安定と小狐丸



「ぬしさま。お願いがあります」
「なあに、小狐丸?」
私を近侍にしていただけないでしょうか、と彼は言った。
「・・・はああ?」
安定は開いた口がふさがらない。
「なにそれ。普通今の近侍の前で言う?」
「いけませんか、ぬしさま」
「いけないとかではないんだけど・・・」
以前の近侍と交代して安定が務めるようになってから、最近では自分なりのやり方を見つけたのかずいぶん楽しそうに取り組んでいる。
なまえの考えていることを読み取ったかのように、小狐丸は自らを推薦した。
「真面目でやる気もありますよ。初めは分からないこともあるかもしれませんが、必ずお役に立ってみせます」
「うーん・・・」
「僕だって真面目だしやる気あるし。いつもちゃんとやってるよ。主、まさか近侍やめさせたりしないよね?」
ふたりの顔を順番に見比べたなまえは、困り果て、とうとう「ちょっと考えさせて」と保留の意を示した。

***

「信っじらんない!」
文机に向かって拳をふり下ろした安定に対し、清光は「まあまあ落ち着けって」となだめる。
「だって清光どう思う?」
「うーん・・・革命、もしくは下剋上?」
なにそれ、と安定はよく分からないような顔をした。
「だけど、お前も初期刀の俺からその役目取ったじゃん」
「う・・・それはだって主が」
ある日、なまえが言ったのだ。
「近侍の仕事ができる子、もうひとりくらい欲しいかも」
「え?なんで?」
怪訝そうな表情を見せた清光に、彼女はこう答えた。
「清光が出陣とか遠征に行ったりした時とかちょっと不便なんだよね」
「あーなるほどね。ま、それならそれで良いけど。誰にするか決めてる?」
そうだなあ、と思案したなまえは「あ」と思いつく。
「安定。どう?」
「安定かあ。教えやすくはあるけど」
どうせならしごいてやろ、と冗談を口にして笑ったことを思い出し清光は肩をすくめた。
「そんな簡単に取っかえないって」
「でもさ・・・もしそうなったらやだな」
最初の勢いはどこへやら、安定は思いため息をついた。

***

なまえは悩んでいた。
小狐丸が突然あんな申し出をしなければ、そもそも近侍を交代するなど考えてもいなかったのだ。
そうかと言って、わざわざやりたいと手を挙げてくれた相手をすげなく追い返すのもどうかと思ってしまう。
安定を外す理由がない代わりに、小狐丸を断る理由も見つからなかった。
「どうしたら良いかな・・・」
返事をくれる者のいない部屋ではひとり考えこむ。
安定はよくやってくれている。
真面目だし、意外にもまめな性格で教わったことはしっかりメモをとって残す。
しかも清光いわく日記までつけているらしい。
「今日はここがだめだったから明日は頑張ろう、みたいなこと書いてるらしいよ」といつか彼が言っていた。
ささいなことにも気がつくし字も丁寧に書く。
一生懸命やるべきことを果たそうとしている彼の姿をなまえは好ましく思っていた。
やっぱり今のままが良い。
小狐丸には悪いけれど、安定と過ごす穏やかな日々を手放す気にはなれず、今回の申し出は断ろうと決めた。
するとなんだか目の前の霧が晴れていくような気持ちになって、ようやく冷めたお茶で喉をうるおした。

***

夕食の後でなまえの部屋へ呼ばれた安定は、先に来て待っていたのが小狐丸であることを知ると表情を曇らせる。
「なんでいるの」
「さあ。ぬしさまに呼ばれたので」
いつものように飄々としている彼に安定は苛立ちをかくせない。
「ねえ、どうしていきなり近侍に立候補したの?」
「ぬしさまのお役に立ちたいからですよ」
「本当に?それだけ?」
ずいぶん疑り深いですね、と小狐丸は苦笑してみせた。
「だってさ。僕この役目が好きなんだよ」
安定は膝を抱えるように座る。
初めて彼女からこの役目を打診された時、なんと答えたのかも覚えていない。
清光に「喜びすぎ。すぐ顔に出るよね」と笑われたことさえどうでも良く思えてしまうほど、彼にとっては嬉しい出来事だった。
それからはひたすらなまえに認めてもらえるよう、どんな仕事も精いっぱい向き合いやってきたつもりだ。
たとえこの先、誰かに引き継ぐことになったとしても今はまだ譲りたくはなかった。
大好きな彼女とこれからもずっと一緒にいたい。
そんなことを考えていると、奥のふすまが開いてなまえが顔を出す。
「あ、もう来てくれていたんだね」
ぬしさま、と小狐丸は彼女に向き直る。
「近侍のお話ですか?」
そうそれ、と言ってなまえは困ったような笑顔を見せた。
「言いづらいんだけど」
耳を塞ぎたくなる衝動をぐっとこらえ、安定は拳を握りしめる。
「やっぱり交代はなしにしようと思うの。今のまま、安定にお願いできるかな」
信じられない言葉を聞いて、彼は思わず「え」と顔を上げた。
「本当?」
「うん。せっかく慣れてきたところだしね。普段からよくやってくれてるから」
なまえからのねぎらいの言葉に安定の頬は紅潮する。
「だから・・・ごめんね小狐丸」
「良いのです、ぬしさま。私の方こそわがままを言ってしまいました」
少しでもぬしさまのおそばにいたかったのです、と彼は寂しそうに笑った。
「小狐丸、」
「ぬしさまがそう決めたのなら仕方ありませんね・・・ところで」
小狐丸は上目づかいになまえを見上げると、
「ある本丸では、お世話係という役目があるそうですよ。近侍は務まらなくともそちらに立候補しても良いでしょうか」
「あ、ええ・・・?そんな仕事があるの?」
はい、とうなずく小狐丸に、安定は「ちょっと待った!」と口をはさむ。
「なにそのお世話係って!主のお世話は近侍がちゃんとするし!」
「良いではないですか、そのくらい」
うーん、となまえは苦く笑う。そして、
「お世話係とまではいかなくても、時々こうやって遊びに来てもらって、毛並みを整えさせてくれるだけでも私はじゅうぶん満足だよ」
「なんと嬉しいお言葉。ではそのようにいたしましょう」
そう言って退出した彼の後ろを、安定は追いかけて声をかける。
「ねえ、どういうつもり」
「・・・もとより、ぬしさまが近侍を交代しないのは承知のこと」
ふり返った小狐丸は、余裕たっぷりといった表情で笑う。
「私はただ、ぬしさまと一緒にいる時間を作りたかっただけです。いつも近侍がそばにはべっているものですから」
「な、んだよそれ・・・」
すっかり脱力してしまった安定をその場に残し、彼は悠々と歩き去っていってしまった。
やられた、と心の中で呟いたもののどうしようもなく、頭を抱えた安定はふたたび清光の部屋の戸を思いきり開いたのだった。
「ねー聞いてよ清光!」
「うわ、ノックしろよ!」


- 78 -

*前次#


ページ: