こんな夜には



雨やどりのつもりでカフェに立ち寄ったなまえと安定だったが、ガラス越しの叩きつけるような景色はひどくなるばかりだった。
「うわー・・・これはしばらくやまないね」
「うーん、ちょっと外に出る勇気ないなあ」
すっかり冷めてしまったココアを片手に、安定は身を乗り出して空の様子をたしかめる。
けれど、青空が見える隙もないほど重くたちこめた暗雲を見て、ため息と共に席についた。
「どう?」
「全然だめ。しばらくすれば勢いはおさまるかもしれないけど」
じゃあその瞬間にホテルに走ろう、となまえが提案すると、安定は「主ってそういうところが豪快だよね」と笑った。

***

「えっ・・・予約、取れてないんですか?」
はい、と目の前の相手は戸惑ったように何度も画面を確認する。
「お客様のお名前でご予約はお取りされておりません」
「そんな・・・それじゃ今からお願いできますか?」
「申し訳ございません、本日は満室でして・・・」
ソファーに腰を下ろしてなまえとフロントの掛け合いに聞き耳を立てていた安定は、雲行きがあやしいのは空ばかりではないことを知ってそちらを見つめる。
やがて戻ってきた彼女に「どうだった?」と尋ねると、彼女はがっかりしたように首を横に振った。
「ごめん安定。今日は泊れないって」
「そっか・・・しょうがないよね。別のところを探そう」
笑顔で前向きな提案をした近侍に、なまえの心は救われる。
「そうする。ありがと安定」
「ここにはしばらくいても良いって?」
「うん。見つかるまでどうぞって言ってくれたから平気」
額をつき合わせて近場の宿を探し、断られることを承知でかたっぱしから電話をかける。
ようやく受け入れてもらえる場所が決まった頃には、雨もすっかりあがっていた。
荷物をかかえて歩きながら会話をする。
「よかったー。一時はどうなるかと心配したよ」
「僕も焦ったよ。まさか主を野宿させるわけにはいかないしね」
「まさか、さすがにそれはね」
近くのレストランで夕食をとった後、目的地を探して再び歩き出す。
「えーと・・・そんなに離れてないはずなんだけど」
あたりを見回す彼女に安定は「あそこじゃない?」と声をかけた。
「名前が書いてあるよ」
さっそく受付に確認して、ルームキーを受け取る。
部屋にたどり着いた瞬間、ふたりは今度こそ安堵のため息をついた。
「お疲れ安定」
「主もお疲れさま」
シングルベッドが並んだ部屋の造りは簡素なものだったが、仕事のついでに宿泊するにはじゅうぶんだった。
さっそく荷物をほどいていると、部屋の中を探検していた安定が声を上げる。
「主見て見て!お風呂と厠が一緒になってる!」
「そうなの?ちょっと待ってー」
待ち切れずに顔を覗かせた安定はそわそわしながら言った。
「僕ちょっと使ってみようかな」
どうやら初めてのホテルの夜にわくわくしているらしい。
「いいんじゃない?お風呂でもトイレでも先に入って」
しばらくして、くつろいでいたなまえの耳に「うわーっ!」という叫び声が聞こえた。
「なになになに」
あわててドアをノックして確認する。
「安定!?」
「なんでもない、なんでもないから」
そう焦ったようにくり返す声に、半信半疑で待つこと数分。
気まずそうに顔を出した安定は小声で謝った。
「ごめん。急に変な声出して」
「いいけど、大丈夫?」
すると彼はもじもじと返事を濁しながら、
「ちょっと、その・・・トイレ?から水が飛び出してきてさ・・・びっくりしただけ」
そう言いながらお尻をさするのでなまえはふき出す。
「なんだ、ウォシュレット押したんだね」
「うぉしゅれっとっていうだ?はー・・・あ」
雨また降ってきてる、と窓の外に気づいて彼は言った。
「ほんとだ」
こまかい雨が再び街を濡らしている。
「そういえば安定、ベッドで寝るの初めてじゃない?」
「うん、ちゃんと眠れるか分かんないなあ。でもちょっと嬉しいんだよね」
「ベッド?」
ちがうよ、と安定は笑う。
「主とふたりなのが。清光じゃないけど、特別って感じ」
順番にバスルームを使い、あとは寝るだけになった頃。
「ねえ主」
「なあに安定」
「ひとつだけお願い聞いてくれない?」
「いいけどどんな?」
「・・・怒んないで」
「へ?・・・う、わっ!」
いきおいよくダイブしてきた安定をあわてて全身で受け止める。
反動で後ろにひっくり返るのを安定の腕が庇い、ふたりの体はベッドに沈んだ。
「あはは、びっくりした?」
「もー安定。驚いた」
「ごめん」
そう言いながらなまえを抱き起こすと、乱れてしまった相手の髪を整える。
向かい合う形で座り直し、安定はなまえの頬をそっと両手で包み込んだ。
「安定?」
鼻の頭やまぶたの上をかすめるように指先が触れてゆく。
「あのさ・・・聞きたいことあるんだけど」
「うん」
「好きってどんな気持ち?」
えっ、と言葉に詰まる。
「好き・・・?」
「分かんないんだ、ずっと。教えて」
清光は、時々きらいになることもあるけど好き。
新撰組の刀はもちろん、本丸のみんなは仲間だから好き。
けれど目の前にいる相手へ向かう感情とはどこか違っている。
「主のことを考えると胸が苦しくなる。苦しいのに、同じ気持ちを主にも持ってほしいとも思う」
そのまなざしの真剣さ、潔さ。
瞳の奥にあるまっすぐな感情を知ってなまえの心は揺れる。
「そ、れは・・・」
だめ?と安定はささやくように問う。
「分かんないよ・・・今すぐには答えられない」
「じゃあ待つ。・・・言ったらなんだかすっきりした」
「え?」
ぽかんとしたなまえとは対照的に、彼はさっぱりした笑顔を浮かべている。
「ようし、それじゃそろっと寝よ」
そう言うなりさっさと自分のベッドに戻っていく背中に「あの、安定」と声をかける。
けれど、
「主おやすみー。あ、明かり消すね」
次の瞬間、ふっと暗くなる部屋。
「(好きって、安定が、私を)」
心臓がこんなにどきどきしてうるさいのに。
こんな気持ちにさせておいて、自分はさっさと寝てしまうなんて。
かといって起きて話をするには緊張してしまう。
「(明日どんな顔すればいいんだろう・・・)」
ため息が夜の海に溶けた。


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