うと、彼はその場を去っていってしまった。

***

なまえの仕事机の端に、花瓶に挿した夏椿が気持ち良さそうに咲いている。
凛としたその姿はまるで、
「やっぱり和泉守だよ・・・」
その言葉は、本人には届かないままだった。


- 75 -

*前次#


ページ: