紅色恋歩



心地良い午後の風に乗って、主の声が聞こえてきた。
「今剣の手は可愛いね。小さくて爪も桜色しててきれい」
「あるじさまのてはとてもやわらかいですね!あったかくてだいすきです」
ふたりの笑い声と反対に俺の表情は曇る。
あの人は裸のままの爪が好きなのか。
そう思うと、指先の鮮やかな赤が急に色褪せていくような気がした。

***

除光液の匂いは好きじゃない。
けれど、彼女が気に入らないのなら染めている理由はないのだ。
「せっかく上手く塗れたんだけどなあ・・・」
一本一本ぬぐっていくたびに、心が沈んでいく。
今まで良かれと思ってしていた努力が空回っていたなんて。
肌の色が透けている爪をかざしてみたり、ざらついた表面をそっと撫でてみる。
本当にこんなものを彼女は喜んでくれるのだろうか。
「・・・かわいくない」
そう呟いて、マニキュアのセットを引き出しの奥深くにしまった。
廊下に出ると、主が「清光!」と声をかけてきた。
「主。どしたの?」
思わず両手を背中に隠し、なんでもないふりをして答える。
「あのね、プレゼントがあるの」
「プレゼント?」
俺に?わざわざ?どうしよう、すごくすごく嬉しい。
「そうだよ。清光に似合うと思って買っちゃった」
彼女が取り出したものを見た瞬間、俺の表情は引きつる。
「・・・これを・・・俺に?」
「そうそう。もしかしてもう持ってたりする?」
美しい紅色の小瓶を差し出しながら、主は不安そうな顔をする。
「いや、持ってないけど」
「良かった。新色なんだって」
なんで、と心の中で言った。
桜色の爪が良いんじゃないの。赤い色なんて本当はきらいなんじゃないの?
「もう塗らないことにしたんだ」
主は「え?」と驚く。
「なんで?」
「なんでも」
「清光」
なにかあったの、と彼女は悲しそうに尋ねた。
あんたが言ったくせに、と叫びたいのを飲み込む。
代わりに投げやりな言葉を口にした。
「俺の好きな人が、なんにも塗らない爪のほうが好きなんだって」
「・・・好きな人、いるの」
「うん。その人が桜色の爪が良いって言ってた」
なんであんたが泣きそうな顔してるの。泣きたいのはこっちだよ。
こんな形で、告白にもならないような切れ端を言いたいわけじゃないのに。
そっか、と主は呟く。
「じゃあ、これはもういらないね」
「・・・どうするの」
本当はその色で指先を飾りたかった。綺麗だね、似合うね、って褒めてほしい。
好きな人が俺のためだけに選んでくれた色で、この身を飾りたいのに。
「私にも似合うかな・・・」
「え」
「清光の好きな色だから」
そう言って彼女は手の中でそれを弄ぶ。
「なんでそんなこと言えるんだよ」
なんでって、と主はくり返す。
「主が言ったんじゃん」
「私・・・?」
「そうだよ。主が、今剣の桜色の爪が好きだって」
すると、ぽかんとしていた彼女の表情が緩んでいく。
「なんで笑うの」
「今剣に赤いマニキュアは似合わない。この色が似合うのは清光だけだと思ったからそう言ったの」
「俺だけ・・・?」
なにも塗られていない裸の指先を主はそっと手に取る。
「あ、やだ」
「清光の手、かっこいいと思う。でもマニキュアをした手は綺麗」
本当?と思わず聞き返す。
「嘘じゃない?」
「嘘なんかじゃないよ。本当に本当」
「そっか・・・良かった」
嬉しくて主の手を握る。やっぱり紅は俺の大切な色だ。
「あのね清光。私も」
「待って」
彼女が言おうとするのをさえぎる。
「俺、好きな人がいるんだ」



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