環と同居生活



「なまえちゃん」
「 ・・・なに」
我ながらドスのきいた声だと思う。
眠気と闘いながら数字を追い、電卓を叩く。毎年のことながら決算はつらい。
不機嫌を隠そうともしない返事を気にも留めず、環くんは言った。
「コーヒー飲みすぎ。それ何杯目なん?」
いつもと変わらない調子の彼に拍子抜けする。
「環くんごめん」
「ん?」
「ずっと仕事しっぱなしで・・・八つ当たりまでしてしまい大変申し訳なく・・・」
「いーよ全然。そんなの、てかむしろ俺が入り浸ってるんだから」
「いや、それはいいんだけど・・・」
「なんかさっきの謝り方そーちゃんみたいでウケる。てか、ちゃんとメシ食ってる?」
知らぬ間に私は壮五さんに似てきたらしい。
「えっと、たぶん」
疑いのまなざしがじっと向けられる。
「ほんと?」
「・・・たまに抜くけど」
はー、と環くんはため息をついた。
「それ、手伝ってもらえねえの?」
「確認はお願いできるけど・・・うーん」
「あんま無理するとなまえちゃん、倒れちゃうかもしんねえじゃん」
大丈夫だよ、と私は笑って答える。すると、
「それ」
「え?」
「そーちゃんも言う。でも、それ言う時は絶対ほんとは大丈夫じゃないやつ」
思わずふき出してしまう。
そうか、彼も根詰めるタイプなんだ。
「言っとくけど、本気で心配してんだかんな」
「分かってるよ、伝わってる。こうやって環くんと話してると気持ちが休まるから、これからも入り浸ってほしいな。それと」
充電したい、そう言って私は両手を広げてみせた。
「・・・しょーがねーなー」
立ち上がった環くんの大きな体が私を包み込む。
「へへ」
ああ、落ち着く。
好きな人のそばってこんなに居心地がいいんだ。
「なまえちゃん、小さくて細えんだから無理すんなよ」
「いや・・・見えないところにはけっこうお肉が・・・」
「そうじゃねえって。てか、まだ知らねえし」
環くんの言葉に思わず反応する。まだ、だって。
「(そっか・・・なんか恥ずかしくなってきた・・・)」
あのさ、と真剣な声が耳元でささやく。
「頑張りすぎると、死んじゃうことだってあんだからさ」
「・・・うん。ごめんね」
「謝んな」
「うん、・・・環くん」
「なに」
好きだよ、と言えば「俺も」とすぐに返ってくる。
「なあ」
「ん?」
「俺も、充電。したい」
次の瞬間、答えを待たずに唇に噛みつかれる。
ぶわ、と一気に体温と心拍数が上がるのを感じてぎゅっと目をつぶった。
いつまで経っても慣れない。
大きな子供みたいな時もある彼が、こんなにくらくらさせるキスをするのが。
労わるような、慈しむような、優しくて激しい口付け。
やっと離れたと同時に大きく息を吐く。
「ふは、」
「・・・やっぱもうやめる」
これ以上は止まらなくなるからだめ、とそっぽを向いて環くんは呟いた。
それは・・・
「まずいねえ・・・」
「早く大人になりてーな・・・そしたらなまえちゃん、もっと甘えて頼ってくれんじゃん」
「今だって、環くんが知らないだけですっごく甘えてるんだよ」
「ほんとに?じゃあもっと甘えてほしい」
「もっと?」
「うん。もっともっと、俺によっかかってきて。そしたら、でろでろに甘やかしてあげるから」
「王様プリンみたく?」
「うん」
その返事に笑みがこぼれる。
「環くん」
「ん?」
「休憩。一緒に王様プリン食べたいな」
「!おー、いいね」
特別に2個食べよ、と笑う彼がこんなにも愛しい。  

「なんかぷるぷるしてる」
「ん?」
唇、と環くんは自分のそこを指さす。
「どして」
「最近ちゃんとリップクリーム塗ってるからかなー」
取り出して見せると、あ!と彼は言った。
「てんてんがCMやってるやつ!だろ?」
「当たり。万理さん経由で頂いちゃった」
ふうん、と覗き込んでくるので思わず体を離す。
「なんで逃げんの」
「や、だってなんか近いから・・・」
「いーじゃん近くて。やなの、」
やじゃないです、とあわてて否定する。
「そんなじっくり見られるといたたまれないんだけど・・・」
「・・・なー、ちゅーしたい」
「へ!?」
ちょっとだけ、と再びずい、と環くんは身を乗り出す。
「あ、あの、」
戸惑っている私の肩をおさえ、重ねられる唇。
勢いとは裏腹に触れるだけのキスに胸をなでおろした瞬間、
「(ふ、ふにふにしてくる・・・!)」
柔らかく食んだり、こすりあわせたりの未成年らしからぬスキンシップに翻弄されてしまう。
キスの経験がほとんどないはず彼は、これを本能だけでやっているのだからおそろしい。
ようやく離れた彼は、
「ん、やわらけー」
と満足したように笑った。
いろんな意味でもうだめ、そう心の中で呟きながらゆっくりと私は倒れたのだった。


「・・・あーっもう、うっぜえなあ」
俺マスクきらーい、という声にあわてて振り返る。
「ちょ、だめだよ環くん!」
「だあってさー・・・息苦しいんだもん」
唇を尖らせる彼を「分かるけど」と言ってなだめる。
「ばれちゃうよ」
「いーよ」
「だめ」
「なんで」
あのね、と私は足を止めた。
「このご時世、どこでなに撮られてるか分かんないんだよ。環くんは今をときめくアイドルなんだからもう少し危機感持って」
「へーへー」
すると、環くんの大きな手がするりと滑り込んできたかと思うと、私の手をぎゅっと握った。
「え」
「こんくらいはいっしょ」
だめ?と覗き込んでくる環くん。
「マスクちゃんとしてるから、俺だって分かんないだろーし」
「う・・・まあ、帽子かぶってるし」
頼む変装よ、どうかばれないでくれ。
指先で握り返すと、「やった」と小さな声が聞こえた。
くっ、可愛い・・・。
「へへ。うれしーな」
私もつられて笑顔をなってしまう。
ふたたび歩き出すと環くんは宣言した。
「帰ったらぜってーマスク取ってちゅーするから」
「いいよ」


もぞもぞとした違和感にはっとする。
「た、環くん」
「ん?どーした?」
「ふ、服の中に虫いる、かも・・・!」
取って、とふるえる声で頼む。
「は!?と、なん」
むり、と首を振る彼に「おーねーがーいー!」と縋りつく。
「環くんしかいないの、あ、なんか動いてる・・・!」
「だって、取ってってふ、服の中じゃん、だめ」
「そんなこと言わないで、わああやだー!」
環くんはとうとう腹をくくったように「あーもー!」と叫んだ。
「言っとくけど、後からセクハラとかナシだかんな」
そう宣言するやいなや、遠慮なく両手をつっこむ。
「んー・・・わっかんねえ、てかほんとにいる?」
「いるいる絶対いる!」
もぞもぞと這うのが虫か、それとも環くんの手なのかが曖昧になった頃ようやく、
「あ、いた」
という声が聞こえた。
思っていたよりもずいぶん小さな虫が指先に捕まっている。
環くんは無言のままそれを窓の外へ逃がした。
「ありがとう・・・」
「いや、うん・・・なんか疲れた」


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